第70話:何もしない日
今日も授業が終わった。ダンジョンに行くなら隆介が声をかけに来るのだが……今日は静かだな。いつもなら隆介が堂々とクラスに入ってきて「今日もダンジョン行こうぜ! 新しい武器代も稼がなきゃいけないしな! 」と言いながら誘いに来るところだが、どうやら今日はダンジョンには潜らない日らしい。
どうやら彼女とのデートの日らしく、メールを送っても「今日はデートだからお前とのデートはまた今度な」とはっきり断られた。
彩花にメールして「今日はどうする? 」と質問をしてみたが「友達との約束があるから今日はダメ。また今度ね」とお断りのメールをいただいてしまった。
二人とも暇ではないということだ。俺みたいに家に真っ直ぐ帰って暇ならダンジョン、もしくは料理、という形で過ごしている分、なんか今日は置いてきぼりを喰らったようなそんなイメージすら抱かせる。仕方がないので真っ直ぐ家に帰ることにする。
そのまま真っ直ぐ帰ろうとしたが、家に食材がないことを思い出して一時的に学生から主夫にチェンジして、食材を買い求めに商店街に寄る。今日は何を作ろうかな、と。パッと何も思いつかないので塩パスタでも良いかとも思ったが、せっかく買い物に来たのだから野菜と肉とを贅沢に使うカレーでも作ろうか。
タマネギ、ジャガイモ、ニンジン……は家にあるな。肉もある。カレールゥはなかったはずなので一箱買っていこう。それと、パスタソースの追加の購入を済ませると、今日のところはこれで充分だな、と確認をして支払いを済ませてスーパーを出る。
そういえば、何もない日を過ごす、というのは随分久しぶりなのではなかろうか。最近は何かしらやっていたし、復習やソロでのダンジョン探索もやっていた。充実した日々ではあったんだな。
たまにはこういう日があっても良い。日々時間調整と生活費に追われてダンジョンに通う毎日ではあったが、今の所そこまで金に困窮している訳でもなく、勉強に入れ込まないと期末が大変……というわけでもない。
ぽっかりと人生に穴が開いたかのように今日が暇というありさまである。こんな時は何をしていたかな。最近はダンジョン行ったりダンジョン行ったり勉強したり彩花とダンジョン行ったり隆介とダンジョン行ったり……ほぼダンジョン行きっ放しだな。ここであまりに暇だからダンジョンでも潜るか、となる所が普段なのだろうが、今日は何故かそういう気にもならない。
信号待ちで立ち止まった時、ふと隣にいた小学生がランドセルを背負ったまま友達と笑い合っているのが目に入った。無邪気に笑う声を聞いていると、自分が急に年を取ったような錯覚に襲われる。ダンジョンに潜っているせいか、日常と非日常の落差が大きすぎて、こういう当たり前の光景に違和感を覚えてしまうのだ。
やがて家の前に着くと、胸ポケットの中の鍵がやけに重たく感じた。扉を開けると、誰もいない静かな空気が流れ込んでくる。靴を脱ぎ、カバンを置いた瞬間に、ようやく肩の力が抜けた。
「ただいま」
「おかえり」
アカネはいつも通りリビングに漂っていた。時々思うのだが、地面に足をつけているようにしているのとこうやってふよふよと浮いているの、どっちのほうが体は楽なんだろう?
「こうして浮いてるほうが楽よ。重力を考えなくて済む分頭も楽だからね」
俺の考えを読んだのか、明確な答えが返ってきた。アカネのリラックス体勢は浮いてるほう、と。一つまた神様の勉強になったな。
制服を脱ぐと、軽くシャワーを浴びてからリビングへ。さて、カレー作りを始めるか。
タマネギを切るとき、案の定目にしみて涙が出てきた。慌てて蛇口に手を伸ばし、冷たい水で目を洗う。
「たかがタマネギで苦戦って……幹也、弱点多すぎじゃない?」
アカネが姿を現して笑っている。
「これは仕方ないだろ。人類共通の弱点だ」
「神様は泣かないけどね」
「いや、知らんし」
そんな会話を交わしつつ、ニンジンに取りかかる。このニンジン固いな。力を入れるたびにまな板がガタガタ揺れて、他の部屋に響くんじゃないかとすら思うぐらいだ。そんな事などと考えているうちに、ジャガイモを含めて全部角切りにするまでに数分もかかってしまった。
解凍しておいたオーク肉を大ぶりに刻んで焼き、焼き目が付いたところで他の具材を入れて煮込む。料理をしている間だけは多少気持ちが引き締まるが、煮込んでしまえばあとは待つだけだ。吹きこぼれないように鍋を見張りながら、スマホを手に取って適当にニュースを流し読みした。
どうでもいい芸能記事や広告に目を通し、すぐに飽きては画面を閉じる。次はSNS。友人の投稿がちらほらと目に入る。彩花が「今日は部活」なんて軽く書き込んでいるのを見て、少しだけ胸のあたりがむず痒くなる。
「にやけてる」
「にやけてない」
「スマホに向かって顔緩んでるの、人間らしいわねぇ」
「放っとけ」
ルーを割り入れる頃には、部屋の中が完全にカレーの匂いで満たされていた。大きな鍋一杯に作ったそれを、二日分に分けて皿に盛り、いただきますをした後一人で黙々と食べる。スプーンが皿に当たる音だけが、やけに響く。誰かと一緒ならもっと賑やかなのだろうに、と少しだけ思う。
