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蒼空の連合艦隊  作者: 909
大戦準備~1941年から1945年~
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第一三話「翔鶴型航空母艦、戦艦大和、完成す」

大和の戦力化です。

‐日本陸軍という組織は戦後も伝統・人材を自衛隊に引き継いだ海軍に比して不幸な組織である。長い間陸軍悪玉論の矢面に立たされ、主に東條英機一派の愚行が大日本帝国体制を否定する言論の根拠ともなった。それは連合軍が自分らの都合に合うように日本陸軍を悪と称したのと、当時の国民の中にあった陸軍蔑視の風潮が戦後の日本人に受け継がれてしまったためである。この敗北と存在否定の結末を知った陸軍参謀総長の今村均はそれを避けるべく、岬家所蔵の未来資料を元に、陸軍の近代化・機械化を急いでいた。


 その過程は以下の通り。


手始めに一式装甲兵車「ホキ」を多少の設計改良とエンジンの改良・装甲強化をして41年に正式採用。直ちに量産開始された。同時に、一式中戦車ベースに改良対応した装甲工作車`セリの正式採用がなされた。一式中戦車も後期型である、三型(性能全般を強化し、更に戦車戦に最適化した型)に生産ロットが移り、38年からドイツの援助を加えて研究されている日本の野砲で比較的優れる`九〇式野砲`を戦車砲に改良・強化する作業も完了し、直ちに搭載された(4式の備砲の開発までの繋ぎ)。1式3型の性能は史実での3式`チヌ`をすべての点で上回るモノとなった(新開発の空気清浄機も当初から設置されていた)。そして同時に各種インフラ整備が46年を目標に各地において、急ピッチで進められる。(中期以降の大本命たる4式中戦車を外地に運べるようになるための施策や国内の機甲師団の運搬を円滑にするため)当時工事中の関門鉄道トンネルの全線開通も急がれ、新丹那トンネル・日本坂トンネル(史実で東海道新幹線に使われるもの)の工事も進められた。同時に港湾施設の近代化・港湾設置のクレーン能力の強化・新式戦車運搬に耐えうる高速輸送船の設計も進められる他、44年の東南海地震に備えて、京浜工業地帯となるはずの地域を開発開始するなど、国内を豊かにするための策が講じられていった


その際の日本での標語は`帝国の工業化に邁進せよ!`というもので、中国の権益をほぼ放棄してまで工業化を推し進める日本の姿は外国におおむね`猿真似ばかりが能ではない`と称されるほど必死な形相に見えたと当時の外交官らは語る。



‐そして1941年の12月。日本海軍は最新鋭戦艦を手にする。一号艦、いや`大和`が完成したのだ。武装は比較的史実でのレイテ沖海戦当時に近い形に変更され、電探も当初より装備されている。ダメージコントロールもより、実践的な形で取り入れられた。(陸奥や空母改装前の日向・空母`龍驤`が実験を行った)の成果が取り入れられた。本来同型艦となるはずの2号艦は当初より竣工が遅れる(大型化などの全面改良のため工期延長され、排水量が更に2万トン増大する見込み)だが、その戦力は新鋭空母が補って余りある。翔鶴、瑞鶴、そして`飛鶴`の3隻の翔鶴型航空母艦である。これらは海軍工廠が血眼になって開発に成功(と言っても、史実の米軍のエセックス級航空母艦搭載のものをコピーしただけであるが。以前より工業力が飛躍的に進歩したおかげでコピーに成功した)した空母用カタパルトが当初より装備されている。搭載機も最新鋭の零戦二二型などで固められ、一躍日本軍の最有力航空母艦に躍り出、第一航空艦隊の一翼を担う事になった。そして旗艦は赤城が大掛かりな第2次近代化改装に入るに従い、瑞鶴が代理という形で、その任に就いた。




‐翔鶴型航空母艦は対空・対艦兵器として実験的に十二糎二八連装噴進砲・改(史実での運用上の問題をできるだけ是正・対艦用に転用可能なように強化したもの)を、主力高角砲に六五口径九八式一〇糎高角砲の全面改良タイプ(砲のコントロールなどを機械化し、試作のレーダー連動射撃管制装置などが装備された)が装備された最初の航空母艦であり、この歴史での日本海軍を象徴していた。


また、この時期に人的劣勢を補う形で導入されていた女性パイロットの数も41年末では空母艦載機部門の訓練生が続々新卒したために男性8、女性2の比率まで増加。いつの間にやら各地にいる女性搭乗員達が集まり、`女性航空搭乗員会`なるサークルも設立されていたりしていた。


航空機にも近代化の影響は及び、99式艦爆には早くもガンシップ型が登場、97式艦攻に魚雷以外の攻撃法の模索として、対艦ロケット装備型が試作されている。無論、それらの成果を盛り込んだ後継機が開発されているがまだ形になっていない。


ちなみにこの対艦用ロケット弾の実験は新時代の航空攻撃の戦訓獲得のために標的艦`摂津`をターゲットに行われた。


「頼むぞ……行けっ!!」


97式艦攻が敢行するロケット弾が発射される。それは後々の対艦ミサイルの芽になるロケット弾運用法の開拓の為の実験である。航空魚雷がいずれ旧態依然となる日のための対策だ。この時、使われたロケット弾は97式の飛行性能の限界と技術力の熟成不足もあり、決して性能がいい物とは言えないが、敵の戦闘力を削ぐには有効だと判断された。命中箇所は最新鋭の艦なら機銃座や高角砲が設置されているであろう場所。場合によれば弾丸が高角砲の砲身に飛び込んで破壊することも考えられ、日本海軍・陸軍・42年発足の空軍はそれぞれの分野でロケット弾攻撃法を研究を進めていく。




此頃の様子は後々……遠い未来で子孫らによって岬家で発見された、遥がこの時期に書き残した日誌に詳しく記されている


『1942年1月15日。ハ42搭載が決定された次期主力戦闘機の開発も形になってきた。空軍向けの低空防空機体には紫電改、制空用には疾風の名をつけた。後は迢空防衛用の雷電や飛燕がどの程度のものか。問題は急降下爆撃機と攻撃機の統合だが……流星でいいか』


その事は暗に、遥が無事に大戦を生き延び、子を成したという事を示していた。そしてそれを発見した子孫の中には転移時の遥とソックリな容姿の子供がいた。その子が遥の生まれ変わりかどうかはその時期の家族の間で物議を醸していたりするが、それは別の機会に……。


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