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バリ有能な皇太子と王女が祖国を裏切ってくっつく話

作者: 埴輪庭

 ◆


 歴史の記述というものは往々にして勝者の視点によって歪められる。だがその行間に隠された真実、語られることのなかった個人の葛藤や決断こそが時代の転換点を生み出すこともあるのだ。


 これは地図上から消え去った二つの国の、最後の皇太子と王女の物語である。


 彼らは歴史上、最も冷酷な裏切り者と呼ばれるかもしれない。あるいは最も切実な愛の体現者と。


 ・

 ・

 ・


 ガルダリク帝国とエルストラント王国。この二つの大国が大陸の覇権を巡り争い始めてから、すでに十余年。終わりなき戦争は両国の民衆から未来を奪い、指導者たちから人間性を奪い去っていた。


 ガルダリク帝国の皇太子、アレクシス・ヴァレリウス・ガルダリクはその狂気の中心にいながら、奇跡的に正気を保っている稀有な存在だった。いや、正気であるからこそ、彼は誰よりも深く絶望していたのかもしれない。


 帝都サンクト・ヴァレリウスの心臓部、戦略司令室は今日も重苦しい沈黙に包まれていた。アレクシスは窓辺に立ち、灰色の空から舞い落ちる雪を眺めていた。二十四歳。その若さにして、彼は「氷の皇太子」と呼ばれ恐れられていた。冷徹な戦略眼と感情を排した合理的な判断力。彼が軍の指揮に関わるようになってから、帝国軍は幾度となく劣勢を覆してきた。


 だがその勝利が彼にもたらすものは常に虚無感だった。


「殿下。いつまでそうしておられるおつもりですか」


 静寂を破ったのは軍令部総長ヘルマン・フォン・ドラッヘだった。白髪交じりの髭を蓄えた、老獪なタカ派の筆頭である。


「南部戦線の状況は膠着しております。このままでは冬季の到来とともに、我が軍は不利になりますぞ」


「分かっている、総長。だからこそ、次の手を慎重に選ぶ必要がある」


 アレクシスはゆっくりと振り返った。彼の表情はその異名の通り氷のように冷たかった。


「慎重? 殿下、今は大胆さこそが求められております。今こそ、『ヘリオス』を使用する時です」


 ドラッヘは地図上の一点を指し示し、声を荒げた。


「あの忌々しきエルストラントの防衛線を一気に突破できます。なぜ許可を出していただけないのですか!」


「その件については先月も却下したはずだが。ヘリオスは使うべきではない」


「なぜです! 奴ら、民間人の居住区に高射砲陣地を構築しております。これでは通常兵器での攻略は困難です。多少の犠牲は仕方ありません」


「多少の犠牲、だと?」


 アレクシスの声が一段低くなった。ヘリオス。それは帝国が極秘裏に開発した新型化学兵器だった。一度散布されれば、その地域の生物は神経を侵され、苦悶の中で死に至る。


「総長。貴官はその『多少の犠牲』がどれほどの規模になるか、理解しているのか。数万、いや、数十万の民間人が死ぬことになるのだぞ」


「彼らもまた我々に敵対するエルストラントの民です。将来、我々に牙を剥く可能性のある者たちです。芽のうちに摘んでおくのが定石でしょう」


「それは戦争ではない。ただの虐殺だ」


「殿下は甘い!」


 ドラッヘは吐き捨てるように言った。周囲の将軍たちも、口々には出さないがその表情には明らかな不満が浮かんでいる。


「これは聖戦ですぞ。奴らもまた我々の捕虜に対して非道な扱いをしているではありませんか! 捕虜を使った人体実験まで行っているという報告もあります。奴らに慈悲など無用です」


 それは事実だった。エルストラント王国もまたガルダリクに勝るとも劣らない悪辣な国家だった。憎悪の連鎖は止まることを知らず、どちらが先に地獄の釜の蓋を開けたのか、もはや誰にも分からなくなっていた。


「彼らが悪魔だからといって、我々も悪魔になる必要はない。もし一線を越えれば、我々は二度と人間に戻れなくなる」


「綺麗事ですな。帝国臣民はエルストラントの殲滅を熱望しているのです。殿下のその甘さがこの戦争を長引かせている」


「民衆が望んでいるから? 彼らの憎悪を煽動しているのは誰だ。貴官たち軍部と、それに迎合する貴族たちではないか」


 アレクシスの声は静かだったがその響きには有無を言わせぬ圧力があった。将軍たちが一瞬たじろぐ。


「……殿下。お言葉が過ぎますぞ」


「過ぎてなどいない。この戦争が長引けば長引くほど、我々は人間性を失っていく。勝利したとしても、その後に残るのは灰と憎悪だけだ。そんな未来に何の意味がある」


 アレクシスは再び窓の外に目をやった。この国は腐っている。もし自分が本気でこの国を制御しようと思えば、できないことではない。クーデターを起こし、反対派を粛清し、全権を掌握する。それだけの力は彼にはあった。だが彼はそうしなかった。


