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蒼空の連合艦隊  作者: 909
すべての始まり~支那事変~
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第二話「帝国海軍、戦う前に敗戦の事実を突きつけられる」

1937年から大日本帝国海軍はマル3計画と呼ばれた軍備整備計画を実行していたが、

1938年に入って、計画は変更され、砲艦などの小艦艇の建造がいくつかキャンセルされた代わりに空母が一隻増加された。それは米内光政や山本五十六などの航空主兵派の横槍だと大艦巨砲主義者達は批判していた。だが、時代は既に航空機の時代に突入していたと言っていい。現に日本海軍では当時の最新鋭機「九六式艦上戦闘機」が他国のど肝を抜いていたりしていたが、まだ大艦巨砲主義を揺るがすにはいたっていなかった。

建艦計画で追加建造された第5号艦。この船が日本海軍の未来が変わり始めた事を示す航空母艦の第一号となるとはこの時、誰もが予想だにもしなかった。そして戦艦の搭載予定の対空兵装の変更……艦政本部はてんやわんやの騒ぎに追われていた。









 ―1938年は昭和13年。国内はまだ近衛内閣で、「ぜいたくは敵だ!!」などというスローガンはまだ出されていない、至って平和な風景が広がっていた。さすがに時勢故に軍事色が出始めていたが、1944年以降ほどでなく、まだ大正期の自由さの面影が残る。街並みは現在の高層ビルが立ち並ぶ摩天楼とは違った、趣のある風景だ。物資面は長引く戦争で、様々な代用品が出始め、そろそろヤバいといった雰囲気が一般人でもわかるようになった時代だ。


「戰前の町並みってロマン感じるよな……」


軍服姿で闊歩するのは岬遥。彼女は建前上`海軍将校の娘`として振舞っている。(タイムスリップしてきたのは曾祖父や一部の海軍高官以外には秘密。家族への説明は曾祖父がなんとか考えておくとの事)山本五十六の奇抜なアイディアによって、史上初の女性の帝国軍人(シンボル的存在を求めた上層部の思惑によっていきなり少尉になってしまった)として起用された。今のところは海軍航空技術廠に派遣されている。職場ではさっそく上司にこき使われ始めた。所属部署は飛行機部。さっそくながら、所属する科学者達は後の世で日本の発展を支える人材が多く、発想面では欧米に遜色ないのだが、技術的信頼性を無視する傾向が多い。(発想で勝とうとしているのか、信頼性なんぞ二の次という感じである。)

「三菱じゃ零戦(現在は一二試艦上戦闘機と言うべきか?)の金星搭載型の試作がもう指示されて泡を食ったらしいけど……堀越二郎には頑張ってもらうか。欠点も指摘しといたし……。おっ今日は`会議なんだった。急がないと」



ここで名が挙がった、堀越二郎とは、当時三菱に務めていた航空技術者。零戦や雷電の設計者で、戦後はYS―11を作る事でも有名。彼は極めて優秀だったが、戦後に`何故零戦に金星を搭載しなかったんだ!!`と自らの終生、後悔していたとの記録が残っている。この時期の新型艦上戦闘機の発動機選定では、軽馬力エンジンでの「瑞星」、後のベストセラーエンジンで、大馬力の「金星」の二種類が残っていた。史実では三菱は制式採用を狙って瑞星を選んだのだが、海軍が`多少大型になってもいいから大馬力にしてくれ`との要望を出したことで金星が本命に内定した。(ちなみに金星とは、1937年に制式採用された航空エンジン。出力はこの時点で既に1060馬力を誇り、中島飛行機の栄を上回る性能を持っていた。さらに遥の持ち込んだ知識で大戦中安定した稼働率を見せていた事を知った海軍は金星に注目し、急ぎ試作指示を飛ばしたわけである。ちなみに当初内定していた瑞星も実用採用試験の名目で搭載機の試作指示は撤回されず(三菱では、社内で金星搭載型を`甲`、瑞星搭載型を`乙`と呼んでいる)双方とも1年後には初飛行に漕ぎ着けられると海軍に通達が届けられた。)


