第88話:勉強会 2
カリカリと、ノートにまとめながらペンを走らせる音だけが響く。今日はお隣も上も下も静かなので図書館並みの静けさで勉強が出来ている。
「仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ、心うく思ひて、ある時思ひ立ちて、ただ一人、徒歩よりまうでけり。心うく思ひてとはどういう意味か……心ゆく、満足して、ではないわよね」
「その場合の心うく、は心残りの意味だな」
時々彩花が詰まっては助言を乞うのでそのたびに訂正や正解を導きながら教える。俺のやってる範囲内ならなんとか教えられるのですぐ答えられるが、範囲外に飛びだすと解説ガイドを開いての説明になるので進捗はちょっとゆっくり目だ。
隆介は完全に没頭しているのでそのまま放置しておいてもいいだろう。何かあれば向こうから言い出すはずなのでそれまでは一人で立ち向かっておいてもらおう。そもそも一人でも何とかできる人材なのでそこまで面倒を見なくても大丈夫な部類でもある。
「ふぅ……なんで古文ってこう面倒くさい言い回しや感想文みたいなものが多いのかしら」
「その感想文が積もり積もって歴史になっているんだから、一部分を切り取ってこの場合の言葉の歴史的背景や人物背景を読み取った上で解答をしろ、みたいな所はあるかもしれないな」
次は小説問題か……要は心情把握だな。何々、「駅のホームで彼は友人を待っていた。だが、約束の時刻を過ぎても友人は現れない。彼は時計を見つめるうちに、『待つ』という行為そのものに、次第に苛立ちを覚えはじめた。『待つという行為そのものに苛立ちを覚えた』とあるが、最も適切な説明はどれか。」か。
何にいら立っているかを適切に選べという事か。友人が来ないことにいら立っているのか、待たされる自分がみじめに思えたのか、時間が過ぎていくのにいら立っているのか、まわりの視線が気になるのか……。
この場合待たされる自分がみじめに思えているのと、まわりの視線が気になるのは除外してしまっていいな。心象風景として記述されてない以上勝手に付け足す必要はないだろう。とすると、友人が来ないことにいら立つのか、時間が過ぎ去るのをいら立っているのか。
友人を待ってる以上、来ないことに苛立っているならそれについて「まだか」とか「遅い」とかそういう文面を与えるはずだ。それに、時計を見つめるということは友人が来るか来ないかよりもいつ来るのか、という時間そのものに対する焦りを表現しているんじゃないだろうか。だからこの場合答えは時間が過ぎ去るのに苛立ちを覚えている、かな?
解答を……お、よし合ってた。たしかに、待つのは良いけど待たされるのは嫌っていう気持ちは理解できるからな。現代文のわりにスマホで連絡して何分ごろに着くとか、連絡の入れようはあるだろうにとか考える所はあるが、そこまで現代というわけではなく、まだスマホも携帯も普及してない頃の文章なんだろう。
「古文でいうところの『うつくしきもの』ってかわいいものであってるよね? 」
「枕草子の時代ならそうだな。幼いものや愛おしいものに対する情愛を指す言葉になってるはず」
「じゃあ解答はこれね。後でまとめて解答を見返して反省点はまとめてあげていくことにしましょ」
会話はそれなりにあるが、いたって真面目に勉強をしている。お菓子もまだ在庫は充分にあるので買い出しに行く必要もない。むしろ買い出しに行くことで集中力の低下を防ぐためにわざわざ珍しく金をはたいて買ったお菓子類だ。余ったら一人でちょっとずつ消化していくが、今日一日で食べきるかどうかはまだちょっと解らない。
ジュースもサイダーだけでなくコーラとオレンジジュースもあるので味に飽きることもないし、冷蔵庫の氷の在庫も充分だ。
そのままカリカリ……と二時間ほど無言で勉強は続く。普通なら誰かがあー集中きれた! と言い出してよそ事や部屋の見回りチェックやエロ本隠し作業に精を出し始めるのが普通なのだろうが、彩花はベッドの下に隠し財産があるのを知っているし、隆介はベッドの下にエロ本がないことを熟知している。二人にとっては来慣れた空間でもあり、わざわざ探し回って何かを発見する、ということもない。
それ以上に、二人の集中力が凄いので置いていかれないように集中しているふりをしながら時間が過ぎるのを少しでも遅くなってほしいと願いながら文章題をひたすら解き続ける。
少しでも体感時間が遅くなれば、その分頭は高速に動きその分だけ大量の情報を処理できる。こうして勉強しながらよそ事を考えていられるのも、頭と手の動きが完全に同期せず、手の動きのほうが遅くなっていて頭の回転のほうが速くなっていてアイドリング時間がそれだけ多く取られてるからだろう。
そうなると面白いもので、並列思考ができるわけでもないのに並列して頭を使っているがごとく時間を小刻みに分割しながら問題文を読みつつ余計なことを考えて、勉強に集中しながら余計なことを考える、ということが可能になってきた。
確か情報の授業でならったタイムスライシングだったか。そんな動きが出来るようになってきている。これもレベルアップの恩恵なのかもしれないが、何とも自分で体験すると中々面白い出来事ではある。