 なぜなら、敵国エルストラントにもまた自分と同じような存在がいるからだ。


「……それに、もしヘリオスを使用したとして、あの『茨の王女』が黙って見ているとは思えん」


 アレクシスがその名を口にした瞬間、司令室の空気が張り詰めた。


 エレオノーラ・イザベル・フォン・エルストラント。エルストラント王国の第一王女。二十二歳。彼女もまたその美貌からは想像もつかないほどの冷徹な戦略家であり、その容赦のない戦術から「茨の王女」と呼ばれていた。


 アレクシスは彼女と直接会ったことはない。だが戦場で繰り広げられる彼女の戦略はまるで精密機械のように的確で、一切の無駄がなかった。アレクシスが立案した作戦が幾度となく彼女によって見破られ、無効化されてきた。


 彼女の存在こそがアレクシスが自国の制御に全力を尽くせない最大の理由だった。もしアレクシスが内乱を起こせば、彼女は間違いなくその隙をついて侵攻してくるだろう。それで完膚なきまでに敗北を喫するだけならばよい。しかし、その大敗がただ敗けるよりも更に凄惨な悲劇をもたらすかもしれないとなれば話は別だ。


 アレクシスはエレオノーラが取る冷徹な戦術・戦略の数々から、彼女を非常に危険な人物として警戒していた。


「茨の王女……確かに油断ならぬ相手ですが、彼女とて万能ではありません」


「どうかな。彼女のことだ。すでにこちらの動きを察知し、対策を講じているかもしれんぞ」


 アレクシスはそう言って、会議の打ち切りを宣言した。将軍たちは不満げな表情で退室していく。


 一人残されたアレクシスは深い溜息をついた。疲れた。何もかもが虚しい。彼はこの暗闇の中で、ただ惰性で皇太子としての職務をこなすしかなかった。


 §


 数週間後、アレクシスは南部の戦線に関する報告書に目を通していて、奇妙な点に気づいた。エルストラント軍の動きがどうにも不可解なのだ。彼らはある地域において、圧倒的に優勢な状況にありながら、なぜか攻勢を緩めている。


「副官。このセクターγの、直近一週間の詳細な航空偵察写真を準備しろ。それと、民間人の動向に関する情報もだ」


「はっ。直ちに」


 集められた情報から、驚くべき事実が浮かび上がってきた。セクターγには数万人の難民キャンプが存在していたのだ。そしてエルストラント軍はその難民たちが避難するための回廊を意図的に確保しているかのように見えた。


(馬鹿な……。あの茨の王女がそんな人道的な配慮をするはずがない)


 アレクシスは混乱した。彼女は目的のためなら手段を選ばない冷酷な女だと思っていた。それがなぜ、こんな行動をとるのか。罠か? それとも、何か別の意図があるのか。


 彼はさらに深く調査を進めた。諜報部を使い、現地に潜入している工作員からの情報を集めさせた。すると、あるNPO組織の存在が浮かび上がってきた。


「『銀の燭台』……?」


 アレクシスはその名前に聞き覚えがあった。いや、聞き覚えがあるどころではない。彼は数年前から、自国の非道な行いに対する罪滅ぼしの意味も込めて、匿名で多額の寄付を行っていたのだ。戦争によって生み出される孤児や難民を保護する活動を行っている、小さな組織だった。


 まさかその組織がこんな形で関わってくるとは。そして、エルストラント軍がその活動を黙認しているという事実は何を意味するのか。


「この組織の資金源を徹底的に洗え。銀行口座の記録、寄付者のリスト、すべてだ」


「殿下、それは……」


 副官が躊躇する。もしアレクシスがこの組織に関与していることが露見すれば、軍部からの追求は免れないだろう。


「構わん。これは最重要機密事項だ。私の命令だ」


 数日後、諜報部長が極秘裏にアレクシスのもとを訪れた。彼の表情は硬かった。


「殿下。ご命令の件ですが……驚くべき事実が判明いたしました」


「言え」


「『銀の燭台』の資金源ですが殿下が匿名で行っておられた寄付以外に、もう一つ、巨額の資金が流れ込んでおりました」


「どこからだ」


「エルストラント国内にある、ペーパーカンパニーからです。その会社の所有者を辿っていったところ……」


 諜報部長は言葉を濁した。アレクシスは鋭い視線で彼を促す。


「誰だ」


「……エレオノーラ・イザベル・フォン・エルストラント王女殿下です」


 アレクシスは息を呑んだ。時が止まったかのような感覚だった。


 あの茨の王女が。冷酷無比な戦略家が。自分と同じように、戦災孤児たちを救うために匿名で寄付を行っていたというのか。しかも、自分と同じ組織に。


 彼の心の中で、何かが音を立てて崩れていくのを感じた。これまで彼が抱いていたエレオノーラ像が粉々に砕け散っていく。


(彼女も……私と同じだったというのか)


