七・七話「改革と夢 ドイツ第3帝国総統の宿願`ゲルマニア`」
短編で、ドイツの野望と夢に触れます。世界首都ゲルマニアです。(これ分かる人居るかな…?)
ドイツ第3帝国総統「アドルフ・ヒトラー」は史実以上にイギリスを嫌悪するようになった。しかしそれでも米国よりはマシだと思っていた。それは彼が画家を目指していた頃に史実にはない経験をしたためでもあった。それはユダヤ人の成金に恋人を奪われた後、ショックに打ちしがれていた時に追い討ちをかけるように彼の絵を馬鹿にした画商がいた。その画商はたまたまウィーンを訪れた画商で、英国人と米国人であった。彼等から受けた仕打ちに対する恨みと日本からの情報で、第3帝国の敗北と自分の死後にイギリスが戦争の結果、植民地を失い`大英帝国`の形態を失う事、諸譜成り上がり国家に過ぎない米国がイギリスの後継の覇権国家として自国と日本の上に君臨するのを知り、アメリカの戦後支配の思惑に憤慨したせいであった。当時の英国の中には理解者もいるのは知っているので、どうにかそれを利用する手段を模索していた。
彼は日本の武官からもたらされた情報を基に史実の失敗を避ける様になった。ユダヤ人のことは前出の体験などのせいで史実同様に弾圧したかったが、自分が「史上最悪の独裁者」と後世に悪名を残すという事に強い怒りを感じ、さらに亡命したユダヤ人の科学者が原子爆弾という破滅兵器を造る事にも憎悪を感じていた。彼はゲーリングに命じて敵の2世代後の爆撃機の飛行高度である、12000mの高高度にも弾が届く高射砲の制作を命じた。
そして海軍の練るZ計画の完遂のために、日本から大枚を叩いて試作48センチ砲一門を入手。それをドイツの工業能力でコピーし、次期主力戦艦の搭載砲とする。
さらにヒトラーは一介の兵士との対話も大事にするようになり、兵士達の指摘を基に軍の改革に着手し始めた。
「国家元帥、日本から入手した増槽や航続距離延伸技術はモノにできたかね?」
「ハッ、只今メッサーシュミットのBF109とフォッケウルフの新型機にその成果を組み込むように開発陣に命じました。BF109は来年には改良試作型が完成するでしょう」
ヒトラーは各軍へ通達を発し、日本からの情報として3軍全てに敵国が今後用いるであろう全ての兵器のデータを流した。軍は大変な混乱に揺れたが、仮想敵の情報が全て入手できたのでその対策を急いだ。
まずは空軍に置いてはスピットファイアの全ての形式を常に圧倒できるようにフォッケウルフ Fw190系列の早期開発と日本からの技術を使って航続距離の改善と高高度性能の改良。メッサーシュミットBF109の重武装化の研究。日本とのジェットの共同研究……全て終わるのは43年以降、遅くて44年だろう。
「日本に電報を打つ。`全ての計画の完遂は早くとも43年から44年。それまでは絶対に開戦を行うな`と」
「ハッ。しかし総統閣下、よろしいのですか。あのような海軍便りの模倣民族に……」
「構わん。頼りないドゥーチェの手下ども……イタリア軍よりはよほどマシだ。彼等は同盟を堅持してくれるだろう。過去のどの国よりもな」
彼は日本こそが信じるに値する国であると認知していた。過去の戦いにおいて幾度も同盟国の裏切りにあったドイツにとっては「模倣しか能のない民族」とは言え、サムライの時代からわずか100年足らずで列強となった、東洋の覇者たる日本こそ千年王国を目指す第3帝国の盟友たりえる国だと。(日本が技術と情報を渡した成果により、ヒトラーは史実以上に早く日本に好感情を抱くにいたった)
「`ゲルマニア計画`はどうか」
ヒトラーが史実で夢に見、遂に成し遂げることがなかった`世界首都ゲルマニア`。アルベルト・シュペーアが手がけていた計画として知られる。ヒトラーの個人的願望も「ベルリンを大改造し、そこをロンドンやパリをも凌駕する世界一の大都市に変貌させる」計画。史実では対ソ戦勝利後の1950年が完成予定であったが、これを早期達成させるため、戦争は避けたいのが今の総統閣下の命題だった。
「新メインストリートと飛行場を着工し、ベルリン中央駅の設計を検討中であります」
官僚の報告にヒトラーは満足気にうなづく。
「全ては大ドイツ千年の繁栄のために」
ヒトラーはこう、一人ごちる。`今度こそは`と、旧史で失敗に終わった千年王国を新史でも夢見る彼の思考は今や如何にして英国の理解者を利用するかの今後の戦略と、世界首都ゲルマニアの完成を見届ける`夢`に二部されていた。
全ては`大ドイツ千年繁栄のため`。ヒトラー総統の戦略はここに始まったのである。時に1939年の暮れのある夕暮れ時であった。
「さて……自分自身のミスを正すのは一苦労だな。ユダヤの連中は今度こそ大いに利用させてもらおう」
それはアドルフ・ヒトラーが自身の立ち振る舞いに注意を払うようになった事を示していた。後世に`良い指導者`として記憶されたいという指導者としての願望は彼に一層、自身の健康に関する事に気を使うという心構えをさせるのに役だった。何せ彼は旧史の晩年には
パーキンソン病を発症し、醜態を晒している。しかしこの病気は21世紀の未来でさえ完全な治療法がない難病である。本格的に健康を害する前段階でこの病気を知ったヒトラーは21世紀の未来で研究されている治療法を1930年代の時点で基礎研究を開始させたが、これは間接的に世界医療技術の時計を早く進ませる事に繋がる。この時点でヒトラーは明確に引退までのビジョンを作り、「遅くとも1955年までには引退し、若き日の夢をもう一度追いたい」と心に決めていた。