第4章「風のように軽く」
少女は女性の手を離れ、焔羅の方へ駆け出した。
「お父さん! お父さん! 負けちゃった!」
少女は腕を広げて叫んだ。
「お花がとってもきれいだったの!」
焔羅は彼女を抱き上げ、そのまま高く掲げた。
少女は風に頬をなでられながら、ふわりと笑った。
髪が風に揺れ、衣服がやさしく翻る。
「そうだな、陽菜莉。花は春になると、もっと美しく咲くんだ。」
焔羅は微笑んで答えた。
その笑顔は、陽だまりのように明るかった。
そのそばに、春香が静かに歩み寄ってきた。
彼女の足取りは軽く、まるで風のリズムに合わせているようだった。
その表情は穏やかで、唇にはやさしい微笑みが浮かんでいた――
他の二人とは違う、深い安らぎを感じさせる笑顔だった。
「あなた…… 今日も相変わらず口がうまいのね。」
春香の声に、焔羅の笑みがほんの一瞬だけ崩れた。
彼の頬に、うっすらと赤みが差した。
「そ、その言い方…… もう覚えちゃったじゃないか!」
春香は顎に手を当て、くすくすと笑った。
「毎日同じこと言うんだから。ふふっ。」
隣の花々が風に揺れ、ゆっくりと踊っていた。
優はただ静かに、その光景を見つめていた。
心の奥がじんわりと温かくなり、穏やかな安らぎが広がっていく。
(なんて綺麗なんだ…… まるで、みんなの気持ちが太陽みたいに輝いている……。)
春香はふと優の方へ視線を向けた。
少しだけ眉をひそめ、落ち着いた声で尋ねた。
「あなた、この子は…… だれ?」
焔羅は一瞬だけためらった。
笑顔が少しだけ弱まり、その答えは小さなつぶやきのように漏れた。
「えっと…… 彼の名前は……」
数秒の沈黙のあと、
「マツ! この子はマツだ!」
春香は少し首をかしげ、優を見つめた。
その眼差しはやさしかったが、どこか心の奥まで見通すような強さがあった。
「マツ…… そうなの? あなたの名前はマツなのね?」
優の瞳がわずかに揺れた。
彼は目をそらし、何かを思い出すのを拒むように言った。
「はい。マツです。その方が……いいんです。」
一瞬の静寂。
花々の間を吹き抜ける風の音だけが静かに響いた。
陽菜莉がその様子を見て、目を輝かせた。
そして嬉しそうに笑顔を見せる。
「マツ……! じゃあ、マツくんだね!」
少女の笑い声が風に溶け、舞い上がる花びらと共に空へと広がった。
優はふと顔を上げる。
胸の奥に、理由もなくあたたかいものが灯るのを感じた。
気づけば、彼の唇には自然な微笑みが浮かんでいた。
「マツくん、はじめまして。」
春香はやさしく言った。
その笑顔は、柔らかく包み込むような温もりを持っていた。
「私は春香。焔羅の妻で、この子は私たちの娘、陽菜莉よ。」
「は、はじめまして! 春香さん!」
優は少し頬を赤らめながら答えた。
その声には、素直な喜びがこもっていた。
彼はちらりと陽菜莉の方を見た。
少女の目は好奇心で輝いていた。
短い沈黙のあと、優は笑みを浮かべて言った。
「じゃあ…… 君は陽菜莉ちゃんだね。」
陽菜莉の瞳がきらきらと輝き、まるで夕陽の光を映す星のようだった。
彼女は焔羅の腕から飛び降り、くるくると回りながら笑った。
「わぁ! ひひひっ! 陽菜莉ちゃん!? だいすき〜っ!」
その笑い声は透き通っていて、花の香りとともに風に乗って広がっていった。
優、焔羅、そして春香も思わず笑みをこぼす。
三人の笑い声が重なり合い、やさしい調べとなって花畑に響いた。
まるで風に運ばれる花びらのように――軽やかに。
(この世界は本当にすばらしい…… ここにあるすべてが、僕の心を震わせるんだ。)