 彼女もまた自国の狂気に絶望し、それでもなお、人間としてなすべきことをしようともがいていたのだ。彼女の冷徹な戦略はその絶望の裏返しだったのかもしれない。


 アレクシスの胸に、熱いものが込み上げてきた。この狂った世界で、自分と同じ魂を持つ人間がいた。しかもそれが宿敵である彼女だったとは。


 もしそうだとすれば。この膠着した状況を打破できるかもしれない。この終わらない悲劇に、終止符を打つことができるかもしれない。


 彼は決断した。「銀の燭台」の代表を通じて、エレオノーラに接触することを試みた。代表は中立国の人間であり、信頼できる人物だった。アレクシスは彼を密かに呼び寄せ、すべてを打ち明けた。


「貴方の活動には心から感謝している。だがもはや慈善活動だけでは限界がある。この戦争そのものを終わらせなければならない」


「殿下……。しかしそれは途方もないことです」


「分かっている。これは反逆だ。だが私はエレオノーラ王女と話がしたい。彼女もまた私と同じ気持ちであると確信している」


 代表はアレクシスの目の中に宿る決意の光を見て、深く頷いた。


「承知いたしました。命に代えても、殿下のメッセージをお届けいたします」


 アレクシスはペンを取り、一枚の紙にメッセージをしたためた。それは彼が独自に開発した、複雑な暗号で書かれていた。


『深淵なる慈悲の光を掲げる貴女へ。


 貴女の光は暗黒の時代にあってもなお輝きを失わない。しかしその光を覆い隠そうとする闇はあまりにも深い。我々を取り巻く現実はあまりにも醜悪で、そして愚かしい。


 貴女はこの現実に満足しているのだろうか。貴女のその類まれなる才能をこの不毛な殺し合いのために浪費することに、疑問を感じてはいないのだろうか。


 もし貴女が私と同じ絶望を抱いているのなら、応えてほしい。我々は手を取り合い、真の夜明けを迎えるべきではないだろうか。


 貴女の鏡像より』


 手紙は「銀の燭台」の代表に託され、秘密裏にエルストラントへと運ばれていった。


 返事を待つ数日間はアレクシスにとって永遠にも感じられた。もし彼女が自分の意図を汲み取れなければ、あるいは罠だと判断すれば、すべてが終わる。


 そして、一週間後。返事が届いた。


 アレクシスは震える手で封を開けた。そこには彼が使ったものと同じ暗号で書かれたメッセージがあった。その筆跡は力強く、そして流麗だった。


『貴方の勇気ある灯火に敬意を表する。


 貴方の言葉は私の心の奥底にある澱をかき乱した。私はこれまで、自分は孤独だと思っていた。この狂った世界で、正気を保っているのは自分だけだと。


 だが違った。貴方もまた同じ地獄にいたのだ。


 貴方の提案は魅力的だ。だが夜明けを迎えるためにはまず嵐を乗り越えなければならない。そしてその嵐は我々自身が引き起こさなければならないものだ。


 その覚悟が貴殿にあるのか、試させていただこう。まずは貴国の南部戦線における次の攻勢計画を教えていただきたい。それによって、貴方の本気度を測らせてもらう。


 茨の園の主より』


 アレクシスはメッセージを読んだ瞬間、興奮を覚えた。彼女は自分の意図を正確に理解し、そして応えてくれたのだ。しかも、ただ同意するだけでなく、こちらを試すという形で。


(やはり、彼女はただ者ではない)


 アレクシスはすぐに返信を作成した。彼は南部戦線における攻勢計画の詳細を記した。それは軍令部が立案した最高機密であり、もし敵に漏れれば多大な損害が出ることは間違いない。だが彼は躊躇しなかった。彼女を信頼することに決めたのだ。


 そして、その計画の最後に、彼はこう付け加えた。


『この計画には一つだけ欠陥がある。それは補給路が脆弱であることだ。もし貴女がその点を突けば、この作戦は容易に瓦解するだろう。


 だがただ瓦解させるだけでは意味がない。貴女なら、この状況をどう利用するか。その手腕を見せてもらおう』


 それはアレクシスからの挑戦状だった。


 数日後、南部戦線で戦闘が勃発した。帝国軍は計画通りに攻勢を開始したがすぐに予期せぬ事態に直面した。補給部隊が奇襲を受け、壊滅したのだ。


 その奇襲は見事としか言いようがなかった。最小限の兵力で、最大の効果を上げていた。そして何よりも驚くべきはその奇襲部隊が民間人の避難を助けながら行動していたことだった。


