第一九話「ある日の空軍航空隊」
フィンランド派遣航空隊の一幕です。鍾馗の活躍にも触れます。
-日本軍の強化方針は遙の持ち込んだ資料によりハッキリと定まっていた。史実での弱点の補強を中心にインフラ強化及び本土防空システムの強化を重点的に行なっていた。43年に入ってからはイギリスを通して、アメリカから輸入したブルドーザーの国産化を急いでいた。工業力の強化及びインフラや飛行場整備の迅速化に寄与する工業機械は重要命題であったためだ。それらに搭載する懸架装置もトーションバー形式の研究が急がれた(戦車を軽量化できるために新式戦車には絶対に搭載しなければならなかった)。三菱重工業は悪戦苦闘を強いられた。
「ううむ……どうも治金技術が……」
史実では昭和30年代になってやっと国産化に成功するこの方式を10~20年代に実現させようというのだから、三菱の技術陣の苦労は並大抵の事ではなかった。此頃の日本の治金技術は38年からの増強を鑑みたとしても欧米列強にはまだ一歩及ばない水準でしか無く、3式中戦車の開発時でも信頼性の問題を解決できずに日本で伝統的に用いられる蔓巻バネ懸架方式(43年2月製造分からは試作のトーションバー形式に切り替えられる予定であるが)が用いられた。開発陣のチーフの嘆きも当然であった。無論、ブルドーザーでトーションバー形式を実用化出来れば、それを戦車に応用するだけで済む。ブルドーザーの国産化に成功すれば今の人力よりも遙かに迅速な工事が出来るようになる。アメリカからの輸入品に頼っている現状も解消出来るのだが。一線装備の開発に比べると立ち遅れているとしか言いようがない。(これは日本が10年代になってから初めて輸入品を通して、建設機械の威力を理解したからに他ならない。史実では建設機械群が完全に機械化されるのはここから20年以上後の事なのも日本の機械力への無理解と無頓着を示している)
三菱は九七式、一式の三つのモデル、三式と戦車関連の技術は発展させてきたが、民間用の技術の研究は立ち遅れていた。ここでも正面装備偏重の日本軍の悪影響が出ているが、
以前よりはマシだった。この年はイギリスなどからの技術提供などに呼応して全ての工業製品に国家規模の工業規格の創設がなされた初めの年で、民間で独自の基準が設けられていた日本に置いては熟練工によって微妙な誤差が生じ、`同じ製品のはずなのに部品があわない`という事態が頻出していたのを改善する意図があった。そして軍需含めての各企業には`品質管理の徹底`が法律で定められ、`大日本帝国`は`戦後日本`の要素を備え初めていた。
―対ソ戦開始後の`連合軍`は守勢でソ連軍と相対するケースが多い。この日も日本の航空部隊がフィンランド軍と共に制空権を死守するべく、奮闘していた。
二式単座戦闘機`鍾馗`(単座と付くのは、複座戦が作られていたためだが、その複座戦は早々に制空に適しないとされ、臨時の防空戦闘機に切り替えられた。その為に同時に作られた中で本来の用途で威力を発揮したのはこの機種のみとなった)二型は今日もその高速性を以てして華々しい活躍を見せていた。重戦の威力を空軍が改めて認識したのは、ソ連機との空戦の戦果に寄るものだ。
二式単座戦二型は発動機をより大出力のモノへ換装し、一型では武装がエリコン系列と混在していたのをホ5へ統一した強化型で、43年にはこの型が二式単戦の主力生産モデルとして量産されている。支那事変時以来、零戦を上回る戦果を挙げる事も多い鍾馗は`恐るべし機体`として国内外で名を上げていた。(性能は偽装情報で伏せられているが)
遥は史実とは異なる様相を呈する空戦の構図にも動じることなく作戦を練っていた。元々元の世界でそういう方面のTVゲームやトランプなどをやりこんでおり、戦略を練る素養を鍛えられていた。その成果は確実に実りつつあった。(兵は詭道なりの要領)
―作戦室
「いいか、制空権は絶対に確保しなくてはならん。爆撃機や攻撃機が実力を発揮するには貴様達の双肩に掛かっている」
航空部隊の戦闘機搭乗員達を前にして、講義をする遥。この時の彼女の言葉には説得力があった。その原因は支那事変最末期の空母乗艦時、一度臨時で`加賀`に乗艦していたときの事。ある日、戦闘機搭乗員の一人が腹痛で倒れてしまい、出撃不能に陥った。出撃数の定数を満たせない事に首脳陣は大慌てになったが、遥が臨時で乗り込む(訓練の際に自ら操縦桿を握ったことがあったため)と宣言。参謀の地位にも関わらず、零戦二一型で空戦に参加。その日の空戦でP-40を2機撃墜し、実戦で日本女性が戦果を挙げた最初の事例を作ってしまった訳である。それからは`空戦も出来る女参謀`として搭乗員達の間で有名になり、現在に至る。
「参謀、ヤク戦闘機は零戦より早く、巴戦に持ち込む自身がありません」
「いいか、零戦で速い奴と殺り合うコツは……」
若い搭乗員が遥に質問をする。その搭乗員は訓練課程を終えたばかりで、今次大戦が初陣となる世代。零戦でヤク戦闘機と巴戦に持ち込む事に苦労しているようで、オドオドしている。遥はその搭乗員に零戦で速度に優る機体との戦い方のコツを説いた。それは後にベテランが用いた、米軍機との戦い方と同じ方向性であるが、若いヒヨッコにも実践可能なものだったと、この日に参戦していた別の搭乗員が回想録に記している。
「参謀、新型機が配備されたと聞きましたが本当ですか?」
「ああ。試作の段階だが、次期局地戦闘機の`雷電 `と五式の`飛燕`が回された。我々はこれのテストを実戦で行う。不具合あればすぐに報告しろ。メーカーの開発に役立つからな」
別の搭乗員の質問にこう答える。それは事実だからだ。
-フィンランド軍事顧問団航空隊には実戦テストの名目で新型機が優先的に配備されているが、今回は恵まれていた。本国で次世代機のいくつかが、なんとか試作段階に達し、実用試作機が回されたのだ。兼ねてから三菱が局地戦闘機として開発している雷電、川崎の五式戦闘機`飛燕改`(三式として試作されている機体のいくつかを空冷へ転換して完成させた機体。飛燕の改タイプなので、非公式に飛燕改との愛称で呼ばれる。既に疾風が`四式`として採用されていたのと、それぞれ別々に採用されたので番号が前後し、奇しくも史実の制式名称と一致した)の実用試作機が回されたのだ。
「ありがとうございます。それでそれらに乗れるのですか?」
「若い貴様らが乗れるかどうかはクジで決める。希望者は一時間後に司令まで言いに来い」
颯爽とした物言いで振舞う遥。彼女の凛々しさは存分に発揮され、既にフィンランド軍の間では
`ヤマトナデシコのサムライ`として有名になりつつあるが、当人はそのことはまだ知らぬ存ぜぬであった。この時、16歳。まだうら若き乙女であった。