設計者の堀越二郎は戦後の雑誌でのインタビューに`どういうわけか海軍が設計の不備を知らせてくれ、零戦を欠陥持ちの戦闘機の烙印から救ってくれた`と語るが、その詳細は三菱社内で機密指定されており、関係者の証言からの推測でしか全容を知ることは出来ないと、後の世の軍事関連誌を賑わす事になる。









 遥はこの日、海軍省に招集され、海軍省・軍令部の`合同戦略会議`に参加していた。これは米内光政海軍大臣直々のご達しのもので、将官~少尉に到るまでの将校の代表(艦隊司令や学校長は全員参加)を集めて行われた。目的は`今後の戦略を決めるため`とされ、極めて異例な出来事だった。



「諸君に集まってもらったのはほかでもない。我が帝国海軍の今後の戦略を決めるためである。……早速だが、諸君の手元に配布された資料に目を通すように。今回の会議にとても重要なものだ」

会議が始まると、この時期の軍令部総長であった伏見宮博恭王が第一声を発した。彼は皇族でありながら海軍軍人気質を備えており、海軍内で絶大なる影響力を誇っていた。今回の件においては右派の軍人たちを納得させるのは海軍大臣といえ容易な事ではない。そこで米内海軍大臣みずから`帝国の興亡に関わること`と彼を説得し、会議に出席しもらったのだ。



机に置かれた資料の内容は今後、米国が戦争で取り得る行動が事細かに記されていた。

米国のエセックス級航空母艦の量産計画、日本が守勢に回った場合のシュミレーション(これは会議の4日前に民・軍共同で行ったもの。運命の皮肉か、未来で史実として知られる戦争の経過とほぼ一致する)の経過。そして原爆の存在とその破滅的威力……

帝国海軍は戦争をやる前から『米国に喧嘩を売って長く戦争やれば、破滅的に負けます』という事を突きつけられたのである。


「これはいったいどういう事なのですか!!」

「日清、日露、支那事変と実戦経験豊富な我が軍が米比戦争以来、実戦を行っていない貧弱無比な米軍などに遅れを取るハズがない!! 」

「閣下達はあんなヤンキー共に臆したのですか!! 」


海軍若手将校達は一様に机を`バン`と叩いたり`ゴスッ`と拳を叩きつけるなどして、憤慨するものが続出したもの、しょうがないが、この当時の日本軍と米軍とでは実戦経験に差があった。それに国力差が明らかな日露戦争に勝ったというのが日本軍の自信の源であったわけである。それを一気に崩す研究結果を叩き付けられたのだから。国力差は戦争の動きには重要だが、絶対的なものではない。過去には桶狭間の合戦での織田家が今川家を打ち破ったし、この時代の20数年後に起るはずのベトナム戦争で最強国家であった米国も長期戦の末に敗北を喫した事でも証明されている。しかし日本と米国とでは戦力・基礎的工業力に差がありすぎるのだ。それを知る伏見宮博恭王や米内光政らはそんな若手将校達を制止、続きを言う。


「この資料は私達が部下に極秘裡に調べさせたものだ。このエセックス級正規空母は米国ではまだ計画段階のものだが、予定されているスペックは102機の搭載機と300m近い全長、充実した対空装備と、我が軍の最新鋭、蒼龍や飛龍を圧倒的に上回る高性能艦だ。それが24隻も作られるとの事だ……これでも臆せずにいられるかね」


2人は`部下に調べさせた`といったが、実は半分嘘である。実際には遥が山本五十六などにもたらした未来情報を基に、諜報に関わる将校が調べたかのように形を整えただけであったが、情報自体は真実には違いない。


「……凄いの一言ですな。」




この時期、連合艦隊司令長官を務める吉田善吾の参謀長の高橋伊望少将が唸るような声を発した。圧倒的な性能を持つエセックス級が多数量産されるという情報は世界初の空母を作ったという自負を持ち、航空戦力に自信のあった帝国海軍軍人たちをして一応に落ち込ませた。


