第十話「日本海軍の新兵器開発と遥の武勇伝」
-1940年初頭。この年、日本は支那事変の終結への糸口を確かなモノにできた。米内光政はこの事を日中和解として大々的に寛伝。未だ中国各地の軍閥とは戦闘が続いているもの、なんとか最大勢力の国民党との和解に成功したのは大きかった。そして日露戦争の戦訓である`技術力`の勝利を最大限活用するべく技術革新を急いでいた。建造段階にあった後の大和型戦艦と翔鶴型航空母艦は当初から電探装備艦とされる事が決定され、電探も38年から一級計画として膨大な金をつぎ込んで開発に取り組んだ結果、仮称二号電波探信儀(史実と異なり、ドイツとの共同技術開発により精度が良くなっている)が40年に入って開発に成功。長門型戦艦「陸奥」を電探テスト艦として試験運用が開始された。この時点では戦艦や空母などの大型艦船にしか搭載できないという欠点があり、小型化が課題となっていた。同時に対潜兵器の開発も電探及び音探と共に必死に開発が行われていた。
岬亮一中佐のすぐ下の弟である「岬猛」(海兵第55期)は駆逐艦「満潮」という竣工3年目の新鋭駆逐艦の艦長として赴任してきた。兄や`姪`の関係で山本五十六に目をかけられ、新兵器開発に携わっていた。その新兵器とは「ヘッジホッグ」。史実ではイギリス軍が開発する対潜兵器である。日本軍は前史で自らを苦しめた兵器や運用ドクトリンを徹底的に研究し、敵より先に自らの手中に収めるべく遥がもたらした資料を活用し,組織そのものの体質を改善しようと努力を重ねていた。
「兄貴の言ってたこのヘッジホッグと対潜高性能ソーナー……どれほどのものか」
彼は乗艦を率いて海軍艦政本部が前年の暮れになって試作品を完成させた`対潜兵器`の切り札ともされる新兵器の実験に参加していた。ドイツ海軍との共同実験なので模擬標的とされる潜水艦は当時最新鋭のUボートIX型である。(当初は標的に国内の伊号を押す声があったが、史実で伊号は米国などの連合軍の前に殆ど撃沈されていることを知る遥が上層部を説き伏せ、潜水艦大国であるドイツ海軍に協力を依頼したのである)
Uボートは史実で連合軍を恐怖の呑底に貶めたドイツの潜水艦技術の結晶である。それを基準に開発された新型ソナー(海軍内ではソーナーと呼んでいたが)は鋭敏にUボートのエンジン音をキャッチする。
「感あり!!目標、三時の方向に航行中!!」
微かなスクリュー音と音波の反射音をキャッチする。感度は良好なようだ。猛艦長は続いて無線でUボートにその場から離脱するように伝えるように部下に命じ、次の実験であるヘッジホッグの発射態勢に入る。きちんと弾頭が爆発するかの確認だ。
「よし、目標変更、四時の方向!撃てっ!!」
満潮に備え付けられたヘッジホッグが旋回し、砲弾が発射される。そして……。炸裂音が響く。海中に置かれた標的に一発目が炸裂し、ややおいて他の弾頭が水中衝撃波によって誘爆するのが確認された。
「艦長、実験は成功です。この兵器は凄いですね!!」
「ああ。何でもジョンブル共の切り札らしいからな。奴らもまさか我らが先んじたなど思いも寄らないだろうな……」
歓喜に沸き返る艦橋。後は小型艦に搭載可能な電探が搭載されれば完璧だと思いたいが、イギリス軍はさらに優れた「スキッド」、米軍は「ウェポン・アルファ」を完成させるはずだ。(この年になると帝国海軍は前年度に設立された海軍対潜学校で前史での対潜戦術の系譜を把握していた。そのため自分たちを苦しめた兵器やその運用法を手中に収めんと必死である)
「油断は禁物だ。諸君らも海軍に改善点があればどんどん言ってくれ」
これは1939年度の夏に行われた戦略会議で、新見政一中将の提言が前史の後世で正しかった事が証明された事を受けて決定された事項だ。彼は自らの提言が正しかったことを知らされると、大いに喜んだ。史実で彼は海軍高級将校の中では平成の世まで存命する数少ない人間の一人で、一番階級が高い人間であった。彼は史実の第二次大戦の経緯を岬亮一中佐から聞かされるとすぐさま資料を借りて、読みふけった。彼が驚いたのは44年以降の悲惨な抵抗戦の数々、戦艦大和と武蔵の悲運な最後……機動部隊の敗北などであった。そしてシーレーンの死守は帝国の命題であるとし海軍対潜学校の設立の際には最高顧問を努め、現在は兵学校で`前史戦史`の講師として教鞭を取っている。
-日本海軍の改善は些細なところから始められていた。
-同日 空母「赤城」
遥は参謀として乗艦したが、喧嘩を売ったり、セクハラした航空隊の連中を片っ端から徹底的に叩きのし、14歳(この時点では彼女はまだ15の誕生日は迎えていない)という若齢でありながら、恐れながらも慕われる存在となっていた。
どうしてこうなったのかというと当時の男尊女卑の風潮が原因であった。ある日の事、ある航空隊の搭乗員が彼女のことを揶揄する発言をした。これを部下を通して聞いた彼女はその搭乗員を甲板に呼び出した。
「女が乗るなんて帝国海軍も世が末って事ですよ`参謀`殿」
「ほう?貴様、よほど死にたいらしいな……いいだろう」
遥はこの時代の日本人女性としては長身とされる160cm台(転移時より背が3cmほど伸びた)の体と鍛えられた身体能力、転移前に父に護身術として仕込まれていた各種格闘技の技術と兄弟たちとの喧嘩で鍛えられた腕っぷしで搭乗員を叩きのめした。鮮やかに、かつ速やかに。
「ハァッ!!」
それは一瞬の出来事だった。ボディブロー→アッパーカット→回し蹴りの連撃を景気よく食らって99式艦爆の前に倒れ伏せる搭乗員。悠然と経つ遥。見ていた整備員達からは拍手喝采すら起きていた。
「ぐ……が……」
倒れている搭乗員は赤城の制空隊隊長の板谷茂が部下の非礼を詫び、連れて行った。(史実での真珠湾攻撃の編成を早めに実現させた)
(スゲーッ爽やかな気分だぜ。新しいパンツを
はいたばかりの正月元旦の朝のよーによォ~ッ)
どこぞの漫画の主人公のような台詞を心のなかでつぶやく遥。腕っぷしに自信のある血気盛んな連中に喧嘩を売られては返り討ちにしているうちに武勇伝が空母搭乗員の間に広まり、いつの間にか姉と慕う者が多くなっていたとか。
当人曰く「疲れる」との事だが……。
そして艦政本部では大和型戦艦よりもさらに新型の戦艦の設計が出来上がりつつあった。大和型戦艦をタイプシップに、それをさらに発展強化したような姿の図面と46cmより数段巨大な砲らしき注訳が付けられていた。その口径は50cm台後半あまり。その艦は`仮称超々弩級戦艦`。その艦の名はまだ無い。史実では紀伊、もしくは尾張と名がつくはずであった艦、死産に終わった、「大和の正統な後継者」はその産声をあげつつあった。時に1940年である。