 帝国軍の攻勢は頓挫した。軍令部は大騒ぎになった。ドラッヘ総長はアレクシスを詰問した。


「殿下! これはどういうことです! なぜ補給路がかくも容易く突破されたのです!」


「それは私の台詞だ、総長。補給路の防衛は貴官の責任のはずだが」


「しかし敵の動きがあまりにも的確すぎます! まるで、事前に情報が漏れていたかのように!」


 アレクシスは冷ややかに笑った。


「情報漏洩だと? 証拠はあるのか。それとも、貴官は自らの無能さを他人の責任に転嫁するつもりか」


 ドラッヘは口ごもった。アレクシスは内心で満足していた。これで、ドラッヘの発言力は一時的に弱まるだろう。そして、エレオノーラは見事に自分の期待に応えてくれた。


 その夜、アレクシスはエレオノーラにメッセージを送った。


『見事な手腕だった。貴女の能力には感服した。これで、我々の間に信頼関係が築けたと言っていいだろう。次は貴女の番だ』


 §


 それから数ヶ月、アレクシスとエレオノーラの秘密の文通が続いた。それはまるで暗闇の中で互いの存在を確かめ合うような、切実で濃密な対話だった。


 二人は互いの国の軍事機密を交換し、それを利用して自国の軍事的優位を築こうとした。だがそれは表向きの目的に過ぎなかった。真の目的は互いの国内における発言力を強化し、タカ派の動きを封じ込めることだった。


『貴国の将軍たちは相変わらず楽観的だな。彼らは現実が見えていないのか、それとも見たくないのか』


 アレクシスがそう問いかけると、エレオノーラはこう答えた。


『それは貴国も同じでしょう。人間とは信じたいものしか信じない生き物です。特に、権力を持った人間は。我が国の宗教指導者たちは相変わらず非現実的な勝利を予言しています。彼らの言葉に、どれほどの価値があるのか』


『宗教か。我が国では貴族たちがそれに当たる。彼らは自らの特権を守るために、戦争を利用しているだけだ。彼らにとって、国家とは自分たちの財布に過ぎない』


『許しがたいことです。彼らのために、どれだけの血が流されてきたか。私は時々、自分が何のために戦っているのか分からなくなります』


 文通を重ねるうちに、アレクシスの中でエレオノーラに対する認識が変化していくのを感じた。彼女の的確な分析力、そして時折見せる皮肉交じりのユーモアに触れるたびに、尊敬と共感が芽生えていった。


 ある日、アレクシスは戦略論から離れ、哲学的な問いかけをした。


『先日貴女が送ってくれた詩集、拝読した。特に、あの無名の詩人の作品は心に響いた。「我々はなぜ、愛することを恐れるのか」という一節が頭から離れない』


『気に入っていただけて嬉しいです。あの詩人は戦争で恋人を失った経験から、あの詩を書いたと言われています。愛することは失うことの恐怖と表裏一体です。だからこそ、人々は愛することを恐れ、代わりに憎悪を選ぶのかもしれません』


『憎悪は簡単だ。だがそこからは何も生まれない。我々はこの矛盾をどう解決すべきだろうか』


『それは難しい問いですね。ですが一つだけ確かなことがあります。それは我々は自らの幸福を追求する権利があるということです。たとえそれが国家の利益に反するとしても』


 二人の会話は次第に戦略論から哲学論へ、そして個人的な話題へと移っていった。互いの幼少期の思い出、趣味、そして将来の夢。


 アレクシスはエレオノーラの意外な一面を知ることになった。彼女は冷徹な戦略家であると同時に、詩を愛し、音楽を愛する、繊細な感性の持ち主だった。そして、誰よりも平和を愛し、この戦争を憎んでいた。


 そしていつしか、彼女からの手紙を待つ時間がアレクシスにとってかけがえのないものになっていた。彼女の筆跡、言葉の選び方、そしてそこに込められた彼女の息遣いを感じるたびに、胸が高鳴るのを感じた。


 これは恋なのだろうか。アレクシスは自問した。会ったこともない相手に、しかも宿敵の王女に対して、こんな感情を抱くなどあり得ない。だがそれでも、彼女のことを考えると心が温かくなるのを感じた。


 ある夜、アレクシスは衝動を抑えきれず、メッセージにこう記した。


『貴女との文通は私にとって唯一の救いだ。もし貴女がいなければ、私はとうに絶望に打ちひしがれていたかもしれない。この狂った世界で、貴女だけが私の理解者だ。貴女の存在が私に生きる力を与えてくれる。


 いつか、貴女と直接会って話がしたい。貴女の目を見て、貴女の声を聞きたい。貴女の温もりに触れたい』


 それは彼にしては珍しい、感情的な吐露だった。彼は送信した後、少し後悔した。こんなことを書いて、彼女に引かれてしまうのではないかと。


 だが返事はすぐに届いた。


『私も同じ気持ちです、アレクシス。貴方の言葉が私の凍りついた心を溶かしてくれる。私も貴方に会いたい。貴方の孤独な魂に寄り添いたい。


 この戦争が終わったら私たちは会えるでしょうか。それとも、これは叶わぬ夢なのでしょうか』


 そのメッセージを読んだ時、アレクシスは確信した。自分はエレオノーラを愛しているのだと。そして彼女もまた自分を愛してくれているのだと。


 だが同時に、彼女のメッセージの最後の一文がアレクシスの心に重くのしかかった。


 この戦争が終わったら。それはいつになるのか。そして、もし戦争が終わったとしても、二人が結ばれることは決してないだろう。ガルダリク帝国とエルストラント王国が存続する限り、二人は敵同士であり続けるしかない。


