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第二章①

山辺先生は、完全に順番を誤った。

せめて、始業式の後に佐々木英輔の死を伝えるべきだった。そうであれば、少なくとも始業式の間、ずっと俯き続けることなどなかっただろう。

始業式で佐々木英輔に黙祷を捧げる、などという儀式は行われなかった。校長は既に知っているはずだが、とりあえずは棚に上げて「勉学に励むように」と定型的な言葉を贈った。

勉学に励むことなど、言われなくても分かっていた。分かっていなかったのは、佐々木の死の詳細についてだった。

始業式が終わって、クラスごとに教室へ移動していた。多少の雑談が許されるこの刹那、やはり高校生のゴシップは爆発することになった。そして、それに巻き込まれるのは、いつも一緒にいた工藤と皆川と朝倉だった。

「佐々木くんが転落死って山辺先生が言ってたけど、何か知ってる?」

三人の答えは揃って「いいえ」だった。しかし、それでも質問者が変わって同じ質問をされた。物凄く親しいというわけでもない生徒に、しつこく慣れ慣れしく話しかけられた。教室へ向かうのに、これほどの労力が要るとは知らなかった。

体育館から一組の教室に戻って来て、次にするのが確認テストだった。

これがあって良かったのかもしれない。もしも通常の日程であれば、さすがに配慮して、自習になっていただろうから。同級生が死亡して、授業に集中出来るはずがない。それに比べれば、テストであれば集中度は関係ない。雑談が許されないという状況は、尚都合が良い。

しかし、死亡した生徒と密に関わっていた友人たちには、テストを受ける資格は認められなかった。

テスト用紙が配られて、山辺先生が「始め」の合図をして数分後に、見た事はあるがそういえば名前を知らない三年の学年主任がクラスの扉を勢いよく開けた。

「工藤くんと皆川くんと朝倉さんの三名、ちょっと来ていただけますか?」

学年主任は三名の顔を知らないのか、教室中を見回した。山辺先生はこうなることを事前に知っていたのかもしれない。学年主任の登場に狼狽することなく、朝倉たち三人を促した。

朝倉は席の離れた工藤と皆川と目配せをしながら、ゆっくりと立ち上がり、廊下に出て歩いて行く学年主任の背中を追いかけた。学年主任は、何も話しかけてこなかった。それが不気味だった。

学年主任に連れていかれた先は、人生で一度も入ったことのない、二階の職員室の隣に位置している廊下の奥、校長室だった。

「失礼します」

学年主任はノックを三回して扉を開けた。朝倉たち三人を先に入れる。

校長室の間取りは決して広いというわけではなかった。いや、広いには広いのだが、来客用のソファとテーブルが中央にあるため、幾分狭く感じられるのだ。

そのソファの向こう側、入室した朝倉たちに正面を向いている形で、スーツを来た男性二人が座っていた。朝倉たちを認めるやいなや、立ち上がって「どうも」と会釈してきた。

彼らは刑事だった。二十代の若手刑事と四十代のベテラン刑事のペアだった。

朝倉たちは刑事たちの正面に、朝倉、工藤、皆川の順でソファに座った。刑事たちの向こう、窓際の机には校長が座っているのが見えるが、こちらの様子を窺っているだけで、干渉は全くしてこなかった。

刑事から朝倉たち三人は事情聴取をされた。

「佐々木くんと親しかったそうだね」

「佐々木くんはどういう生徒だった?」

「佐々木くんから最近悩みなんかは聞いてないかい?」

「佐々木くんは思い悩んでいたりしなかった?」

佐々木くんは、佐々木くんは、佐々木くんは。

佐々木英輔という人物の事を一度も見聞きしたことのない刑事二人に、その人物像がはっきりと分かるように、朝倉たち三人は一緒になって答えた。聞かれたこと全てに、律儀に答えたのだ。

