第9話 借金取りの要求は
「おっと。本当に来たのかあ」
呼ばれたクリフトはひょいと立ち上がった。むしろ嫌な話から逃げられてホッとしたように見える。
「悪いね、ちょっと出てくる」
「お父さん、クジモさんはお金を受け取りに来たのよ? 渡せないのにどうするの!」
マルーシャの声に不安がにじんだ。
今日納品だと伝えた時、クジモはとても喜んでくれたのだ。裏切ったらとても怒るだろう。
「まあまあ、事情を話せばわかってくれるさ」
クリフトは笑って行ってしまった。あれは反省していないと思う。
「……失礼だけど、大丈夫かい?」
見送ってイグナートが眉をひそめた。
「お金って言ったね? どんな相手でも、金が挟まるとガラリと変わることがあるから」
「ご近所の友人なんですけど……生活費を借りていて」
「うわ、本当に苦労人だなあ」
借金の理由は生活費。さすがに恥ずかしくてマルーシャも小声だった。
「お母さまも、がんばりやさんなのね。いいこいいこ」
「うう、ミュシカありがと」
マルーシャが返す笑顔はやわらかく、ダニールは目を細める。
この人が話すと空気が春めく気がした。やはり〈春告げの姫〉なのかもしれない。ぜひファロニアへ連れて行きたいと決意した。
「あの……クリフト氏も同行するのは歓迎します。それでいかがでしょうか」
「うわ、ありがとうございます。我がまま言ってすみません」
「いえ。そもそも突然お招きするのがこちらの我がままですから」
「あーらら閣下が我がままだって言っちまったよ、こいつ」
「っ! そういう意味じゃ」
混ぜっ返されてダニールがムッとする。だがミュシカもラリサもニコニコ見守っていて、口喧嘩が許される間柄なのがわかった。この人たちとの旅ならば、きっと楽しいだろう。クリフトも同意してくれればいいのだが。
するとそのクリフトの大声が台所まで響いた。
「だめだよ、そんなの!」
大人四人がそろって振り向く。ミュシカはビクッとマルーシャにしがみついた。何か言い合う声が続いて聞こえ、クリフトにしては珍しく怒っているようだ。ダニールは席を立った。
「様子を見てきます」
「いや俺が行く」
「イグナートは見るからに腕が立つ。刺激するとまずいだろう。隠し玉になっていてくれ」
言い置いて出て行こうとするが、マルーシャだってそういうわけにはいかない。
「私も行きます。ダニールさんだけじゃ、何がなんだかわからないでしょ」
「それは……そうですが」
ダニールは渋い顔だが、マルーシャはミュシカを椅子に抱きおろし、さっさと工房へ出た。強い声で問いかける。
「どうしたの?」
「ああマルーシャ、大声ですまねえな」
こちらを見たのはクジモだった。さすがに怒っているらしい。眉間にしわが寄っている。
「クリフトの奴、勝手ばかり言いやがって……」
「ごめんなさい」
怒りで二の句がつげないクジモにマルーシャは頭を下げた。気持ちはものすごーくわかる。
だが怒られたクリフトの方も怒っていた。ぷんぷん、という風情で唇をとがらせている。
「だからって許すわけないだろ! 借金が返せないならマルーシャを嫁に寄越せなんて!」
「へ?」
父の言葉にマルーシャは間抜けな声で反応してしまった。だって意味がわからない。
嫁?
って、あの嫁か。結婚する、あれ。
――――えええっ!?
「どういうことでしょう?」
大混乱のマルーシャの横に来て、ダニールが冷静な声で尋ねた。軽く自分の肩でマルーシャを隠し、かばう。
視界をさえぎってくれた背中にマルーシャは落ち着きを取り戻した。なんだか頼りがいを感じる。そう、ダニールは仕事のやり取りならできる男なのだった!
知らない人間が出てきてクジモはひるんだが、ここで引っ込むわけにもいかない。
「俺も金を返してもらえないと困るんだよ。だが親族のことなら、まだ少しは言い訳が立つ。だからマルーシャをウチの長男の嫁にもらえないかと」
マルーシャを振り向き、ダニールは抑えた調子で訊いた。
「あなたはその人と恋仲なんですか?」
「そんなことないです! 私、おばさんくさくてモテないって言ったじゃないですか」
「いやいやマルーシャ、それは家庭的ってことだろ? クリフトを支えて工房を切り盛りしてきたんだし俺は歓迎するね。うちの息子は地味だが、しっかり者なんだ。きっと似合いの夫婦になると前から思ってたんだよ。クリフトの面倒みてるばかりじゃ、マルーシャは一生嫁になんか行けないだろうが」
クジモが言い張った。クリフトは傷ついたが、その内容は正しいとも思う。
好き勝手な父に振り回されるマルーシャには浮いた話がまったくない。クリフトは言葉に詰まってしまった。
「お母さま――?」
かわいらしい声が沈黙を破った。
青い瞳を不安に曇らせて、台所からトトト、と出てきたミュシカはマルーシャに抱きつく。
「ああミュシカ。だいじょうぶよ」
寂しがり屋の幼女を安心させたくて、よいしょとマルーシャが抱き上げる。ミュシカはきゅ、と首にかじりついた。
「お母さ……って」
クジモはぎょっとした。
髪と瞳の色は違えどマルーシャに面ざしの似た、愛らしい子。マルーシャに娘がいるなんて聞いていない。
「彼女を嫁にというのは待っていただけませんか」
ミュシカを抱くマルーシャに寄りそい、ダニールは言った。
「僕はこの人を迎えに来たんです」
「お父さま」
ミュシカが伸ばす小さな手を取ってダニールがうなずく。
これはどう見ても仲の良い家族――夫婦と娘。クジモは自分がとんでもない横やりを入れていると誤解した。




