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蒼空の連合艦隊  作者: 909
すべての始まり~支那事変~
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第四話「飛翔、大戦第一世代の`翼`」

零戦がチラっとでます。試作段階ですが……。

-日本海軍は長期的計画のもと、行動を開始した。近衛総理による「第一次近衛声明」の阻止をすべく一個大隊が行動を起こした頃、三菱重工業では新型艦上戦闘機の設計の是正が行われていた。この頃の新型は後の零式艦上戦闘機。史実では急降下性能が米軍機以下、防御が無きに等しいという有様であったが、設計段階でその欠陥が海軍航空本郡~空技廠を通して`資料`を手渡されたので様々な手直しが行われる事となった。(ただし小型の瑞星搭載型では馬力に余裕が無いため防弾装備は多少に留まった。)

通信機は九六式空一号無線電話機が全ての機に搭載される予定だったが、さらに高性能の通信機を完成次第搭載ということになった。(ただし通信機の必要性から九六式空一号無線電話機も暫定的に搭載される)

「なあ海軍さんは何でこっちが作ってる飛行機の欠点が分かったんだ?」

「さあ?とにかく欠陥機を納入せずにすんだんだからその点は感謝しないと。ライバルも増えそうだし」

「よせよ。中島はともかく、愛知や川西飛行機なんぞ俺達の敵じゃないぜ」

「いや川西は局地戦闘機で俺達の牙城を崩そうとしてる。あそこに俺の弟が勤めてるから確かだ」


三菱の技師たちは口々に海軍の航空機開発方針の変化について語り合っていた。

海軍が競作を奨励する通達を出してからは今までどおりに三菱と中島飛行機の寡占状態になるのは起こらないだろう。これまで飛行艇の開発で有名だった川西飛行機は次期局地戦闘機の開発に意欲的に取り組み始めたというし、さらに艦上戦闘機市場への参入も視野に入れているとの噂も立っている。これが本当なら只ならない事態だ。愛知飛行機は爆撃機などが主体だから戦闘機市場へ参入できる余力はないとして、川西飛行機は技術力も確かで、次期飛行艇(九七式飛行艇)も制式採用が内定している。注意すべき敵だ。九州飛行機は……論外。これら航空メーカー群は競作によって競争を触発され、航空機開発産業の育成も加速された。果たして三菱は艦上戦闘機市場での牙城を守れるか!?(史実では雷電と烈風の存在でどうにか面目は保ったが、事実上次期主力戦闘機の座は川西の紫電改に奪われた)


「そう言えば試作機が支那で実用試験されるっていうのは?」

「本当だ。`乙`のほうだかね。ただ瑞星ではパワー不足だと言って中島の栄にされたのは悔しいが」

「昨日繰り上げの初飛行がされたって?無茶じゃないのか」

「異例だよ。試作にようやく成功した機体を半年くらいの試験飛行の後で急ぎ戦地に贈るなんて……」

「大丈夫か?」

「わからん。一応強度は`資料`同様に増強したが……何が起るかは……」


彼等、技師たちは新型機故に起こり得るトラブルを危惧していた。資料を元に強度は強化したもの、そうそう上手く事が運ぶは思えない。その可能性を減らすには試験を繰り返して少しずつ良くしなくては……と何とかぶっ通しの試験飛行で前線に送られるように仕上げた彼等の苦闘を褒め称えるべきだろう。



海軍が航空機関連で取った行動はもう一つ。航空機搭乗員の育成環境のさらなる充実と人員の増強。(史実での日本の敗因の一つは航空搭乗員の技量劣化。それをなるべく軽減するための措置)育成制度を増強し、広告で「軍は航空少年を待つ!!」と唄い、陸海軍への青年層の入隊を促進させ、さらに基地で展示飛行を開催したり、交流祭を実施。一般人の心に親近感を持たせる。極め付きは情報を元に大戦後期のエース達を海軍に引き入れ、重点的に育成を行うことを決定。その内の一つが示されたのは当時10代の青年であり、後期に海軍きってのエースパイロットとして名を轟かすはずの「菅野直」を口説き落として史実より早い段階で海軍兵学校へ入学させたり、杉田庄一を海兵団に入れさせるなどの措置。当人たちは困惑気味だったが、海軍航空隊の次代を担う人材である事が分かった以上、放っておけない海軍(陸軍に入られたり、別の道に行かれたら困るため)は援助を持ちかけたり、希望通りに航空機搭乗員とさせると口説き、どうにか成功を収めたわけである。