朝倉は、違和感を覚えていた。

どうにも刑事の質問が、誘導じみていて不自然だったのだ。数学の誘導ほど美しくない。それはまるで、佐々木英輔は自殺、という結論ありきの捜査に思えてならないのだ。

担任の山辺先生からは「転落死した」ということしか聞かされていない。ならば、自殺かどうかも不明ということではないか。

それとも、既に佐々木の遺書か何かを発見していて、今は、所謂「裏付け」というものを実行しているだけなのだろうか。例えば筆跡を調べている途中で、暇を持て余しているので、自殺をしそうな人だったという付随的証言をゲットしたい、という試みか。

同じ疑問を持っていたのだろう、皆川は刑事に質問した。

「佐々木は自殺したんですか?」

四十代のベテラン刑事はわざとらしく「うーん」と声を漏らした。「まだ分からない。そのセンも考慮してるよ」

「ありえないな」と皆川は背もたれに寄りかかった。

「有り得ない?どうして?」

「佐々木が自殺したなんて考えられない。その理由がない。いつも明るくてくだらないジョークばっかり言って、受験勉強だって順調だったんです。あいつが自殺するはずがない。事故か、あるいは事件に決まってます」

「僕もそう思います。なんであいつが・・・・・・」と工藤が乗った。両ひざに両肘を乗せ、両手を組んで考え込んでいる。

「わ、私も」

生徒三人から攻撃を喰らった刑事たちだが、それでも落ち着きを失わなかった。

学生の死に、慣れっこなのだろうか。

例えば、被疑者を擁護する友人たちによる「あいつが殺人なんてするはずがない」という証言に意味はない。朝倉たちが刑事たちに「佐々木が自殺なんて有り得ない」と主張するのは、信憑性という点では、それと同義ではなのかもしれない。

「警察は自殺だと断定しているんですか?」

まるで取り合ってくれない警察に、今度は工藤が仕掛けた。

「断定ではないよ。あらゆる可能性を一つ一つ検証している」

「でも、遺書はなかったわけですよね?だからわざわざこの校舎まで足を運んで、佐々木が自殺しそうな精神状態だったか調べに来たんでしょう?」

「遺書の無い自殺なんて山ほどあるんだよ」

先ほどまで蚊帳の外だった二十代の若手刑事が口を挟んだ。

校長室の空気が変わった。

ガソリンでも気化しているかもしれない、そんな息苦しさに、朝倉は胸を詰まらせた。誰かが一服つけようと煙草を咥えてライターを点火しようものなら、部屋ごと吹き飛んでしまいそうな、張り詰めた空気になった。

「『佐々木英輔は自殺』という可能性を排除すれば、それだけ捜査が進展しますよ。逆に、そのマインドに縛られれば、それだけ佐々木の死の真相から遠のくでしょう。これじゃあ、あいつも浮かばれない」

「根拠もなしに『自殺ではない』と断定するのは早計だよ。学生の自殺が最もなされるのが何日の事か、調べてみなさい」と再びベテラン刑事が諭すような口調で言った。

「日付のみならず、佐々木の死の真相そのものについて、僕らで独自に調べますよ」

工藤は警察に対してそう宣言した。

「独自に調べる」とは、どういうことだろうか。

「何もそこまで言ってない。君らは何もしなくていいんだよ」

「僕らにも調べたいものを好きに調べる自由はあるでしょう?それを弾圧する権利が警察にあるんですか?特高警察じゃあるまいし」

西王谷高校の秀才とベテラン刑事の応酬が続いた。議論に拍車を掛けるような発言をした若手刑事も、傍観する朝倉も、言葉を発せずにいた。

隣に座る皆川を軽く確認すると、なんと背もたれに寄りかかっていたはずの皆川も、前屈みになり臨戦態勢に入っていた。いつ工藤から振られても適切な主張が出来る姿勢に入っている。

