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「今日の紂王様は、ご機嫌ね」
「何でも、羌族1000人を捕らえたらしいわよ」
「それに別の羌族も、100人程神の生贄にしたとか……」
そんな噂話が広がる草原へ続く道を、兵士二人と並んで歩みを進める少年ー呂尚。
彼がここ殷の中心地にある殷城に来たのは、5才の頃だった。
何も言わず、ただただ手を引いて歩く母親
の痩せこけた姿からは、何も感じる事がなく。
ニコリと笑って別れたのを最後に姿を見かけなくなった彼女は、その後奴隷として使われ、呆気なく命を落としたと伝え聞いた。
いや、その事自体本当は嘘で、まったく知らない土地で生きているのかもしれない。
(5才の幼い子供に聞かせれば、追いかけようとして、殷城から逃げ出すから……)
彼はずっと長い間、暗示をかけるかのように、そう言い聞かせ、時折襲うどうしようもない寂しさに耐え続けていた。
そして、10才を迎えたある日。
呂尚は5年間監禁させられていた殷城から、外界へと出られることとなった。
その理由は、先程の噂話から推測するに、ここから遠く離れた場所に住む羌族達を捕らえた功績による、恩赦というものらしい。
現在でいう“恩赦”は、罪人が受けている刑罰を、特別な出来事ー例えば新しい天皇が即位した等ーがあった時に限り、罪の全てを消滅又は一部消滅ー軽減ーされる制度をいう。
これは古代から権威者が宗教儀式の際に行われており、姿を変えて現代に続いていた。
しかし、外に出られる理由も“恩赦”の意味も分からない子供にはどうでも良い。
兎に角、これからどんな世界が待っているのか、どのように生きていけばいいのかが、今の呂尚にとって一番大切で気がかりな悩み(コト)だった。
辿り着いた広場には、呂尚と同じ年代の中に、年齢が低いー5・6才といったところか?ー子供や、かなり上の大人もいる。
この人間達も“恩赦”で外界へ出られるのかと思った矢先
「頭を下げろ!
紂王様が姿をお見せになるぞ!!」
と、盾を持った兵士が厳しい口調で、呂尚とその周りにいる人間達に命令した。
顔は紂王と呼ばれている人物に向けられ、尚且つ辺りが紺色一色に染まっているせいで、表情が読めない。
口調と服装から察するに、恐らく無表情に近いと思われた。
(それだけ緊張と警戒をしているのか……)
呂尚は紂王の話には耳を傾けず、頭を下げたままそんなことを考える。
暫くして、紂王の口上がいつまで続くのかと疑問に思った呂尚は呆れら顔を少し上げて見てみるが、結果は先程と同じで良く見えなかった。
それでも、彼の力強い口調で訴える、自身で考え行った成果には、民達に定評があるらしい。
「そこで今回は、西じゅうきょう族を捕らえた祝いとして、ここにいる同族の彼等に恩赦を与えると決めた」
紂王は高らかに声を上げてそう言うと、満月が見つめる夜空を見上げた。
その姿はまるで、見えない神々に承諾でも乞うているようである。
それを合図に、周りから歓喜の声が次々と上がり、同時に今まで捕らえられていた者達が、我先にと走り出す。
「お、おい!?」
「紂王様の……う、うわぁ!!」
辺りにいた兵士達は、この乱闘を鎮める為に必死で呼び止めるも、解放の喜びで興奮している者達の耳には、届くはずもなく……
今まで奴隷として働かされ続けた彼等きょう族は、この解放感を再び失ってなるものかと言わんばかりに、蜂の子を散らすかのように、次々とこの場から逃げていった。
勿論、行動が遅い女性や子供、老人達は、身近にいた兵士達に捕まったりもしたが、大抵は正義感に満ち溢れた同じ境遇を持つキョウ族に助けられ、難を逃れ去っていく。
そんななか、呂尚は子供であったのと、あまり食べていなかったのが功を奏し……
沢山の言葉が飛び交う広場から、なんとか逃げることが出来た。
そこは先程よりも更に歓喜に満ち溢れ、各民族の喜びの歌が重なり合う、不思議な空間となり、戸惑う兵士達を“意気消沈”の渦へと巻き込んでいく。
呆れた眼差しで彼等を見ながら横切っていく呂尚。
何処かの知らない誰かが指し示した“走れ、こっちだ!”
という言葉を信じ、彼は時折立ち止まりながらも、ひたすら走り続け……
気付けば、広場からかなり遠ざかっていた。
見た目でざっと300から500メートル程だろうか?
(結構、走れるもんなんだな……)
広場との距離を肌で感じた呂尚は、まるで緊張した状況を少し楽しむかのように微笑む。
そして、辺りをしみじみと見回して、何処か余裕たっぷりな台詞を吐いた。
闇の中に終着点を探す為に立ち止まった彼を、次々と血相を変えて追い越していく人々。
気付けば、天には丸い月が、キョウ族はおろか敵対する殷人達までも、平等に照らし出している。
「おい、どうした?
追い付かれるぞ、休まず走るんだ!」
“お前ら早くしろ!!”と、五十路-50代の別名のようなもの-を過ぎた、がたいのいい男が、彼を含め休むキョウ族達に大声で走るよう促した。
どうやらまだまだ遠くまで行かないと、危険に去らされるらしい。
(そうだ、ここで終わるわけにはいかない)
「やっと、外へ出られたんだ……
歩こう……歩いて、自分と今いる人達が瞳に暮らせる場所を、この目で探すんだ!」
呂尚は、男がひっきりなしに指示する声を励みに、遥か遠くにある霞んだ大地に、澄んだ瞳を向ける。
そして、内心でも自分を励ますと、これ以上動かせない体に更に鞭を打つかのように、ゆっくりゆっくり歩き出した。
それはいつ辿り着けるのか、予想がつかない旅路の始まりである。
しかし、その一歩一歩が確実に彼や仲間達が幸せに生きられる土地に近づくと信じて進む他はなかった。
令和3(2021)年5月19日22:40~6月6日0:10
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