「閣下、発言をしても宜しいでしょうか」

示し合わせていたかのように遥が立ち上がり発言の許可を求める。彼女は米内光政の肝入りで特別に会議に参加していた。(一応階級は条件を満たしていた)並み居る提督達の中には`女を国運がかかるような会議に何故参加させるのか?`との陰口が聞かれたが、米内海軍大臣直々の命令で参加したと伝わると押し黙った。


「構わんよ」


米内が促すと遥は発言を行った。彼女が女性でありながら軍人になれたのは日本帝国の国際連盟への示しの一環の施策であった。第一次世界大戦後に人種的差別撤廃提案を出した日本はその信念を行動で示したいという思惑があったからである。


(この世界だと松岡洋右の有名な退席事件が起こってないんだよな。国際連盟から脱退表明もしてない。要するに国際的孤立を恐れた政府が彼を失脚させてすげ替えたってことだけど。アイツヤク中らしいし、史実だと「日米諒解案」も瓦解させてるから、まあ当分刑務所で過ごしてもらおう」)


遥はこの時から既に政治的に発言力を持っており、史実の日本外交混乱の元凶とも言える松岡洋右を政府から手を回して刑務所に収監させていた。容疑は`共産主義者のスパイ疑惑`。これは彼自身の発言を根拠にして行われた。彼自身は`無実だ`と言っているが、ウォッカに酔って発言したという証言があることを根拠に檻の中で生活する羽目にさせた。

それで女性が軍人になれるのに必要な法整備を一ヶ月かけて進めさせ、38年2月までに海軍少尉として正式に任官されたのだ。







「諸提督の方々も資料をご覧に成ったと思いますが、このままでは敗戦の未来が待っているだけであります」

「その根拠は何だね」

「米国の国力はゴキブリのようなものです。いくら倒してもゴキブリのように沸いて出てくる……駐米武官を経験した方はもうお分かりと思いますが……4年前の『或る夜の出来事』のような映画をたとえ戦争中でも余裕で撮影できるような国に本気で勝てるとお思いですか?」


ここで遥は30年代の代表的な映画の一つを例としてあげた。アメリカの国力を示すには、大作とされる映画などを例にあげて説明する必要があったからである。40年代に入っていれば「風と共に去りぬ」を例として取り上げたいのだが、運の悪いことにこの時はまだ30年代である。日本でも公開されていてアカデミー賞を取った映画というとこれくらいしか思い浮かばなかったのだ。


「確かにあの映画は良かったが、戦争中でもアレ以上の映画を取れそうなのは目に見えているな」

軍務局長で、史実では最後の海軍大将となる井上成美少将や第二艦隊参謀長で、後に大和の特攻時に座乗する事で有名な伊藤整一少将が納得したように同意を示した。井上はヨーロッパ駐在、伊藤は駐米経験を持っていた。2人とも米国の力は知っているので、遥の発言に納得したのだろう。


「その通り。そこで我が帝国海軍は如何にして`勝てないけど負けはしない`戦争を行うか、が急務なのです」

「……`勝てはしないが負けはしない`戦争か。確かにもう1年も支那で国民党相手にヒィヒィ言っている陸助の二の轍は踏みたくはないものだ」


ちなみにこの陸軍を侮蔑する将官は豊田副武。歴史(前史と呼ぶべきか?)では古賀峯一大将亡き後の連合艦隊司令長官を務めるはずの人物。大の陸軍嫌いで、陸軍の隠語だけで隠語百科事典が作れるともいわれたほど。彼は海軍が陸軍のような失敗を犯すのを危惧していたのだろう。だから陸軍を揶揄したのだ。

ちなみにこの時期、既に陸軍が支那事変……日中戦争を起こしていた。陸軍の高官が天皇陛下の前で「支那軍など2ヶ月で屈服させて御覧に入れましょう」と豪語して戦争を始めたが、実際はとうとう終戦まで出来ずじまい。さらにソ連軍の参戦で戦後も語られるほどの悲劇を産んでしまうのだ。


海軍が泥沼のような事態を避けるにはどうすればいいのか?

彼等は懸命に対策を模索し、瞑想する。そして時計の針は午後12時を指そうとしていた……。



史実では建造されない翔鶴型航空母艦の3番艦。これが歴史が変わり始めたファクターとなります。

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