 ならばどうすればいいのか。


 アレクシスの中で、一つの決断が下された。それはこれまで漠然と考えていた計画を具体的な行動に移す時が来たということだった。


 この戦争を終わらせる。ただし、どちらの勝利でもない形で。


 それは、希代の謀略家である彼で冴えもしり込みをするほどの恐るべき策である。


 だが愛する女性と結ばれるためならば、そしてこの戦争が齎す戦禍を食い止めるためには、どんな犠牲も厭わない覚悟ができていた。


 アレクシスはペンを取り、エレオノーラへの手紙をしたためた。その内容はこれまでとは一線を画す、明確な反逆の提案だった。


『エレオノーラ。我々の手でこの戦争を終わらせよう。


 だがそれはどちらかの国の勝利という形ではない。我々は第三国を引き込み、両国を併合させるのだ。我々の祖国はもはや救いようのないほど腐敗している。ここで一度リセットしなければ、未来永劫この悲劇は繰り返されるだろう。


 そしてその報酬として、我々は新しい世界で結ばれる。


 もし貴女にその覚悟があるのなら、共にこの茨の道を歩んでほしい。私は貴女を愛している。貴女と共に生きたい』


 返事は短かった。だがそこには彼女の強い決意が込められていた。


『私も貴方を愛しています、アレクシス。


 貴方と共になら、どんな困難も乗り越えられると信じています。この命、貴方に捧げましょう』


 ここに、歴史上最も奇妙な同盟が成立した。二つの大国の皇太子と王女が愛のために自らの祖国を滅ぼすという、前代未聞の謀略が始まろうとしていた。


 §


 アレクシスとエレオノーラが目をつけた第三国はノルデン連邦だった。大陸北部に位置するこの国は民主主義と人道主義を掲げる新興国家であり、高い技術力と経済力を有していた。そして何よりも、ガルダリクとエルストラントの長きにわたる戦争によって生み出される難民問題に頭を悩ませていた。


 アレクシスは秘密裏にノルデン連邦の指導者と接触するための工作を開始した。彼は外交ルートを使い、中立国で開催される国際会議の場で、ノルデン連邦の首相と非公式に会談する機会を作り出した。


 会談は厳重な警備の下、秘密裏に行われた。首相は初老の男性で、その表情からは知性と誠実さが滲み出ていた。


「ガルダリクの皇太子殿下が私にどのようなご用件でしょうか。まさか、和平の使者というわけではありますまい」


 首相は静かな口調で問いかけた。


「和平の使者ではありません。むしろ、戦争の使者と言えるかもしれません」


「ほう。それは興味深い。詳しくお聞かせ願えますかな」


「単刀直入に申し上げます。ノルデン連邦は我が国とエルストラント王国の戦争を終わらせたいと願っている。その手助けをしましょう」


 首相は目を見開いた。


「それは……どういう意味でしょうか。貴国が降伏するというのですか」


「いいえ。両国が滅びるということです。私と、エルストラント王国のエレオノーラ王女が内応します。貴国軍が両国に侵攻する際、我々が手引きをします」


 首相は息を呑んだ。彼は信じられないという表情でアレクシスを見つめた。


「まさか……。正気ですか、殿下。貴方がたは祖国を裏切るというのですか」


「裏切りではありません。救済です。我が国もエルストラントも、もはや自浄作用を失っています。外部からの力でしか、この狂気を止めることはできません」


 アレクシスは両国の現状、そして両国が開発中の非人道的な兵器に関する情報を提供した。それはノルデン連邦にとっても脅威となるものだった。


「もしこの戦争が続けば、両国はさらに多くの犠牲者を出すでしょう。特に、我が国が開発中の化学兵器『ヘリオス』が使用されれば、その被害は計り知れません。そして、その憎悪の連鎖は貴国にも及ぶかもしれません」


 首相はしばらく沈黙していたがやがて口を開いた。


「貴方がたの計画はあまりにも危険すぎます。もし失敗すれば、貴方がたは反逆者として処刑されるでしょう。それに、我々が貴方がたを信用できるという保証はどこにあるのですか」


「保証はありません。ですが我々には共通の目的があります。それはこの大陸に平和をもたらすことです」


 そしてアレクシスは最後にこう付け加えた。


「我々の報酬はノルデンでの静かな生活と、私とエレオノーラの身柄の保証。一貴族としての地位を与えていただければ、それで十分です。それ以上のものは望みません」


 首相はアレクシスの目の中に宿る決意の光を見て、深く頷いた。


「承知しました。貴方がたの勇気ある決断に敬意を表します。ノルデン連邦は全力を挙げて貴方がたに協力しましょう。ただし、条件があります。貴方がたの計画が最小限の犠牲で達成されること。我々は無用な流血は望みません」


「もちろんです。そのための準備はすでに進めています」


 密約は成立した。そして、いよいよ断罪の鉄槌が下される時が来た。


 アレクシスとエレオノーラはこれまで以上に緊密に連携を取りながら、計画を進めていった。彼らがこれまで敵国に向けていた謀略の才能が今度は自国へと向けられた時、その破壊力は凄まじいものとなった。