ちょっとトイレが近くなってきたので立ち上がるが、二人は反応なし。完全に自分の世界に没頭してしまっている。邪魔にならないようにそっと部屋を出るとトイレへ。しっかり出すもんだして、覚えたものが下から出ていかないようにがっちりガードしつつもトイレを済ませ、部屋に戻る。
引き続き現代文の問題をこなしていく。次は評論文か。「人間は「記憶」によって自己を形づくっている。だが、その記憶は常に正確であるとは限らない。むしろ、過去の体験を自分に都合よく再構成し、現在の自分を支える材料として利用していることが多い。」と。これに当てはまる主張として適切なものを答えよ、か。
記憶は割と適当で都合よく改竄しながら今の自分を作り上げている、というのが主張らしいから、答えはBの「人間は過去の記憶を都合よく作り変えながら自己を支えている。」だろうな。
早速解答と解説を見ると、ちゃんと正解していた。なんだ、意外と俺もできるようになってきたじゃないか。現代文は苦手範囲だったが、これなら次もちゃんとした点数が取れそうだな。
よしよし、この調子で次々やっていくぞ。今日中に問題集を片付けるつもりでそのまま集中してやっていくか。
◇◆◇◆◇◆◇
しばらく集中して問題に取り組み、それぞれがトイレに行くのと水分と糖分補給する以外は極めてまじめに勉強を進めている中で、ついに隆介からギブアップ宣言が出された。
「あー疲れた。そろそろ集中力が切れるわ」
「結構長続きしたな。もっとほんわかとやるつもりではあったんだがそれぞれで集中し続けるとは思わなかったぞ。ただ……彩花は流石だな」
彩花だけは集中し続けることが出来ていて、真面目に黙々と問題文を解いては解説を熟読し、一人自分の世界で勉強に没頭している。
「そういえば、お前たちの馴れ初めを聞いてなかったな。どういう行程を経て付き合うようになったんだ? 」
本人が真横にいるにもかかわらず隆介がデリケートな部分に踏み込んでくる。これは彩花をちょっとこっちの世界に帰って来させて話題にちゃんと入れてあげるべきだな。それに、俺の一方的な話では語弊や誤解が生じる可能性だってある
「彩花、ちょっといいか」
揺さぶって現実世界に彩花を呼び戻す。ビクッとした後、彩花がこっちを向いてきた。
「ん……何? 」
「隆介が参考までに馴れ初めの話を御所望だそうだ。俺の話だけじゃ偏りがありすぎるからな。彩花の意見も聞きたいらしい」
「そんなに人のプライバシーにまで踏み込んでくるわけ? まあ、休憩がてら、というならいいけど」
そういうと、彩花が俺の隣に座りなおしてくっついてくる。腕を組んで、胸の感触がしっかりと腕に当たり、これは休憩じゃなくてご休憩に入らなくてはならないかもしれないな! と血液が循環を始める。
「で、何が聞きたいわけ? 」
「これは幹也の親友として大事だから尋ねたいんだが、幹也のどこが良かったんだ? 」
隆介らしからぬ大真面目な態度で話を切り出す。
「そうね、最初は探索者なんてやってるのは聞いてたのは確か。それで、学校で一騒ぎあったじゃない? そこで活躍してたのを見たのが最初に引っかかったところね。幹也に出来るんだったら私にも簡単にできるんじゃないかなって思って、一人で潜ってみたのよ」
「そこで幹也と再会した、と」
「ええ、調子に乗ってスライム四匹ぐらいとまとめて戦ってたら追い詰められちゃって。都合よく幹也が居てくれて助けてもらったのが直接の最初ね。だから吊り橋効果的なものもあったかもしれないわ。本格的に意識し始めたのはその後からね。土曜日に出会うようになって、そこから一緒にダンジョンに潜り始めて……頼りになる人から好きかもしれない人に変化していったのはそのあたりじゃないかしら」
彩花の口からは直接聞くことはなかったその辺の説明を受けて、全力で照れる以外に心の置き所がない俺はただただもみ上げあたりをポリポリと掻くしかやることがなかった。
「で、どっちから好きって言い出したんだ? まさか幹也からではないだろ? 」
「私からね。はっきり好きとは言ってないけど態度で示してそのままなし崩し的に付き合うことになったわけよ。そんな所で納得してもらえたかしら? 」
彩花が一通り伝え終わると、隆介がとても嬉しそうにしているのがわかった。どうやら俺から告白したわけじゃないというあたりで自分の中で納得をしてたところが氷解したんだろう。
「そうかそうか、順調そうで何よりだ。そのまま末永く幹也のことをよろしく頼む」
「まあ、そうね。今の所嫌な所とか嫌いなしぐさとかそういうのもないし……ちょっとお預けを喰らったりもするけどそれも駆け引きだと思えば楽しいわ。だから今はとっても幸せよ」
彩花が満面の笑みを浮かべて腕に更にぎゅっと縋り付く。レベル目一杯の腕への抱き付きに腕の骨がミシミシと軽く音を立てるが、当たる胸の柔らかさで痛みを和らげておく。彩花が自分のレベルの腕力の強さに気づいてくれるのはいつになるんだろう。
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