「捜査権、というのは聞いたことないかな?捜査をするのは我々警察だよ」

ベテラン刑事も、高校生などという若造に負けじと言い返した。しかし、落ち着いた口調に、若干の焦りが感じられた。

「勿論、聞いたことはあります。しかしそれは、『事件』の捜査、でしょう?佐々木の死は『事件』ですか?その脅しは無意味です」工藤は煽るように首を振った。「『事件』と認定されれば、僕らは撤退して全てを警察に任せます。ただし、寛怠な捜査で『佐々木英輔は自殺』と無根拠に断定してしまう可能性があるので、僕らも独自に調査すると宣言しているんです」

ベテラン刑事はこめかみをぼりぼりと掻く。

皆川は、そうだ、と大きく首を縦に振った。

入口付近で突っ立ったままだった学年主任が、刑事への助け舟だろう、堪らず「工藤っ」と軽く制した。校長は、最後までだんまりを決め込んでいた。

工藤と皆川の存在。

これほど頼もしいと感じたことはなかった。勉強が出来る、という点でいつも尊敬していたが、テストのみに留まらず、それは様々な場面に応用の効くものだったとは。

気まずい雰囲気のままお開きになって、校長室から一組の教室へ、生徒たち三人だけで戻ることになった。

学年主任はついてこなかった。今頃、生徒の非礼を詫びているのかもしれない。「多感な年ごろですから」などと言って。

教室までの廊下を歩いていると、皆川を後ろに、工藤が朝倉の横について話しかけてきた。

「朝倉さ、携帯、どうかしたの?」

そう聞かれて、どういうわけか心底嬉しかった。

私のことをずっと考えていてくれたのかな。

返事が来るのを、今か今かと待っていたのかな。

顔が熱を帯びて、朝倉は少し赤面した。

しかし、まさにその時、とある可能性に気が付いた。

浮ついた気分は、一瞬にして下落した。まさか、という悪い予感が生まれた。「携帯」というキーワードに触発されて思い浮かんだものだった。

まさか、違うよね。

嬉しさを噛み締めるようにちゃんと返事しようとしていたのに、嫌なイメージの結果として、たどたどしく答えることになってしまった。

「あの、故障しちゃって、修理に出してたんだ。それで、あの、今日、ショップに引き取りに行く予定・・・・・・」

興奮状態になって、うまく話せなかった。先ほどの嬉しさは消失し、可能性に気が付いた恐怖だけが残って、心臓がバクバクと脈を打っていた。

それをどう解釈したのか、工藤は変に話しかけ続けることはせずに、やがて三人は一組の教室に到着した。

確認テストはとうに終わっており、山辺先生がプリントを配っている最中だった。

「おう、お疲れ」と山辺先生は明るく振る舞うが、他の生徒は「一体何が?」という風に、情報という餌を狙うハイエナの目をしていた。

この日は夏休み明けのため午後の授業がなく、三時限が終わって帰りのホームルームになった。

朝倉たち三人は逃げるように教室を出て、校舎を後にした。どこかでゆっくりと話が出来る場所に行こうと話し合った。

「あの公園にしよう。名前知らないけど、あのベンチと公衆トイレと街灯しかないぼろい所。日陰で案外涼しいって誰かが言っていたし」

皆川のそれは、悪くないアイデアだと思った。駅に近い喫茶店などでは同級生と出くわす可能性もある。その点、あの公園なら、恐らく西王谷高校の生徒と遭遇することはないだろう。

しかし、工藤は「それは駄目だ」と一蹴した。代わりに「佐々木の住んでいたマンションへ行こう」と提案した。「関係者から話を聞くのが一番だろう」

「アポ無しで大丈夫かな」と皆川が心配した。

「親御さんのみならず、例えばマンションの管理人からでも話は聞ける。まあ望みは薄いけどね」

朝倉たち三人は、西王谷高校の最寄り駅・K駅で電車に乗った。

佐々木のマンション「エレクトラ」に行くのは初めてのことだ。

十階建ての八階に住んでいる。屋上からの景色が綺麗。そんなことを聞かされたことがある。

平日お昼時の少し前とあって、電車内は比較的空いていた。三人で並んで座席に座り、みな同時に深く嘆息した。

「警察はやはりあてにならないかもな」小さな声の皆川に「だよね・・・・・・」と朝倉は消え入る声で返事した。

人の死に触れるのは、これで二度目だ。

一度目は、幼稚園の時に何度も遊んだおばあちゃんだった。

小学三年生の時だった。「ろうすい」と聞かされても意味は理解出来なかったが「病気ではない」と知って安心した。苦しんだわけではないことが何よりの救いだった。それでも、永遠の別れが悲しくて涙した。

