第一章⑦
どうやら今日は都合が良かったようだ。
「これからじゃ駄目?スマホないとほんとに不便でさ」
事実、そうだった。工藤たちとも連絡を取ることが出来ない。
今のご時世、自宅の電話に掛けるなど考えられないことだ。そもそも、皆が互いの自宅電話番号さえ知らないだろう。
せめて、スマホの故障だけでも伝えられたらな。
朝倉はそう考えたが、今はどうにも出来ないため、とりあえず母と共に急いで携帯ショップへ向かった。
順番を待つ間、店内のソファに座ってもう一度電源ボタンを押してみたが、やはり何も表示されなかった。朝食の間中ずっと充電していたはずなのに。電源ボタンを五秒間ほど押し続けたが、何の反応もなかった。
三十分ほど待って、自分たちの番号が店内放送でコールされた。「二番へお越しください」と言われたため、二番の応接コーナーへ行き、スマホを手渡して事情を説明した。
「修理にどれぐらい時間が掛かりますか?」
お飾りの母を差し置いて、朝倉は店員に質問した。
「一週間程は掛かりますね。今は何ともいませんが、状態によっては延びる可能性もございます」
それを聞いて、朝倉は絶句した。
「そんなに掛かるものなんですか・・・・・・」
店員がスマホの修理サービスについて説明した。
通信サービスのみならずスマホの販売を行う携帯電話ショップ ―正式にはキャリアショップ―には修理サービスというものがあるにはあるのだが、店頭修理を行う一部の店舗を除けば、実際には、修理センターへ端末を移送し、そこでようやく修理がなされる。これを「預かり修理」などという。即日に修理がされるのは、事前予約が必須な正規修理店や正規修理代理店などである。
朝倉はそのことを知らなかったのだ。
時間が掛かるからといって「やっぱりいいです」という風に断るわけにはいかないので、結局そのキャリアショップにて、修理を依頼することになった。朝倉にとっては、それ以外に選択肢はなかったのだ。期間内のため五千円で新端末を購入できる、と説明されたが、それだとデータの引継ぎが出来ない、と言われた。ので、それも諦めることにした。
朝倉は、今日から夏休み明けの九月一日まで一週間、スマホを使用出来なくなってしまった。そして、もしかしたらこの使用不可期間が延長される可能性もある。
現代の若者にとって、スマホはバイブル以上に大切なものだ。それを取り上げてしまっては、何をすれば良いのか、全く分からず右往左往してしまう。朝倉も例外ではなかった。
受験生である朝倉は、同級生と同様、勉強の効率性をスマホによって高めていた。分からない英単語はスマホで検索を掛け、単語帳アプリにて「単語」「意味」をそれぞれ表と裏に記載していた。その単語帳アプリには言語選択さえすればネイティブの発音を聞くことが出来るため、英単語の復習をする際に本場の英語を聞きながら記憶を補強することが出来ていたのだ。
それは、英語だけに限られない。暗記科目の九割以上はその単語帳アプリを使用していた。歴史の知識、古文漢文の単語、文学史の知識、などだ。
スマホを手放してしていた暗記の勉強といえば、漢字ぐらいか。
スマホのない朝倉。
やれることが激減してしまった。
復習を一切出来ない一週間で、知識が抜けなければ良いが。
朝倉は気が休まらなかった。
スマホを失って、工藤たちと連絡が取れなくなっただけでなく、勉強の質も劇的に低下してしまったのだ。夏休みの最後の一週間に、なんという事故だろうか、と朝倉は嘆いた。
皆と勉強会をしたい。
スマホが壊れたと愚痴を言いたい。
しかし、会う約束も出来ないのだ。
西王谷高校の図書室に集まってする勉強会というイベントは、得てしてNILEの連絡で発生するものだった。
つまり、今の朝倉に、次の勉強会の日時を知る手段がなかった。そして、スマホが壊れたことを誰かに知らせることすらも出来ない状況だった。
スマホが故障しただけなのに。男子たちは音信不通になった朝倉を、どう思うだろうか。
しかし、文句を言ったところで修理が早まるわけでもない。今すべきことに集中しよう、と朝倉は気持ちを切り替えて、夏休みの宿題を片付けることにした。
受験の年の夏休みとあって、宿題の量はかなり少なかった。あったとしても、それは「休み明けにテストをするため勉強しておくように」という具合で、提出の必要がないものだった。
