第二七話「日本軍の兵器開発 ジェット戦闘機編 1」
中島戦闘機の野望です。
―日本本国で着々と配備が進められている初のジェット機「火龍」。その性能はこの当時としては最高速度を確保したもの、対戦闘機用としては使えない運動性であった。幸い日本はどのようにしてジェットエンジンを発展させ、機体を設計すれば最高の性能が得られるのか把握していたので発展速度は速かった。1944年から設計が開始された新型機は「迅電」(史実では名のみが後世に残された機体。存在が疑問視されている)の名を拝借した火龍後継のエンジン胴体埋め込み式・後退翼設計のジェット戦闘機計画が始まった。他には将来的な実用化を目指して設計されているデルタ翼式の震電改二型(史実では計画さえされなかったものだが、九州飛行機はこのアイディアを採用し、設計を開始した)がスタートしている。三菱は雷電の実用化後は烈風に力を注いでいるのでジェット戦闘機への余裕は無い。将来を見据えた計画は確実に始まっていた。
-中島飛行機
「ほう……これが次期主力ジェット戦闘機のモックアップかね」
「はい。胴体埋め込み型ジェットエンジン搭載、後退翼装備の次世代型です」
「それで何をパクった?」
「F-86Fです。まずはあれをパクってみました」
「そうか。速いペースだな……この分だと次の次にはファントムをパクれる」
「エンジンも機体も資料の通りに作ればいいだけですしね。金属の研究や実用化も順調ですし」
この世界での日本のジェット戦闘機開発は技術的堅実性から、史実の米国の機体を模倣することで技術を蓄積して行った。その第一段階が「セイバー」の模倣である。中島飛行機はその後も日本のジェット戦闘機開発の先駆者として日本のジェット戦闘機開発を牽引していく。ジェット戦闘機の整備には工業力の増強も必須なので同時に国家的プロジェクトとして進められていく。そして日本には一つの安心があった。マスタングにマーリンエンジンを積む事を阻止できたからだ。アリソンエンジンのままならムスタングは食いやすい戦闘機であるからだ。逆に日本機が史実のマスタングの地位を手に入れることも夢ではない。マーリンエンジン搭載機の選定も行われている。
英国も同様に史実ではライトニングで途絶えた自国製ジェット戦闘機の道が開けたと大喜びであった。このように未来情報は同盟国間の第一級軍事機密として扱われ、同盟各国の技術開発に大貢献をした。米国はこのように次第に航空技術で水をあげられていった。そして、米国がその事実を知るのはずっと後の時代のことであった。その時の米国大統領の反応は「ぐぬぬぬぬ……」だったとな。