また、当時既に海軍に入隊済みでも支那事変や大戦でエースパイロットとなる人材は最大限活用する。他にも最前線で活躍する部隊とその搭乗員には、優先的に新型機を配備させるなどの支援を行った。これの最初の恩恵を受けたのは当時第十三航空隊所属で、支那事変のエースとして名を馳せ、「空の宮本武蔵」の異名で後世に名を残す武藤金義。翌年には彼の所属部隊に本国から試作段階に漕ぎ着け、そのまま実戦装備がなされた「一二試艦上戦闘機`乙`」が(史実での欠点はある程度是正済みで、栄エンジンを搭載済み)が実用試験の名目で贈られることが通達された。

彼等は九六式以上の高性能機が登場した事に歓喜したもの、試作品を押し付けられる事実には変わりないので第一三航空隊は賛美両論であった。


「上はいったいどういうつもりだ?試作品を押し付けるってのは」

「いくら武藤の奴が戦果をあげたと言っても……性急すぎるぞ」

「でもいいじゃないか。今度の試作機は九六式より遥かに航続距離が長いんだって話だ」

「お前なぁ~……」


彼等は上層部の決定に疑問を抱くが、九六式の短い航続距離では爆撃機の護衛が出来ない事実があった。それを打開できるかも知れない機会であるのは間違い無い。ここは上の判断を信じるしかなかった。






「1939年頃に日本軍の中国戦線に十数機の試作戦闘機が送られた。日本に潜り込んだ諜報部員からの報告では`Claude`(九六式の米軍内でのコードネーム)の後継機。現地で交戦したパイロットからの報告から推測されるスペックは九六式を遥かに超えるもので、速度・火力・機動性共に、欧米の最新鋭機の水準と同等以上の恐るべきスペックを持つとされる。

我々はこの恐るべき戦闘機にZeke(ジーク)と名づけた。日本はどういう理由か、海軍の後押しで対外政策を変化させて中国からある程度手を引き始め、陸軍部隊を本土に戻しはじめた。中国の国民党軍の一部は独断で追撃を行ったが、この新鋭機の前に国民党の空軍は歯が立たなかった』

この一文は一九四〇年頃に書かれたとされる米国の極秘書類に記されたもので、

当時の中国で日本軍が徐々に部隊規模を縮小させていく過程で起ったある空中戦の様子が書かれている。その戦闘機こそが米軍を驚嘆しらしめる最初の機種となる航空機。後の世で日本海軍航空隊の栄光の一幕目を飾ったと言われるその航空機の名は「零式艦上戦闘機一一型」。数々の運用上の試行錯誤が行われ、海軍に正式に採用されたのは1940年にまでずれ込んだもの、96式の後継たる戦闘機の初お披露目が行われたのである……。

ここに大戦第一世代の戦闘機がその産声をあげたのだ。-1938年のことである。

後の世の人々はその戦闘機をこう呼ぶ。「ゼロ戦」、「零式艦上戦闘機」と。

設計技師の堀越二郎技師は軍に大馬力エンジンの金星を積んでいる、いないの有無にかかわらず防御を施すのは不相応だと述べたが、後の世に製作された零戦のドキュメンタリー番組を見させられ、あのままであったなら欠陥機との烙印を押されていた事に、ぐうの音も出ないほどに叩きのめされたとか。





本来ありえないことですが、零戦の試作機がそのまま早めに支那事変に投入されたとしています。当時は九六式の不足気味な航続距離では爆撃機の護衛が出来なかったので、少なくない損害を負っています。それを軽減するために零戦を試作段階でも投入したとします。

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