 アレクシスはまず、帝国内部の権力闘争を激化させることから始めた。彼はドラッヘ軍令部総長と対立する派閥に接近し、彼らに有利な情報を流した。


「ドラッヘ総長は軍事物資を横流しし、私腹を肥やしている。その証拠がこれだ」


 アレクシスが提示した証拠は決定的なものだった。それは彼が長年にわたって密かに収集してきたものだった。


「これは……! あの男、許せん!」


 貴族たちは激怒した。ドラッヘは失脚し、軍法会議にかけられた。


 タカ派の重鎮が失脚したことで、軍部は一時的に混乱に陥った。アレクシスはその隙をついて、自身の息のかかった若手の将校たちを要職に据え、軍の主導権を握っていった。


「殿下。我々は貴方に忠誠を誓います。この腐敗した軍部を立て直すためには貴方の力が必要です」


「ああ。だが時間は限られている。我々は迅速に行動しなければならない」


 同時に、彼は軍需産業の不正に関する証拠をマスコミにリークし、国民の政府に対する不信感を煽った。


「我々が飢えに苦しんでいる間、奴らは私腹を肥やしていたのだ!」


「政府は我々を騙していたのか!」


 民衆の怒りは爆発し、各地で暴動が発生した。帝国経済は混乱し、政府は対応に追われ、軍事行動にも支障をきたすようになった。


 次にアレクシスは軍の兵站部に偽情報を流した。南部戦線への補給物資を意図的に別の場所へ誘導したのだ。


「なぜ補給物資が届かないのだ! このままでは戦線が崩壊してしまう!」


 前線の兵士たちは食料も弾薬も不足する事態に陥った。


 さらに彼は指揮系統を混乱させるために、偽の命令書を作成し、各部隊に送付した。


「なぜ撤退命令が出ているのだ? 我々は優勢なのに!」


「いや、こちらには攻撃命令が出ているぞ!」


 帝国軍は統制が取れなくなり、各地で同士討ちが頻発するようになった。


 一方、エルストラント王国でも、エレオノーラが鮮やかな手腕を発揮していた。彼女は王国を牛耳る宗教勢力のスキャンダルを次々と暴露し、彼らの権威を失墜させた。


『宗教指導者たちが神の名の下に、どれほど非道な行いをしていたか。その証拠がここにあります。彼らは民衆から搾取し、その金を自らの享楽のために使っていたのです』


 エレオノーラは秘密裏にビラを撒き、ラジオ放送を通じて国民に真実を伝えた。


「彼らは神の名の下に、我々を欺いていたのだ!」


「もう誰も信じられない!」


 宗教的権威が失墜したことで、国民の間に動揺が広がった。エレオノーラはその混乱を利用し、偽の情報を流して補給路を混乱させ、前線の兵士たちの士気を低下させた。


 両国の指導者層はこの混乱の原因が互いの国のスパイの仕業だと信じて疑わなかった。彼らは疑心暗鬼に陥り、内部粛清の嵐が吹き荒れた。有能な人材が次々と失われ、両国は急速に弱体化していった。


 そしてアレクシスは最後の仕上げに取り掛かった。彼は自ら少数の精鋭部隊を率いて、新型化学兵器「ヘリオス」の製造工場を襲撃した。


 それはドラッヘが失脚する前に、秘密裏に製造を進めていたものだった。もしこれが実戦投入されれば、ノルデン連邦軍にも多大な被害が出るだろう。


 工場は厳重な警備体制が敷かれていたがアレクシスは内部構造を知り尽くしていた。彼は的確な指示を出し、瞬く間に工場を制圧した。


「工場を爆破する。だがその前に、ここで働かされている者たちを解放しろ」


 アレクシスが命じると、部下たちが工場の奥へと向かった。そこでは多くの人々が強制労働に従事させられていた。彼らはアレクシスの姿を見ると、驚きと感謝の表情を浮かべた。


「皇太子殿下が我々を助けに来てくださった……」


「本当に……夢のようだ……」


 アレクシスは彼らに向かって言った。


「あなた方は自由だ。新しい世界で、自分の人生を生きてほしい。すぐに避難してくれ。ここは間もなく火の海になる」


 人々が避難したのを確認した後、アレクシスは工場を爆破した。ヘリオスは一度も実戦で使われることなく、永遠に歴史から抹消された。


 この事件は帝国に決定的な打撃を与えた。そしてそれを合図とするかのように、ノルデン連邦軍が電撃的に侵攻を開始した。


 §


 ノルデン連邦軍はアレクシスとエレオノーラから提供された情報に基づき、両国の重要拠点を次々と制圧していった。両軍は組織的な抵抗もできないまま、雪崩を打って敗走した。