一般的に言えば、祖父母、両親、その後に同級生の死に触れるのだろう。それなのに、あまりに早すぎる友人の死に、佐々木英輔の死そのものの実感が出来ていないでいた。

その辺で振り返れば「暑過ぎるわ」と文句を言っている佐々木が見えそうで、その後に覚える喪失感に心が荒んでいくのだ。

「朝倉、大丈夫?」

工藤が心配そうに顔を覗き込んできた。

「大丈夫だよ」

小さくそう言ったが、工藤の顔を見れば涙してしまいそうで、抱き着きたくなってしまいそうだった。それが分かっているため、朝倉は目を合わせなかった。

「やっぱり、辛かったら止めよう?あんまりだよ。調べるのは僕と皆川でするから」

「大丈夫、私も二人に協力したいもん」

涙が零れるのをどうにか防ぎながら、気丈に振る舞った。

朝倉と工藤の会話に皆川は入らず、熱心に携帯をいじっていた。調べものか、それとも誰かとNILEでやり取りでもしているのだろうか。アポ無しを心配していた皆川だから、「エレクトラ」管理室の連絡先でも調べているのだろうか。

やがて、目的の駅が近づいてきた。

駅から十分ほど歩いて、佐々木が住んでいたマンションに到着した。

オートロックの玄関と、すぐ横に「エレクトラ」と彫り付けた文字が横並びであった。

オートロックなので好き勝手に入ることは出来ない。インターホンで住民に扉を開けてもらわないといけないのだ。

「部屋番号って知ってるの?」

工藤に尋ねると「勿論」と返ってきた。「一年からの付き合いだから、何度か来たことがあるしね」

そう言って工藤は手際よく八○四をコールした。すぐに「はい」と女性の声が返ってきた。心なしか、やはり小さな声だった。

「おばさん、工藤です。工藤春樹です」

「まあ、工藤くん。どうしたの?」

「英輔くんの事で、話を聞かせてもらえませんか?」

そうして「エレクトラ」に入り、八〇四号室のインターホンを再び押した。

佐々木の母親に会うのは、朝倉と皆川は初めてだった。しかし、既に面識のある工藤が率先して「友人の朝倉姫奈さんと皆川翔くんです」と紹介してくれたことで円滑に挨拶が済んだ。

二年生になったばかりのころ、四人のグループが出来る前は、工藤が架け橋として活躍した。それで朝倉は皆川とも佐々木ともすぐに打ち解けたのだ。朝倉は、当時のことを思い出した。

薄い茶色のテーブルに三人並んで椅子に座り、反対側に佐々木の母が座った。三人の前には飲み物としてガラスのコップに入れたオレンジジュースが置かれている。キンキンに冷えたそれは、真夏の屋外を歩いてきた三人にとっては蘇生薬のようだった。

「英輔。なんでこんなことに・・・・・・」

佐々木の母はハンカチで目を抑えた。

その発言を聞くだけで、価値のある情報は見込めないかもしれない、と朝倉は感じた。何も知らないのだろう、と容易に察せられたからだ。

「警察は自殺を疑ってます。英輔くんに、その兆候はありましたか?」

質問役は工藤が務めた。

「ないわ。なにもない。警察にもそう言ったわ」

ここでも警察だ。

「警察は自殺説を推しているようです。夏休み明けに自殺する学生が多い、と主張していました。しかし、僕ら三人は、英輔くんの親友として、それは有り得ないと断言できるんです。だから、警察には頼らない、独自路線で英輔くんの死の真相を確かめたいと思っています」

