第二八話「新史の大東亜決戦機の産声」
-日本軍次世代機の大本命たる「疾風」と「紫電改」。両者は日本陸海空軍の本命としての力を十分に備えていた。史実と異なり役割分担がきちんとなされており、疾風は現主力の零戦及び鍾馗の後継たる甲戦として、紫電改は空軍の局地戦闘機の3番目(2番目は飛燕)の機種として開発された。疾風は空海軍統合機種の第一号として選ばれ、中島飛行機としては九五式艦上戦闘機以来久しぶりの制式艦戦の名誉を得た。中島飛行機の確かな技術陣もそうだが、イギリス・ロールス・ロイスの提携による機体設計の見直しやかの国の工業技術による高高度性能の向上に伴う技術である排気タービンや予圧キャビンや耐Gスーツの開発、ジャイロ式見越し射撃角自動補正機能付照準器もイギリスとの共同研究で行われ、新規・既存機種問わず1943年以降に高高度飛行に必須な排気タービンが甲各機種に搭載された。その重量増大に対応してエンジン出力の向上なども行われ、対米戦に備えられていた。
- 1943年 呉
「ううむ。来るスターリングラード攻防戦には強力な戦闘機や戦車が必要であるか。皆さんがたも承知しておりますな」
この年の第3回戦略会議は各国軍の首脳も参加していた。日本からは山本五十六や小沢治三郎を初めとする面々、ドイツからは陸軍のロンメル将軍(史実で上げた功績で昇進)、空軍のアドルフ・ガーランド少将などが参加、フィンランドからはカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム元帥も参加しての大掛かりなもので、対ソ攻勢に必要な物についての協議が行われた。この時期、フィンランド救援は日本などの強力な顧問団の活躍もあって成功しつつあり、来年には日本が誇る最初の戦略爆撃機として制式化予定の「連山」(B-17などを基に完全な爆撃機として一から再設計した。そのため搭載量は史実とは段違いに多い)が生産される予定なのでそれの完成を待って攻勢をかけたいところだ。
航空機は日本は既に雷電・飛燕までを制式化し、疾風と紫電改が実用試験中、ドイツもFw190シリーズがメッサーシュミットを後継する機体として配備されている。(高高度性能は改善されている)し、イギリスも後期型のグリフォンエンジン搭載型が日本の`F情報`(連合軍の間での未来情報の通称。とあるイギリスの将軍が未来というとフューチャーではないかと発言したことがきっかけで連合軍の間で広まった)のおかげで早期配備に成功しつつある。戦闘機に関しては良好だ。
戦車は日本が四式中戦車の開発に取り掛かり、ドイツは主力を改良されたⅤ号戦車「パンサー」へ更新を始め、イギリスはMBTの先駆たるセンチュリオンの早期開発に躍起になっている。T-34-85への対抗策は急務であり、とりあえず簡易版ガンシップと言える、旧型爆撃機に大口径砲をとっつけた物が連合軍で緊急生産されているが、次世代戦車の本格的配備は整えなければならない。
「戦車などに必須な電撃戦はグデーリアン閣下が各部隊に講義を行う手はずになっています。これで効率はだいぶ上がるでしょう」
ロンメルの発言に各国陸軍首脳はうなづく。彼らドイツ軍は世界に先駆けて電撃戦を成功させた軍隊であり、旧史でも大戦序盤は圧倒的強さを誇ったので説得力に溢れている。
「ソ連はT-34を主力として増産しつつあるが、やはり米国の支援が少ないことでヒーヒー言い始めている。このたびの攻勢で陸の趨勢は決するだろう。海軍は強大な戦艦と機動部隊を持つ日本海軍の敵ではない」
数合わせで旧式兵器すら投入したソ連だが、資源援助の少ない状況では物資が困窮するのは目に見えて現れてきた。攻勢をかける戦車の数が段々と減ってきているのだ。米国からの大々的なレンドリースも無いので兵站が立ち遅れていたソ連は攻勢をかけるだけの戦力をやりくりするのにも苦労し始めていたのだ。膨大な予備戦力が売り物なソ連だが、それは動かす物資がなければ何の役にも立たない事を連合軍は知っていたのだ。
「ドイツのZ計画はどうなのです?」
「あれはビスマルクの発展型が只今建造中です。名は「フリードリヒ・デア・グロッセ」と「グロースドイッチュラント」と決定されております」
これはH級戦艦の事である。ドイツのZ計画は開戦時期が遅れた事が幸いし、至って順調に進んでおり、日本海軍が提供した赤城の図面を基に建造されている「グラーフ・ツェッペリン」とその2番艦「ペーター・シュトラッサー」も戦力化は近いなど、かつての大艦隊の復活を密かに夢見ていたヒトラーは小躍りして喜んだ。(この時空のアドルフ・ヒトラーは海軍の整備にも理解を示していた。何でも第一次世界大戦当時に旧史の自分と違って、大洋艦隊を目にする機会があり、その勇姿に年甲斐もなく憧れたと1950年代の総統引退後に日本の雑誌のインタビューに答えている)
「我がイギリスも日本から提供された46cm砲の図面を基にライオン級の備砲として開発中です。45年には実用試験をパスしたいとの事ですが、アメリカはどのような艦を建造中なので?」
「それについては我がF情報からお伝えしましょう。米国は旧型戦艦の代価としてノースカロライナ級2隻とサウスダコタ級戦艦4隻を建造中ですが、いずれも16インチ砲搭載で、18インチ砲標準の我が連合軍新戦艦には及びません」
「ふう。それなら安心だ」
山本五十六がそういうと各国軍首脳は安堵する。アメリカは未だ16インチで各国に優位に立てると思っているらしいからだ。フランスに至っては14インチ砲だ。大艦巨砲主義の原理から言えば、自分達は絶対的優位にいるからだ。-だが、既に日本はその上を行く20インチ(51cm砲)を実用化し、22インチ(56cm砲)の開発に取り掛かっていた。それは日本が既に51cm砲に新戦艦の艦砲を更新していたからこそ一世代前の46cm砲を輸出した事の証明でもある。その事実は連合軍にもしばし伏せられ、1950年に開示される。新戦艦のお披露目を兼ねて……。
-同時刻
「疾風の量産準備だ。急げ」
「半年後には整えてみせます」
中島飛行機は着々と疾風の量産体制を整えていく。大東亜決戦機として空母にまで搭載されるからだ。
名古屋から開発中の京浜工業地帯へ主力工場を移転させた中島飛行機などの軍需工場は東南海地震に備えての未来情報による耐震構造だ。そこで疾風の試験は続けられているが、結果は良好だ。
関係者は一様に疾風の産声を心待ちにする。旧史の屈辱を自らの手ではらせるのだから当然だ。来年の1944年には量産体制を完成させられる。東南海地震は恐ろしい。そのために国は新工業地带の振興を急ぐのだという。疾風の量産体制に支障が出ては元も子もないからだろう。
「あれが試作100号機か」
「はい。対爆撃機用に重武装を進めました。30ミリ砲搭載です」
「戦闘機用は20mm機関砲4門としています」
「これを軍はどうすると」
「甲・乙と制式化すると通達が」
「そうか。試作を重ねた甲斐があったな」
「今日は100号機のテストですが、ご覧になります?」
「そうしよう」
中島知久平は疾風のテストに立ち会うといい、外へ出て行く。彼の平行世界を超えた情熱は凄まじい物があった。