 しかしそれは単なる侵略ではなかった。アレクシスは前線に出て指揮を執るふりをしながら、意図的に部隊を分散させ、ノルデン軍に各個撃破されるように仕向けた。


「殿下! このままでは我が軍は全滅します! 部隊を再編成し、反撃に転じるべきです!」


 若手の将校が血相を変えて進言する。


「ならん。今は敵の攻勢を凌ぐことだけを考えろ。それに、民間人の避難が最優先だ。彼らを見捨てるわけにはいかない」


 アレクシスは冷徹に言った。彼は事前にノルデン連邦軍と連携し、民間人の避難経路を確保していた。彼の目的は戦争を早期に終結させ、犠牲者を最小限に抑えることだった。


 彼の指示により多くの民間人が戦火を逃れ、ノルデン連邦の保護下に置かれた。彼らは自分たちを救ってくれたのが誰なのかを知らなかったがその迅速で的確な対応に感謝した。


「ノルデン軍が我々を保護してくれるそうだ!」


「食料も医薬品も提供してくれるらしい!」


 ガルダリク帝国内はパニック状態に陥っていた。皇帝や貴族たちは狼狽し、互いに責任をなすりつけ合った。


「なぜこんなことになったのだ! 誰が責任を取るのだ!」


 皇帝が叫ぶ。その視線がアレクシスに向けられる。


「アレクシスよ。お前が軍の主導権を握ってから、我が軍は弱体化する一方ではないか。まさか、お前が敵と内通していたのではないだろうな」


「父上。何を仰せですか。私が敵と内通するなど、あり得ません」


 アレクシスは冷静に応えた。


「ではなぜこのような事態になったのだ! 説明しろ!」


「それはドラッヘ総長をはじめとする軍部の腐敗が原因です。彼らが私腹を肥やし、軍の近代化を怠った結果がこの有様です」


 アレクシスは巧みに追求をかわし、他の貴族たちに責任を転嫁していった。彼の冷徹な表情からは何の感情も読み取れなかった。


 時を同じくして、エルストラント王国もまた崩壊していた。エレオノーラの工作により、王国内は内乱状態となり、ノルデン連邦軍の侵攻を阻止する力は残っていなかった。


 そしてついに、ガルダリク帝国の帝都サンクト・ヴァレリウスが陥落した。皇帝や貴族たちは捕らえられ、戦争犯罪人として裁かれることになった。


 アレクシスはその直前に部下たちの手引きで帝都を脱出し、ノルデン連邦へと向かった。


 十余年にわたって続いた戦争はこうして呆気なく幕を閉じた。二つの大国は滅び、ノルデン連邦によって併合された。一つの時代が終わり、新しい時代が始まろうとしていた。


 §


 ノルデン連邦の片田舎。美しい湖のほとりに建つ小さな屋敷。そこがアレクシスとエレオノーラに与えられた新しい住まいだった。


 アレクシスは屋敷のテラスに立ち、湖面を眺めていた。空は青く澄み渡り、穏やかな風が頬を撫でる。そこにはかつて彼がいた世界の喧騒も、陰謀も、そして血の匂いもなかった。


 すべてが終わったのだ。長かった戦いが。そして、彼自身の孤独な戦いも。


 ここで彼は一人の相手を待っている。


 相手とはいうまでもなく、エレオノーラだ。


 アレクシスにせよエレオノーラにせよ、祖国を脱してからはそれぞれノルデン連邦での新しい身分を作ったりと、最低限の生活基盤を整えるための準備が必要であった。


 それら諸々が済んだのがまさに今日この日で──


 背後で足音がした。アレクシスが振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。


 亜麻色の髪を風になびかせ、深い知性を感じさせる青い瞳を持った女性。彼女こそがアレクシスが愛し、そして共に世界を変えた女性、エレオノーラだった。


 二人はしばらくの間、無言で見つめ合っていた。手紙で何度も言葉を交わし、互いの魂を深く理解し合っていた二人だったが直接会うのはこれが初めてだった。


 それでもなお互いが互いをアレクシスである、あるいはエレオノーラであると認識できたのは、これはもう理屈によるところではない。


 先に口を開いたのはアレクシスだった。


「エレオノーラか。ようやく会えた」


 彼の声はわずかに震えていた。


 エレオノーラは微笑んだ。その笑顔はアレクシスが想像していたよりもずっと暖かく、そして美しかった。


「アレクシス。本当に、長かったですね」


 彼女の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「ああ。長かった。だがこれからはずっと一緒だ」


「はい──」


 二人はゆっくりと歩み寄り、そして固く抱きしめ合った。


「愛している、エレオノーラ。君と出会えたことが私の人生で唯一の救いだった」


「私も愛しています、アレクシス。貴方がいたから、私は最後まで戦うことができました」


 二人は長い口づけを交わした。それは彼らが失った多くのものと引き換えに手に入れたものだ。


 数日後、二人の結婚式が行われた。それはささやかなものだったが二人を支援してくれた人々が集まり、心からの祝福を送ってくれた。「銀の燭台」の代表も出席し、涙ながらに二人を祝福した。