休み明けの初回の英語の授業では英単語、現代文では漢字、古文と漢文は文法(漢文の場合は「句形」)と単語、など「基礎知識」のコンプリートを夏休みの間に仕上げておくように、という学校からのメッセージが汲み取れる、そのようなテスト範囲だった。
その殆どは三年生になった段階で既に暗記済みであり、新たに覚えなくてはならないようなものはなかった。復習がてら撫ぜればよいだけだ。
その中で対策が出来るものといえば、やはり漢字だった。スマホの単語帳アプリに入っている知識は、気が進まないが、夏休み最後の日に参考書を広げて復習しよう、と決めた。
単語というものは面白いもので、単語のみで出された場合、意味を思い出せないことが多々あるが、それが文章中にある場合、文脈が手助けをしてくれるようで、意味をすぐに思い出すことが出来るのだ。朝倉は単語の暗記は例文と併せて行っていたため、単語テストは苦手だが、読解で手間取ったことはあまりなかった。故に、休み明けテストも、苦戦こそすれ、さして問題ないだろう、と楽観視している。
だが、漢字だけは、そうはいかない。漢字テストで分からないものは、文章中のカタカナを漢字に直すことも到底出来そうにない。
大学受験で出題される漢字のレベルは、日本漢字能力検定でいう二級から準一級レベル。つまり「読めるけど書けない」の漢字が多く、そもそも知らない言葉が登場することはあまりない。この日も朝倉は受験漢字の参考書を開いて、読みをざっと確認し、その後は書き取りの勉強を始めた。
受験における漢字の書き取りの配点は全体のうちの十パーセント弱あたり。「覚えている」「覚えていない」の単純な暗記の知識で失点するのはあまりに勿体なく、レベルの高い大学に合格するためには、漢字は満点なのが当たり前だった。
朝倉はそのことを認識しており、この日の漢字の復習でも、正答率は九割を越えた。
しかし、好成績にもかかわらず、朝倉は溜息を吐いた。
やはり、一人で勉強するよりも皆でする方が良い。そうしみじみと思った。
漢字の勉強も、問題を出し合う方が白熱して楽しい。その結果、より効率的に暗記することも出来る。
当たり前のことではあるが、勉強会の約束をしていない時は、一人で勉強するのが普通だった。それは小学生の頃からしていることだったので、全く寂しいものではなかった。
だが、いざスマホが使用できず勉強会の約束すら出来ない状況になると、自分を置いて皆が遠い国に行ってしまったような感じがした。自分だけ取り残されたような、そんな疎外感だった。
すると、普段通りであるはずの「一人で勉強」が、何とも寂しいものに思えてしまった。
気持ちを切り替えよう、と朝倉は考えた。
逆に言えば、今会えなければ、連絡すらも出来なければ、二学期の始業式に会えた時に、今まで以上に、悦楽に浸れるはずだ。
皆を、休み明けテストの得点で驚かしてあげよう。
模試の成績では最下位だった朝倉なりに、そう計画した。
当然、東都大学A判定の工藤も皆川も、橋工大学A判定の佐々木も、休み明けテストで高得点を取るだろう。限りなく満点に近いスコアに違いない。しかし、彼らの得点に引けを取らない伯仲の出来を記録すれば、彼らだって見直すはずだ。
劣等感は人を卑屈にする。
優越感が欲しいというわけではなかった。それでも、比肩する、という事実、同じほどのレベル、という事実が、今の朝倉には必要だった。敗北し続けて、それでも何度も立ち上がるのには限度があった。
たまには並びたい。
朝倉はスマホのない、夏休み最後の一週間に、今まで以上に猛勉強をした。「受験のため」というより「確認テストで高得点をとるため」という、重要性のはき違えこそあったが、集中度はすさまじいものだった。
八月三十一日日曜日。
夏休みの最終日である。
今日も一日中、休み明けの小テスト勉強だ。
英単語の復習を主にしたのだが、何よりも非効率的だったため、イライラした。スマホがあればアプリを開いて、あとは横にスライドするだけでジャンジャンと問題を解いていけるのだが、今はスマホがない。
仕方なく、単語帳アプリに取り込んでからしまい込んでいた、埃をかぶった英語の参考書を押し入れの段ボールから引っ張って、一ページずつ、赤字で書かれた単語の意味を赤シートで隠しながら進めていった。そうして、出題範囲の単語でうろ覚えのものや忘れていたものを別の紙にメモしておき、参考書とメモの反復を繰り返しした。
参考書は開いた状態を保ち続けなければならないため、何よりも手が疲れた。これも、スマホ世代の朝倉としてはストレスの種であった。
