第三一話「五式砲戦車の威力」
-と、いうわけでスターリン重戦車と対峙することになった5式砲戦車。
最新型の105ミリ砲はその貫通力は最高機密に包まれているが、その威力は後々のパーシングをも容易に撃破可能なほどであった。
「よぉしよく狙え……砲仰角20度。撃てっ!!」
105ミリ砲が吠える。ホリは日本特有の砲戦車という特殊なカテゴリーに分類される。車体側面装甲も今回の任務の性質上強化されており、傾斜した40ミリ以上の側面装甲を備える。この当時の日本装甲戦闘車両最高峰に近い戦闘力はT-34は愚か、スターリン重戦車(IS-2。日本ではJS-2という表記で有名)の装甲防御をも超えていた。
20両あまりのIS-2の内の戦闘の車両に105ミリ徹甲弾が命中し、火花が散る。150ミリ厚の装甲の貫徹を目指して作られただけあって相応の威力を発揮。車体装甲をぶち抜いて見せた。
「よし、上出来だ。第2、第3小隊は側面・背後の装甲をつけ」
「了解」
この日の戦闘で投入されたホリは配備分のおよそ半数以上の30両。現地改修のチヌ改(現地部隊が砲とエンジンを外国の強力なものへ換装し、増加装甲なども取り付けたモデル。本国はこの改修を承認。チヌの延命策として採用される予定)と共に奮闘し、重戦車隊を退けた。敵に位置を知られぬように巧妙に隠蔽しながら側面・背後を狙う戦法をとったからだが、ドイツ仕込みの機甲戦術と前史の自らが破滅と引き換えに残した隠蔽術のノウハウがこの戦果をもたらした。初陣としては上出来と言える戦果を引っさげて機甲部隊はこの日の任務を終えた。
遥はこの戦闘の報告に満足気に頷き、日本機甲部隊もようやく外国に引けを取らない水準の戦闘が可能になったという感慨に浸った。
「いい感じだ。これならアメ公との喧嘩でも前のように`発狂が続出`なんて事態は起きんだろう」
「アメ公は主力をM3にしたと聞きましたが、大丈夫なのですか?」
「大丈夫だ、アメ公の戦車発展は遅れている。こっちが喧嘩フッかけてないから軍事予算は少ない。それに米陸軍はこっちの情報局がわざと流した`チハ`の性能に安心しきっているからM4を量産するつもりは余り無い。パーシングの時のようにな。お間抜けだよ、ヤッコさんは」
遥は史実でM4の太平洋戦線での活躍に自惚れ、大西洋での『パンターやティーガーに勝てねえよ!!』という前線の声を無視し続けた米陸軍を揶揄した。アイゼンハワー将軍さえ激怒したと伝えられる上層部の失態。数を揃えるのはいいが、あまり前線の声を無視するのも良くない。この`顛末`をF情報により知っている日本軍は装甲戦闘車両での開発を平等なスピードで行い、部隊における砲戦車の比率を6対4程度にしているのだ。
なお、1943年以降、日本陸軍は部隊の機械化整備に力を入れており、一式装甲兵車「ホキ」を各部隊に配備して近代電撃戦に追従可能なように急いていた。これはF情報により日本陸軍の戦術思想がソ連戦までの期間に歩兵中心主義から装甲戦闘車両を中心にした電撃戦へ転換し、各部隊の機械化を重視したためで、歩兵戦闘車などののちの世で活躍する装甲戦闘車両の研究も開始されていた。
「さて、歩兵戦闘車の秘匿名称はどう決まった?」
「ハッ。`ホト`だそうですが」
「ホキの命名規則を当てたのか。まあ`あり`か」
大日本帝国陸軍の常識では戦車などの秘匿名称としてチやホなどの記号を当てるのだが、歩兵戦闘車などの未知のジャンルには装甲兵車と一くぐりにして、一式装甲兵車などと同じ名称規則を割り当てたのだと容易に推測できる。まあそうすることで一部にいる輩を説得できると踏んだのだろう。
「歩兵戦闘車は何を参考にした」
「マルダー歩兵戦闘車です」
「妥当な線か」
この時期、日本陸軍は現時点での科学力を旧史での1945年以降の水準に達していると判断していた。装備の近代化やインフラ整備の影響で科学が急激に進歩したためで、そのため史実の戦後日本が50年代に手にする技術も一部手に入れていた。その内の一つが工場での品質管理である。これは手にすることが叶わぬまま戦前体制の終焉を迎えた物で、戦後体制(日本国)の繁栄を支えた要因の一つ。新史ではこのようなところも変わっていった。特に航空エンジンや関連部品の安定的品質による生産や大型機専門であった川西航空機の小型機用翼の品質改善などの効果が大きく、新史での日本兵器が旧史と完全に別の物へ昇華した要因でもあった。




