河崎志信の場合
午後三時四十五分。
俺はきっと──君の視線だけ感じてる。
うだる様な暑さの中、ボールを追い掛ける。
汗の滴が頬を伝って行くのを感じて、俺はそれをTシャツで拭った。
暑い。
広い校庭を駆け回って、とにかく暑かった。
「最近さあ、志信、頑張ってんなー」
もう一度汗を拭った俺を見て、いつの間にか隣に来ていた三鷹がにやっと笑う。
「あいつも最近、毎日見てるよなー」
ちらっと四階に視線を投げてから、また俺を見てにやっとする。
三鷹が言うあいつっていうのは、クラスメイトの皆森羽雪だ。
「皆森ってさ、あんまり男子に興味とか無さそうなのになー。冷めてるっていうか。なーんかあったー?」
「……何もない」
「へーえ」
悔しい。
にやにやしながら俺をつつく三鷹には、きっと絶対、明らかにばれている。
赤らむ顔を隠す様に、もう一度、汗を拭った。
──ざわつく前の朝の廊下。
俺はいつもより早い時間に、そこを歩いていた。
午後とは違う朝の光が、階段を照らしている。
賑やかなのもいいけれど、たまにはこういうのも悪くない。
少し清々しい気持ちを感じながら、滅多に無い落ち着いた雰囲気の廊下を堪能する。
「うん、何かいいね」
思わずそう呟いて、独り言を零した自分に、少し笑った。
今日は多分、一番乗り。
たまにはそれも、悪くないな。
そんなことを思いながら、俺は教室に向かった。
「おはようございまーす」
ドアを開けながら言ってみる。
「あ、おはよう」
予想外に挨拶が返ってきて、俺は顔を上げた。
思わず固まる。
窓際の前から四番目、後ろから二番目の席。
バッグを机の上に置いた、笑顔の皆森がいた。
「入らないの?」
固まったままの俺に、不思議そうな顔をして視線を投げている。
「……早いんだね」
平静を装いながら、後ろ手にドアを閉めて言った。
余りにも普通の言葉しか返せなかったことに、ほんの少し後悔の念が胸を掠める。
もっと気の利いたことが言えたらよかったのに。
そんなことを思って、溜め息をついた。
「そっちこそ早いね。いつもこの時間、あたしだけなんだよ」
「そうなんだ」
知っていたら、毎日早く来たのに。
そうしたら、話が出来るのに。
明日も早く来ることを密かに決めて、俺は席に着こうと足を進めた。
「あ」
だばだばと音がして振り返れば、またもや皆森は教科書を散乱させていた。
「……置き勉しすぎじゃない?」
眉を下げてそれらを見詰める皆森に、思わず笑った。
冷めてる、何て、一体誰が言ったのだろう。
彼女は普通に、忘れ物もすれば置き勉だってする。
どこかぼんやりしていて、見た目よりずっとうっかりもしている様に思えた。
そうかな、何て言いながら一緒に笑った彼女に近付いて俺は腰を屈める。
「手伝うよ」
「ありがとう」
そう言って座り込んだ彼女と、額がぶつかった。
顔を上げると、思った以上に近い距離。
「ご、ごめん!」
思わず仰け反った。
赤らむ顔を腕で隠して、それでも目が離せない。
どうしよう。
俺、多分──。
確信してしまった自分の気持ちに、必要以上に戸惑う。
「……あのね、」
ぶつかった額を押さえながら、彼女が呟いた。
「サッカーしてる時、格好いいよ」
額を押さえるその手で、表情がよく見えない。
けれど、見間違いでなければ、それは少しはにかんでいる様に見えた。
「……あ、ありがと…」
そう答えるのが精一杯で。
可愛いじゃなくて、格好いいと言われたことが嬉しくて。
今日も頑張ろうとか、思ってしまったんだ。
散乱した教科書を拾い集めた頃、教室がざわつき出す。
一人、また一人と増えて行くクラスメイトに、俺は距離を取られてしまった。
放課後。
今日も俺は、ボールを追い掛ける。
集合の笛を合図に、無意識に四階を見上げた。
うだる様な暑さと、初夏の風。
俺を見ている皆森がいた。
軽く手を振って笑えば、皆森も手を振って笑う。
そんなことが嬉しくて、もっと笑ってしまった。
「……ふーん、やっぱりね」
にやにやしながら、三鷹が横を通り過ぎて行く。
やっぱりそうなんだと、俺も思う。
「羨ましい?」
「ばっ、そ、そんなんじゃねえよ!」
「ふーん?」
思わぬ返しに狼狽えた三鷹がおかしくて、声を上げて笑った。
気付いた男は強いんだぜ、と言えば、三鷹は隣で焦っていた。
明日も早く来よう。
もう一度そう思って、俺は駆け出した。
午後三時四十五分。
俺の赤らむ顔は、多分、暑さの所為じゃない。
2011年1月12日自サイトより移転掲載。