夜十一時を過ぎた頃、朝倉は参考書を閉じた。
明日の朝は、早起きして復習しておこうか。それとももう忘れないだろうから、そのまま本番に臨もうか。
その場で、出題されるであろう単語を想像して意味を思い浮かべた。苦戦は一切しなかった。一晩寝て抜けてしまうとは思えないほどの定着ぶりだといえる。
それに、明日は始業式があるので、早起きしなければならない。起きてこなければ六時半までに起こしてもらうよう母に頼んだのだが、忙しい朝に復習をする暇などありそうもなかった。
しょうがない。それに、問題ないだろう。
朝倉は段ボールを開けて、英語の参考書をしまった。
その際、底の方に「国語3」という文字を見つけた。
朝倉が中学三年生の時に使用していた、国語の教科書だった。
そういえば、皆川が工藤に『こころ』を貸している。その話について工藤と盛り上がるためにも、自分ももう一度『こころ』をざっと読んでみてもいいかもしれない。
段ボールの底に眠っていた「国語3」を、指先で摘まんでどうにかこうにか引っ張り出した。
『こころ』は、『彼岸過迄』『行人』に続く、夏目漱石の後期三部作の作品である。段落は「上」「中」「下」に分かれ、「上」と「中」は主人公「私」が語り手を、最後の「下」だけ「先生」が語り手を務めている。
内容は、主人公と「先生」との交流を描いている物語だ。
「先生」との出会い。「先生」の謎。そして、「中」の最後では、東京から帰省した主人公「私」の元に、先生から膨大な手紙が送られてくる。
確か、手紙の最後の方の一節が目に入り、主人公は東京へ急行することになるのだ。その電車内で、「先生」からの手紙を読むのだ。その後、「下」が始まり、語り手が主人公から「先生」にシフトするのだ。つまり、主人公の元に送られた手紙の内容が、そっくりそのまま第三章「下」の内容になっているのである。
目次を参考に、朝倉は懐かしき『こころ』を読むことにした。
教科書に載せられているものなので、物語の殆どは省略されている。しかし、あらすじは充分に理解できる。なぜなら、各段落の始めに、数行で書かれたまとめがあるからだ。
朝倉は深呼吸をして、中学三年時の自分もこの教科書を持ってこのページに触れていた、という感慨深い思いを抱きながら、地の文を読んでいった。
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
始まりとしては完璧だ。主人公には「先生」がいる。しかしその人は、主人公が学校で教えを受けているような間柄ではないことが分かる。と同時に、主人公から「先生」への想いもまた、この文章だけで読み取ることが出来る。過去を語る主人公にとって、「先生」は小さくない影響を残したことは明らかだ。
大学の夏休み中に偶然「先生」と出会い、主人公との間に交流が生まれる。しかし、どうやら「先生」には秘密があるらしく、それを主人公は是が非でも突き止めたくなり、「先生」を尾行することにした。一人で墓地へ入っていった「先生」に、「私」は声を掛ける。
既に読了している朝倉にとって、地の文の全てを読む必要はなかった。朝倉は、主としてカギ括弧のセリフに注目した。
「先生」
「どうして・・・・・・、どうして・・・・・・」「私の後を跟けて来たのですか。どうして・・・・・・」「誰の墓へ参りに行ったか、妻がその人の名をいいましたか」
「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」
「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」
「これは何と読むんでしょう」
「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」「あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」「もう少しすると、綺麗ですよ。この木がすっかり黄葉して、ここいらの地面は金色の落葉で埋まるようになります」
「すぐお宅へお帰りですか」
「ええ別に寄る所もありませんから」
「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」
「いいえ」
「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」
