第16話:堕ちた賢者の選択
第16話:堕ちた賢者の選択
「おじさん…!?」
アルバスの眉が、面白いほどに、ぴくりと痙攣した。おまけに、なけなしの銅貨で買った一杯を、目の前の美しい小悪魔に、一瞬で飲み干されてしまったのだ。
「何よ、その言い方!アリア姉ちゃんはね、国を救うために、必死なんだから!」
リラは、空になったグラスをカウンターにコンと置くと、小さな体を精一杯伸ばして、アルバスを睨みつけた。その翠の瞳は、怒りにきらめいている。しかし、その怒った顔さえも、人形のように整っており、思わず見とれてしまうほどの愛らしさがあった。
アルバスは、リラの美しさと、その物怖じしない威勢の良さに、一瞬だけ言葉を失った。そして、隣に立つ、もう一人の少女に視線を移す。
フードの奥から覗く、紅玉の瞳。その瞳は、ただまっすぐに、自分を見据えている。
「国を救う、ねえ。結構なご身分だ」
アルバスは、わざとらしくため息をつくと、鼻で笑った。
「だがな、小娘。この国はもう手遅れだ。根っこから腐っちまってる。正義だの、理想だの、そんなもんは、腹の足しにもなりゃしねえよ」
その、全てを諦めきった言葉に、アリアナは怯まなかった。
「世界が本当に終わるというのなら、私は女王として、最後の瞬間まで民と共に在り、戦います。諦めるのは、全てを失ってからでも遅くはないはず」
彼女の声は、静かだが、有無を言わせぬ力を持っていた。
「…賢者アルバス、あなたは本当に、このまま酒場で無為に朽ち果てていくつもりですか?あなたのその知識は、多くの民を救う力になるはずなのに」
アリアナの曇りのない瞳。そこには、国を憂う純粋な想いしかなかった。
アルバスの心が、久しぶりに揺さぶられる。
かつて自分が抱いていた理想――魔法の力で人々を幸福にするという、青臭くも真剣だった夢。それを、目の前の、神々しいほどに美しい少女が、今まさに体現しようとしている。
腐敗した王宮に絶望し、世を捨て、知識を酒で濁すだけの毎日。それで、本当にいいのか。自らの魂に、彼自身が問いかけた。
リラが、さらに畳みかける。
「そうだよ!こんな綺麗なお姉さんに頭を下げさせて、男として恥ずかしくないの!?」
彼女の言葉は、単純で、子供じみている。しかし、だからこそ、アルバスの心の最も柔らかい部分を、容赦なく抉った。
「…ちっ」
アルバスは悪態をつくと、店の主人に銅貨を数枚投げ渡した。「ツケと、嬢ちゃんたちの飲み代だ」
そして、彼はゆっくりと立ち上がった。
「分かった、分かったよ!面倒な姫様たちに捕まっちまったな!いいだろう、付き合ってやる!」
彼は、わざとぶっきらぼうにそう言うと、アリアナとリラ、そしてその後ろで氷のように佇むゼノスを見渡した。
「だが、勘違いするなよ。俺は世界を救う気なんざねえ。ただ、あんたたちのその無謀な旅が、どんな結雷を迎えるのか、この目で見たくなっただけだ!」
そう言う彼の顔は、どこか吹っ切れたように、ほんの少しだけ、かつての「白の賢者」の輝きを取り戻しているように見えた。
こうして、一行に、口は悪いが頼りになる(かもしれない)賢者が加わった。
女王と、騎士と、盗賊と、そして堕ちた賢者。
あまりにもちぐはぐな彼らの旅は、さらに複雑で、賑やかなものになろうとしていた。
アルバスは、この選択が、自らの運命をも、大きく変えることになることを、まだ知る由もなかった。




