第四三話「日本情報部の一興」
-日本軍はシーレーンの破綻が旧史での自らの破滅を招いた事を新史ではよく理解していた。対潜戦やシーレーン防衛のイロハを王立海軍から習得する一方で、空母機動部隊による制海権確保を研究していた。そしてアメリカが今後実用するであろうVT信管への対策も模索されていた。
―海軍航空本部
「一式陸攻に防弾の仕様を要求しといてよかったなぁ」
「しかし閣下、あれではもう別機ですよ」
「良いのだ。……例の写真はアメ公には流れてるな?」
「ええ。情報部が意図的にOSS(アメリカの戦略諜報局。CIAの前身)へ横流したとの報告が入っています」
「ご苦労」
……と安堵するは海軍航空本部のこの時期の長「戸塚道太郎」中将。彼は着任時に三菱に当時試作が完了、制式採用されつつあった「一式陸上攻撃機」に防弾仕様を追加要求することを急遽決定。そのため双発の当初の試作機では要求性能は満たせず、再設計が行われた。そのため一式陸上攻撃機は史実と異なる姿で生まれた。双発ではなく、四発機として完成した為、その姿は史実の後継である連山に近い。ただし四発機のノウハウを持つ三菱の設計なので連山よりも洗練されている。(これは中島が作った旧史陸軍一〇〇式重爆撃機が他国から見れば軽爆撃機に入る事から、急遽四発機を三菱が作る事になった。)
三菱は一式を生まれ変わらせるためイギリスのアブロ社へ協力を依頼。アブロ社側も`日本への進出を伺う絶好の機会`とばかりに技術協力を承諾。発動機をハ42にするなどの数年間の再開発期間を経て正式に完成したわけである。ランカスター爆撃機の技術的特徴が反映されたので搭載量は旧史日本実用爆撃・攻撃機の全てを遙かに超える。防弾も米軍主力の大口径機銃が備えるであろうVT信管にも耐えうるレベルが一応確保された。だが、その弊害として速度は割と遅いが、なんとか初期型零戦よりは高速の545キロを確保した(B-29より低速だが、他機種よりは速い)という。ここまで行くと別機と言っても差し支えないが、欺瞞のため名称は初期試作時のままとされた。そして日本情報部は対米諜報の一環として、意図的に旧史「一式陸上攻撃機」の写真とスペックを日系二世のアメリカ在住の協力者を通してOSSへ流したのだ。
「まさか米軍もあれが偽物だとはわかるまい。`本当`に制式採用されてるわけだし」
彼らは笑った。旧史の部隊運用されている際の写真を使ったトリックはOSSでも見抜けまい。
そのトリックは本当に成功を収めていた。
- アメリカ OSS
「うぅむ。日本の新型爆撃機の性能はこんなものか」
「どうなさったのです?」
「いや、ある局員が日本海軍と空軍の事情に詳しい協力者から日本新型爆撃機の性能をつかんできた。性能は以下のとおり。時速は450㎞。防弾は全く考慮されていない。防御火力と航続距離、運動性はいいが、逆を言えばそれしか無いと言える」
彼らは日本の新型機の性能に安堵する。この程度なら物量を誇る陸軍航空軍や海軍航空隊の敵では無い。すでにある程度の数が稼動状態にあるようだが、さして問題視する必要は無いだろう。
だが、彼らは気づいていない。それが米国を油断させるための日本の策略であることを。実際にはそれより遥かに凄い機体が配備され始めているなど、この時のOSSには想像もつかなかった。そして艦載機しかり。零戦二一型の写真が流れていたもの、二二型以降の性能は想像と協力者からの情報に頼るしかない。予測では最新型で540.1km/hであるが、実際は多少高速であることが考えられるが、モータリゼーションに立ち遅れている日本の技術力では十八気筒の2000馬力級エンジンの開発は困難であると思われる。
「ジャップにR-2800のようなモノは作れんだろう。戦車のエンジンに苦労しているような国にどうして大馬力航空エンジンが作れようか?無理だ」
「罠であることは考えられませんか」
「ジャップのイエローモンキー共にそこまでの知能はない」
彼らは楽観視していたのだ。日本の底力と航空技術力を。彼らの予想を超える勢いで日本は技術育成にひたすら邁進していた。その結晶たる「ハ43」2500馬力航空エンジンが1944年。ようやく実用化が近いと言われるようになった。だが、日本にとって試練の時が刻一刻と迫っていた。それはこの年に発生する東南海地震。それを見越した航空軍需産業の中京地域からの移転が今後しばらく地震が起きないであろう、京浜の新興工業地帯へ行われつあるが、間にあうのであろうか?防空態勢を「雷電」、「閃電」などの新鋭機と三式12cm高射砲、五式十五cm高射砲とレーダー網で構築途上の日本にとっての最初の難敵はソ連軍でも、共産党軍でも、米軍でもなく、有史以来人類が抗おうとしてきた大いなる自然界の力であったのだ。