食べ終わって皿をシンクに運ぶと、流しには茶色い水が広がった。スポンジに洗剤をつけ、ぐるぐると泡立てては皿を擦る。こういう単純作業は嫌いじゃない。無心になれるからだ。けれども今日に限っては、静けさが耳に重くのしかかる。
片付けを終えてベッドに寝転がる。天井の模様をぼんやり眺め、数分、何も考えない。ただ時計の秒針の音だけがやけに大きく聞こえる。
「暇って贅沢ね」
再びアカネが声をかけてきた。
「贅沢なのか?」
「生き延びることに必死な時代なら、こんなふうに寝転がっていられるだけで幸福なのよ」
「……そういうもんか」
天井を見つめたまま、スマホを手に取っては何となくSNSを眺める。だが特に面白い投稿もなく、すぐに閉じてしまう。再び開いては閉じ、閉じては開き……の繰り返し。自分でも「何やってるんだろう」と思うくらいには無駄な時間を過ごしている。
こういう時は……どうするんだっけ。ダンジョンについて調べていたんだったかな。駅前ダンジョンについての情報を仕入れようと公式サイトや口コミサイトにアクセスして情報を得ようとするが、頭の上を滑っていくように情報が頭に入らない。
思わずあくびが出る。その瞬間、自分の上から声がした。
「暇ならダンジョンでも潜れば?」
上を向くと、アカネが姿を現していた。
「今日はそういう気分じゃない」
「珍しいわね。幹也が潜りたくないなんて。明日は雨だったかしらね」
「潜ってもいいんだけど……なんていうか、今日はもう体が休むモードに入っちゃってる感じだ」
「ふうん。……つまり、彩花がいないから拗ねてるんでしょ?」
「拗ねてない」
即答したが、自分の声にあまり力がないことに気づく。アカネはにやにやと笑いながら俺の横に座り込む。
「ダンジョンも彩花もなしじゃ、幹也って本当に普通の高校生ね。鼻の下伸ばしてる時以外は」
「俺の扱いひどくないか?」
「事実を言ってるだけよ」
口喧嘩にもならない軽い掛け合い。アカネはしばらく俺を眺めていたが、やがて肩をすくめた。
「本当に今日はやる気がないのね。まあ、やる気がみなぎりすぎて空回りしてうまくいかないよりは、時々こうやって羽を休める時間も必要よね」
「そう言ってくれると嬉しいところだ。とにかく今日は何もしない日だ。飯も食ったし、明日の朝食はできてるし……昼食も作っておくべきか? 」
「温めて弁当箱に詰め込むのはどうせパスタでしょう? それに、やる気ないって言ってるのにパスタ作るだけのやる気は残ってるの? 」
「それは……」
起き上がろうとして、力が入らないことに気づく。そのまま腕立てを失敗したような姿勢でベッドに倒れ込む。
「ダメっぽい。もう後は寝るだけにしたい感じだ。なんだろうな、この感覚。すべてに疲れていて何をする気も起きないや」
「まあいいわ。私はダンジョンの拡張作業に戻るから幹也は好きにゴロゴロしてなさい」
「はいはい、いってらっしゃい」
そう言ってアカネはダンジョンに潜っていった。静けさが戻ってくると、急に部屋が広く感じられた。
……本当に、今日は暇だ。
◇◆◇◆◇◆◇
時計を見ると、まだ七時前。普段ならダンジョンから帰ってきて夕飯を食べ終えたころだ。時間がたっぷりあるのに、やることがない。
本棚をのぞくと、昔買ったラノベや小説が何冊か積んであった。懐かしさに釣られて手に取ってみる。だが数ページめくっただけで集中力が切れてしまい、ブックカバーを閉じてベッドに放り投げた。
「なんか……何をやっても続かないな」
つぶやきながらベランダに出てみる。夜風が涼しい。街灯に照らされた道路を、部活帰りらしい学生が自転車で駆け抜けていくのが見える。みんなそれぞれ何かに打ち込んでいるんだろうな。自分だけ取り残されているような気分になる。
でも、これが普通の高校生の一日なのかもしれない。
部屋に戻って照明を少し落とし、机に肘をついて考える。彩花のこと。隆介のこと。ダンジョンのこと。これからの進路。色んなことが頭をよぎる。
期末が近づいてきているけど、今のところ不安はない。彩花も真剣に勉強を頑張っている。隆介は相変わらずのマイペースだし、アカネは好き勝手やってる。そう思うと、特に問題もなく、順調すぎるぐらいだ。
「考えすぎかな」
気を紛らわせるようにスマホで音楽を流す。イヤホンを耳に差し込み、目を閉じる。静かな旋律が部屋を満たし、思考がだんだんとぼやけていく。こうやって寝るのも久しぶりか。
◇◆◇◆◇◆◇
目が覚めた。気づけば時計は十一時を回っていた。風呂に入り直し、歯を磨き、ベッドに潜り込む。布団の中は思ったよりも心地よく、さっきまで眠っていたのを忘れたかのように、体中の力が抜けていく。
「……明日はまた、何かあるだろう」
そう小さくつぶやいて目を閉じる。
カレーの匂いがまだ微かに残っている部屋で、俺はそのまま眠りに落ちた。
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