工藤は宣言した。

現役刑事を論理で圧倒するディベート力、そして今は、悲しみに暮れる遺族を包み込むプレゼン力。一個人としての、工藤の能力の高さに、朝倉は今までにない頼もしさを感じた。

遺族とはいえ一般市民だ。警察の捜査がどの程度かなど知らされるはずもなく、その点は期待できなかったが、それでも八月三十一日の佐々木家での出来事は、ある程度把握できるようになった。

夏休み中の佐々木とは対照的に、激務の佐々木の父親は朝から仕事だった。佐々木の母親は昼からスーパーでのパートがあり、帰って来たのは夕方の五時頃。この時まだ佐々木は部屋にいたという。

「それで、六時ぐらいだったと思うんだけど、英輔が軽装で外に出て行ったのよ。コンビニにでも行ったのかなって思ってたら・・・・・・」

「じゃあ、英輔くんは屋上から?」

皆川は質問する。

「そうでしょうね。ここのベランダからじゃないわ。料理していたとはいえ、帰ってくれば気付くから。見てわかる通り、ベランダへの途中にキッチンがあるのよ。でもあの日、英輔は確かに帰って来なかったわ」

佐々木は屋上から落下した、ということか。

「それは、どっちの方向に?」

「ベランダ側よ」

朝倉は横の窓を見た。

ベランダが見える。物干し竿と落下防止の手すりがあった。

「じゃあ、二階の広場に?」

「そうらしいわ。だからこそ警察もここのベランダからか、屋上からか知りたがってたみたい。そもそも身元の特定にも時間が掛かってたんだから」

どういう意味かと考えていると、工藤が丁寧に解説してくれた。

このマンション「エレクトラ」の二階には、住民のみが立ち入れる広場があり、主として小学生の遊び場となっている。そこからマンションを見上げると全部屋のベランダが一望出来るようになっているのだ。必然的に、八階のベランダから落ちるのと屋上からベランダ側に落ちるのとで、落下地点は、多少の誤差はあれど、あまり変わらないことになる。

身元の特定にも時間が掛かるだろう。話によると、携帯のみがズボンのポケットに入っており、身分を証明するものがなかったそうだ。

結果として、どのベランダから落ちたのかが分からないし、もしも屋上からだとしたら一階の住民の可能性だって考えられる。虱潰ししか特定する方法がない。

そう思われたが、同じく八階に住む人物が帰宅の際に野次馬として人だかりに入り、なるべく整えられた顔写真を警察に見せられて「八階の佐々木さんとこの」と証言し、身元特定の手助けをした、ということらしい。エレベーターで会ったり廊下ですれ違ったりする際にする挨拶も侮れないというわけか。

警官が八○四号室にやってきたのが夜の七時過ぎ。そして佐々木の父親が一時間ほど遅れて帰宅してきたという。

雑多なタイムラインで並べるとこうなる。

三十一日・佐々木は一日中家にいた。父親は朝早くに出勤。母親は昼からパート。

夕方五時・佐々木の母親が帰宅。

夕方六時・佐々木が外出。

夕方七時・警官がやってくる。

夕方八時・佐々木の父親が帰宅。

やはり、軽装をして出て行った、という点が朝倉は気になった。スマホを持っていた、という点は気がかりではないが、財布を持っていなかったというのはどういうことだろうか。

携帯と財布。学生にとってはどちらも必須のアイテムだ。財布を持たずに出歩くということは、使用する予定がなかったということだろうか。

佐々木英輔は、死亡する前に、何を考えていたのだろうか。

マシンが稼働すると内部から熱を発するように、思考に没頭する朝倉の頭の温度が上昇して、ズキズキと痛み始めた。それを鎮めるように、朝倉は結露で滑りそうなコップに手を伸ばした。氷は既に解け切り、冷たくもない。薄く温いオレンジジュースを、それでも大切な水分補給として飲んだ。