「いいえ」「あすこには私の友達の墓があるんです」
「お友達のお墓へ毎月お参りをなさるんですか」
「そうです」
先生はその日これ以外を語らなかった。
お墓参りをしているところを見られただけで、「先生」は大いに動揺している様が描かれている。どうやら友人の墓参りをしているようだが、では友人とはどういう人物だったのか。その人物の墓参りを見られただけで、どうして「先生」は周章狼狽していたのか。
それからというもの、主人公は「先生」を訪問することになるのだが、相も変わらず「先生」は何も教えてくれない。主人公が質問しても、はぐらかされるのである。
「先生雑司ヶ谷の銀杏はもう散ってしまったでしょうか」
「まだ空坊主にはならないでしょう」
「今度お墓参りにいらっしゃる時にお伴をしても宜ござんすか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」
「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」
「しかしついでに散歩をなすったらちょうど好いじゃありませんか」
「私のは本当の墓参りだけなんだから」
「じゃお墓参りでも好いからいっしょに伴れて行って下さい。私もお墓参りをしますから」
「私は」「私はあなたに話す事のできないある理由があって、他といっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻さえまだ伴れて行った事がないのです」
朝倉は心臓の鼓動を耳の奥で感じていた。明らかに強調されて書かれている「私はあなたに話す事のできないある理由があって、他といっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻さえまだ伴れて行った事がないのです」という意味深なセリフを読んで、現代風で言う「伏線」の存在を認めた。これには、初見の読者全員が、一体何があったのだ、と惹きつけられたことだろう。
友人のお墓参りを欠かせない「先生」には、明らかに暗い過去がある。毎月墓参りをするという思慮深さにもかかわらず、それに妻さえ連れて行かない。
ただ一人、毎月そこへ足を運んでいるのだ。
一人という絶対性を、何が何でも確保しようとしている。
主人公は正月の後に、隠した秘密を話すよう「先生」を説得し、その約束を取り付けることに成功する。そして、主人公は大学卒業後に帰省し、父の病状悪化を理由に東京へ帰る日程を延ばすことにした。
そんな折、先生から分厚い手紙が届くのだ。
私は先生の手紙をただ無意味に頁だけ剥繰って行った。私の眼は几帳面に枠の中に篏められた字画を見た。けれどもそれを読む余裕はなかった。拾い読みにする余裕すら覚束なかった。私は一番しまいの頁まで順々に開けて見て、またそれを元の通りに畳んで机の上に置こうとした。その時ふと結末に近い一句が私の眼にはいった。
「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」
私ははっと思った。
朝倉は思い出した。
中学生だった時の自分も、ここを読んで息を呑んだ。
手紙ではなく、遺書だったのだ。
そう気付いた主人公は慌てて東京行きの列車に乗り、車中で先生の遺書を読むのだ。
そして、段落は「下 先生と遺書」と変わり、主人公は「先生」となるのだ。「先生」の視点で、過去が描かれるようになる。
遺書の中で、「先生」はかつて親友だったKと大学生時代に下宿するも、その宿の「お嬢さん」を巡って、恋敵となってしまうことが語られる。
「私」こと「先生」は「お嬢さん」に告白して結ばれるも、それを知ったKは自殺してしまうのだ。
「先生」が毎月参っていたあのお墓は、Kのだったのだ。毎月墓参りをしていたのは、「先生」がKを自殺に追い込んだからだ。
なぜKが自殺したのか、痴情も縺れの全てを「お嬢さん」は知らないまま、「先生」と「妻」が結ばれる。
しかし、明治天皇が崩御し、その一か月後には、乃木大将が自刃し殉死したことを「先生」は知った。
それ故に、「先生」は自殺することにしたのだ。
そして、自殺の前に、自身の過去全てを主人公にだけ、遺書という形で明らかにしたのだ。
物語は以下のように締めくくられている。
もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から市ヶ谷の叔母の所へ行きました。叔母が病気で手が足りないというから私が勧めてやったのです。私は妻の留守の間に、この長いものの大部分を書きました。時々妻が帰って来ると、私はすぐそれを隠しました。
私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。
朝倉は教科書を開いたまま、胸に手を当てた。
名作を鑑賞すると、こういうことがよくある。
じんわりとした何かが心の中を広がっていくのだ。両親にお勧めされた映画でも、こういう気持ちになったことがある。
部分的にであれ、久しぶりに日本文学の名作を読めた。心が浮き立つような感覚があり、現実世界に戻ってきてもフワフワしたような気分だった。
しかし、朝倉は教科書を閉じた。
いけない。早く寝ないと。
朝倉はそそくさと教科書を段ボールにしまって、部屋の電気を消した。そして、ベッドに横になって目を閉じた。
『こころ』を夢中で読んだことが原因か、すぐに眠れそうにはなかった。
しかし朝倉は、邪魔をするものは何もないこの空間で、ゆっくりと目を閉じて、工藤のことを考えた。
工藤春樹。高校二年生から知り合った友人。初めて会ってすぐに好きになった人。物凄く頭が良いのに、アプローチをしても気付いてくれない、鈍感な人。
今のところ、ただの友達として思われているのかな。
やはり、自分から告白するしかないのだろうか。
だからこそ、色々と妄想してしまう。
もしも、彼から告白してきてくれたら、と。
例えば、学校の帰り道。行事の準備か何かで帰りが遅くなり、向こうが「心配だから家まで送るよ」と提案してくれる。そのまま同じ方向へ帰って行き、同じ電車に乗り、自宅へ歩く。
すぐ家に着いてしまっては勿体ない。わざと歩調を緩めるが、それに工藤が合わせてくれる。
その上、近所の公園が見えてきたところで、工藤が「あそこで雑談しない?」と言い、ベンチに座って話をすることになる。
他愛もない話。小学生の時は、中学生の時は、などの雑談。
ところが、工藤の話すエピソードは非常に魅力的で、廉直の限りだった自分からすると、知らない世界のような話だ。
友達とふざけた話。修学旅行でのハプニング。放課後に悪さした話。先生に怒られた話。
東都大学A判定の人でもやっぱり男の子なんだな、と微笑ましく思う。
他の誰も知らないであろう工藤のエピソードを聞き終えてから周囲を見渡すと、より一層辺りは暗くなっている。
さすがにそろそろ、という風に工藤が立ち上がって「帰ろうか」と提案する。
「やっぱり何もないんだな」と心の冷える思い。
その瞬間に、予想外に、工藤から「好きだよ。僕と付き合ってほしい」と告白されるのだ。
あまりの嬉しさに「私もっ」と抱き着くと、工藤は「良かった。断られるかと思ってた」なんて言って、手を背中に回して抱きしめ返してくれる。
そのような妄想を膨らませていると、いよいよ全身がポカポカと温かくなってきた。掌や足の先まで、夏なのに心地よい。
次第に上も下も分からなくなり、朝倉は深い眠りへと入っていった。ネガティブな想像など微塵もない。今日はとても良い日だった。
朝倉の考え得る明日は、希望に満ちたものだった。
この時、既に一人が死んでいた。
九月一日月曜日。
朝八時三十分。
夏休み明けの初日だ。
担任の山辺先生が来る直前に、朝倉は一組の教室に入り、バッグを机の横に掛けて着席した。久しぶりに皆と会えて嬉しそうな生徒や、机に頬杖をついて眠そうにしている生徒と、三者三様だった。
やがて山辺先生が教室に入ってきて、いつも通り、自然と朝のホームルームが始まった。
しかし、山辺先生は全員が鎮まるまで、一言も発さなかった。いつもは「静かにっ」と一喝するのだが。
それも、朝倉はパフォーマンスの一種だと思っていた。「全員が静かになるまで」という面倒くさいやつだ。
やがて、山辺先生が静かになるまで待っている、とクラスの皆が気付いて、次第に話し声がなくなり、全員が黒板の方へ顔を向けた。
静かなまま、山辺先生の発言を待った。
山辺先生は、一つ溜息を吐いた。
陰鬱そうな、愁情を醸す佇まい。
朝倉は、耳を疑った。
「佐々木が、昨日、自宅のマンションから転落死したそうだ」
山辺先生はそれだけ言って、また溜息を吐いた。
三年一組の教室は、静寂に包まれた。
佐々木英輔が、死んだ。