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蒼空の連合艦隊  作者: 909
すべての始まり~支那事変~
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間話その二「陸軍の戦車開発の道ははるばると」

海軍が零戦と鐘馗を実用化した時、陸軍は一式中戦車「チヘ」を作っていた。これは海軍より欧米に遅れをとっていた帝国陸軍の涙誘う戦車開発の話です。

-1939年12月25日時点で日本の戦車技術は欧米から激しく立ち遅れていた。九七式中戦車は後々に登場する枢軸・連合国双方の戦車(軽・中・重問わず)に比べて`ブリキのおもちゃ`でしか無い(優秀な将兵をしてようやっと活躍できる程度)なので、陸軍は海軍に徹底的に叩き潰されたメンツを取り戻そうと躍起になって装備の近代化とドクトリンの転換を進め、三九年末には九七式は早くも調達数が減らされた(避けようがなかった`ノモンハン事件`で史実同様の敗北を喫し、一部の士官が隠蔽工作を行ったもの、事件の存在そのものを`知っている`海軍によって国民にプロパガンダ放送されてしまった)

ちなみにその際の放送は『帝国陸軍はソ連軍との戦争で前代未聞の敗北を喫し、戦車部隊は高級将官の稚拙な指揮で壊滅に追い込まれた模様!!』と海軍の策略によって日本軍の敗勢をオーバーにして伝えられた。国民の批判の矛先は陸軍、とりわけ関東軍に向けられ、『前線の兵に罪はなく、無能な関東軍の将校に罪がある』とされ関東軍将校は降格の後、左遷させられていった。この時既に優秀かつ、現実的判断が可能な将校が陸軍の実権を握っていたためとノモンハン事件の恐怖、ドイツからの技術提供の効果で、史実とは比較にならないスピードで戦車開発は進んだ。一式中戦車が史実より幾分はマシな(Ⅳ号戦車やM4シャーマンの3面図を手本に設計変更が行われ、航空機用のエンジンをデチューンなしで積んだ)性能で39年8月という、早期に完成。戦車師団に配備が始まったほか、四式中戦車の開発も開始された。(工業能力が増強されつつある成果)三式は史実では四式の代打的役割で開発されたためにあえて造る必要性が問視されていたが、技術的発展のためと、

旧型の更新という意味で開発開始された。


ちなみにこのノモンハンの戦闘では練度で勝る日本軍を数の暴力でいたぶるソ連軍の構図が出現、奮戦虚しく撃破される例が後を絶たなかった。また、増強前の工業力で作られた徹甲弾の品質は今年4月(1939年)より新管理精度とドイツ製工業機械で製造開始したそれより格段に劣っており、相手の装甲に砕かれる始末。(逆に入れば、それだけ日本の工業力が脆弱だったという事である)

新制式弾頭に適応した製造分の戦車が撤退段階にある関東軍には無かったのも災いしてしまった。統合航空隊の有する新鋭航空機の支援でどうにか戦線の崩壊こそ避けたが、内外に日本陸軍は近代戦能力が低いという事実を露呈してしまい、

さらに海軍が国民にドイツ製戦車の写真をドイツの許可をとってプロハガンダも兼ねて(スペックは非公開だが)を一部公開。今度は国民の嘲笑を買ってしまったのだ。日露戦争でも損害を追う事が多かった陸軍のプライドはドイツと比べられる事でさらにズタズタとなったのだ。





帝国陸軍時代の日本戦車の脆弱さは後世(この時代の将校の曾孫~玄孫の世代)では

下手すれば小学生にも笑い飛ばされるほど`伝説`になってしまったとあれば、それを払拭するために`陸軍は`Xデイ`までに米・ソ・英軍の中戦車と対等、もしくは超える戦車を造らないといけない`という強迫観念の元、血眼になっていた。

一式中戦車は所詮`チハ`よりはマシだが、M4には勝てない(全ての点で)程度の性能だ。

三式でようやく側面が撃ちぬける(砲が野砲の転用だったので貫徹力が根本的に不足していた)。最末期でようやく登場した四式でM4に追いついたが、それでも当時既にM4は次世代型たるM4A3E8が登場していた。


この時代はまさに帝国陸軍将兵にとって不遇としか言いようのないもので、国民からは馬鹿にされ、海外(ドイツからも)3流と嘲笑われる日々が続いた。航空隊は新設予定の空軍へ事実上の鞍替えしてからは海軍と仲良くしているし、改革が進む海軍からは`頭が明治時代で止まってる`とも揶揄されていた。それを払拭するのは少なくとも44年以降を待たないと行けなかった。


当時の陸軍の戦車兵達は資料で見る米国の最新鋭中戦車群の姿に憧れさえ覚えていた。それを表すのが

ある陸軍基地での会話である


「M4が欲しいぜ。ウチらのチハやチヘはブリキ箱、もしくは棺桶だ」

「それにしても大尉どの、Ⅳ号戦車の戦車砲にチハやチヘが軽く壊されたのを見て、上の連中は顔色が青くなってましたね」

「ああ。いい気味だよ。俺達を使い捨てにした関東軍の高級将校の大半や、精神論に凝り固まってた木村兵太郎や板垣征四郎、牟田口廉也共はもう軍にはいない。参謀総長が今村閣下で良かったぜ。おかげで陸軍の近代化が進むよ。俺達もあんな戦車が欲しいなぁ」


史実で日本陸軍の中で無能と言われる将軍達は1939年から1940年にかけて`史実の罪`の重さに振り分けられて、予備役に追い込まれるか、もしくは不名誉除隊させられた。その中で一番揉めたのが東条英機の処遇だった。

東条英機は昭和天皇から信任があり、史実では天皇陛下の意志を組んで、なるべく開戦を避けたという忠臣な部分もある。ただ彼が行った所業、部下たちの愚行が戦後に一般人の間で浸透した陸軍悪玉論の根拠となり、陸軍の闇の象徴となった点もある。東条の処遇は縺れ込み、結局予備役編入で取り決められ、事実上の更迭となったのだ。これで日本陸軍の近代化を阻む壁はほぼ払拭した。




-三菱重工業は4式中戦車の実用化に必死に取り組んでいた。自社が作った九七式中戦車やその改良型の一式中戦車が登場時で既に旧式の烙印を押されたことに仰天し、軍が史実で試作した四式の開発を買ってでたのだ。しかし課題が山積しており、自動車産業の振興が米内内閣のもとで強固に推し進め始めたばかりの今の日本では荷が重く感じられた。しかし技術者達はドイツ戦車を手本に必死に戦車技術の向上、そしてその土壌となる自動車産業の発展を進める。


「みんな、なにかいいアイディアがあったらすぐに私に言ってくれ。自動車の普及を進める事が

帝国、ひいては子や孫の代のためになる」


全てのインフラや技術が整うには時間がかかるかも知れない。それが未来の為になるのなら……。

技術者たちの努力が実を結ぶには、まだまだ長い時間が必要であった。


-世の中は第二次大戦が起きないまま、1940年を迎える……。

海軍や統合航空隊とは対照的に辛酸を嘗める帝国陸軍に旭日が訪れるのは何時のことだろう……。
















ノモンハンについて触れました。近年では損害はソ連軍の方が大きかったという研究もありますが、日本陸軍の損害が大きかったというのはたしかですし、ソ連の数の暴力はチート過ぎる……。



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