「中学生時代に仲良くしていた人物と連絡は取れますか?」

工藤は加えて説明した。

自分たちですら知らないことを、もしかしたら佐々木英輔は中学校の友人に漏らしているかもしれない。警察は友人代表として朝倉たち高校の友人に着目したが、そうではなく中学の友人に注目するということだった。

「小学校からの特に仲の良い子たちなら、二人知ってるわ」

佐々木の母親はそう言って、中学の同級生二人の電話番号をポストイットに書いてくれた。ただしそれらは自宅の固定電話のものであったため、その連絡は恐らく工藤か皆川がすることになるのだろう。

「それと卒業アルバムはありませんか。彼ら二人の顔を確認したいので」

工藤が頼むと「待ってね」と佐々木の母は別室へ行った。

そこは、佐々木の自室だったのかもしれない。ゴソゴソと探す音が聞こえ、数分してからようやく佐々木の母が戻ってきた。

許可を貰ってから、工藤はスマートフォンで、中学時代に佐々木が親しくしていたという二名の顔写真を撮影した。

佐々木の母親に礼を言って、朝倉たちは辞去した。

八階からエレベーターで一階に降りる途中「次は管理人室か」と皆川が、後ろ髪を手櫛で梳かしながら言った。

「あまり期待は出来ないけどね」

工藤はその考えに自信があるようだ。

その理由は、朝倉には分からなかった。

しかし、工藤の考えが的中することになった。

丁寧に身分を名乗ったことが幸いして、一階の管理人室で管理人から話を聞くことはどうにか叶った。ところが、佐々木の母親のように迎えてはくれなかった。飲み物の一つも出されなかった。

「自殺なんて、傍迷惑な話だよ」

今どきの若者を軽蔑していそうな雰囲気が漏れ出でている風体の、六十代の男性管理人はそう言った。

「自殺とは決まっていませんよ。警察も調査中ですから」

皆川が指摘するが、非友好的な管理人は譲らなかった。

「どうだか。最近の若いのは軟弱っていうしね」

若者に出来て老人に出来ないことの方が圧倒的に多いはずなのに、どういうわけか「最近の若いの」を常套句に見下す勘違い老人は、西王谷高校の生徒にさえも牙を向いた。いやむしろ、西王谷高校の生徒であるから、かもしれない。

「それは根拠になってませんよ」

皆川は尤もな反論をした。朝倉は、その通り、とその横で大きく頷いた。

「自殺じゃなかったら何なんだい?事故?他殺?確かに屋上は開放してるけどね、屋上から落ちた、だから事故って決めつけるのも良くないよ。それでも自殺の可能性は十分あるだろう。むしろ、確実に死ねるように、屋上へ上がったかもしれない。こっちは忙しいんだ。早く帰って勉強でもしてな」

管理人は、もううんざり、と顔を歪ませて、目の前に浮遊する埃に対してと同じように、左手でシッシッと朝倉たちに手を払った。

エレベーターに乗って二階へ向かっている途中、皆川が「ああいう老人にはなりたくない、っていう、良い反面教師だったな」と、ストレスを解消するように毒を吐いた。

「予想的中だね。事故だった場合、管理責任を問われかねない。自殺であった方が、管理人としては都合が良いのだろう」

工藤が解説した。

そういうことか、と朝倉は納得した。工藤が「期待は出来ない」と言ったのは、管理人としての立場を考慮した結果だったのだ。

しかし、だからといって、管理人のあの態度を認めることは到底出来なかった。

「大人って『自分は悪くない』って責任転嫁してばっかり。男らしく『全責任は自分一人で』って出来ないのかな、ホント」

朝倉はそう発言してから、自分も人の事が言えない、と遅れて気付き、思わず俯いた。

自分だって、逃げているのだ。

悪い予想はとっくに立てているのに、そのことを皆川と、あまつさえ工藤とさえ相談出来ずにいる。

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