「お二人の愛がこの世界に新しい光をもたらしました。本当に、おめでとうございます」


 純白のウェディングドレスに身を包んだエレオノーラは息をのむほど美しかった。アレクシスは彼女の隣に立ち、永遠の愛を誓った。


 二人は湖畔の屋敷で、静かな生活を送り始めた。時には二人でチェスを指し、時には政治談議に花を咲かせた。二人の知的な会話は尽きることがなく、その笑顔が絶えることもなかった。


 ある夜、二人はテラスで星空を眺めていた。満天の星がまるで二人を祝福するかのように輝いている。


「私たちは正しいことをしたのだろうか」


 アレクシスがふと呟いた。


「どうしたの、急に。まだ気に病んでいるの?」


「いや。ただ、時々考えるのだ。私たちは祖国を裏切り、多くのものを犠牲にした。歴史は我々を反逆者として記憶するだろう」


 エレオノーラはアレクシスの手を握りしめ、彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「歴史の評価など、どうでもいいことです。私たちは自分たちの信念に従って行動しました。そして、多くの命を救いました。それだけで十分ではありませんか」


 彼女は微笑んだ。


「それに、私は後悔していません。貴方と出会えたこと、貴方と共に生きられること。それだけで私は幸せです。もし過去に戻れるとしても、私は同じ道を選ぶでしょう。貴方に会うために」


 アレクシスは彼女を抱き寄せた。彼女の言葉が彼の心に残っていた最後の迷いを消し去ってくれた。


「私もだ、エレオノーラ。君がいてくれれば他に何もいらない」


 §


 歴史は勝者によって記されるという。だがその行間にこそ、語られることのなかった真実が眠っている。


 大陸の双璧と謳われたガルダリク帝国とエルストラント王国がほぼ同時に、かくも呆気なく地図上から消え去ったという事実は後世の歴史家たちを長らく悩ませることになった。


 公式な記録に残されたのは長きにわたる戦争による国力の疲弊、指導者層の腐敗、そしてそれに乗じた新興国家ノルデン連邦による迅速な軍事介入という、ごくありふれた結論だけであった。


 憎しみと血で塗り固められた二つの大国が消え去った土地はノルデン連邦の管理下に置かれ、「大陸東部連合州」として新たな歩みを始めた。旧帝国の皇帝や主戦派の貴族たち、そして旧王国の狂信的な宗教指導者たちは国際法廷でその罪を裁かれた。


 彼らが民衆から搾取していた事実は白日の下に晒され、旧体制の腐敗を改めて人々に知らしめたが混乱に乗じて逃亡し、新たな憎悪の火種を育む残党も少なくなかった。平和は訪れたがその大地にはまだ過去の亡霊が彷徨っていた。


 それでも──十余年続いた戦争の終結は大多数の民衆にとってまさしく天啓であった。昨日まで敵だった隣国が同じ州の民となり、ノルデン連邦の支援のもと、飢えと恐怖から解放されたのである。配給される食糧、修復されるインフラ、そして子供たちのために再開された教育。


 人々は当たり前の日常というものがこれほどまでに尊いものかと涙した。


 後世において、アレクシス・ヴァレリウス・ガルダリクは「国を見捨てた最後の皇太子」、エレオノーラ・イザベル・フォン・エルストラントは「混乱の中で行方知れずとなった悲劇の王女」として、歴史書にわずか数行記されるのみとなった。


 彼らの行動の真意を知る者はなく、ただ無能か、あるいは臆病な君主であったと評価された。


 だが歴史の評価など、当の二人にとってはもはや何の意味も持たなかった。ノルデン連邦の片田舎、美しい湖のほとりに建つ小さな屋敷で、彼らはただの「アレクシスとエレオノーラ」として、静かで満ち足りた日々を送っていた。


 彼らが始めた「銀の燭台」への支援は続けられ、その資金によって、さらに多くの戦災孤児が救われた。


 彼らは歴史上、最も冷酷な裏切り者であったのか。それとも、最も切実な愛の体現者であったのか。


 その答えは風の中に消え、誰にも分からない。


 ただ一つ確かなことは、彼らが自らの手で地獄の釜に蓋をし、愛する人と共に生きる未来を選び取ったという事実。


 そして──歴史の行間に埋もれたその愛が、新しい時代の夜明けを静かに照らしたということだけである。

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死んでも何度でも転生してしまう呪いだ。
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シドは呪われている。
死んでも何度でも転生してしまう呪いだ。
シドは呪われている。
その性癖が。
シドは呪われるべきだ。
余りにも性格が酷いから。
※ 本作は曇らせ剣士シドシリーズの3作目にあたります。
1作目と2作目は作品トップの上部、シリーズのリンクからどうぞ。
また、別作「イマドキのサバサバ冒険者」および「Memento-mori」のスピンオフ的作品でもありますが、これらを読んで居なきゃ何も分からないという事はないと思います。
なお、本作はAI挿絵を採用しておりますのでご了承ください。
本作はカクヨム、ハーメルンにも掲載しています。
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死んでも何度でも転生してしまう呪いだ。
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