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第一章⑥

四人で初めて写真を撮った後日。

「勉強会ばかりじゃつまらないから」という工藤の提案で、朝倉たちは、これまた四人では初めてボウリング場へ足を運んだ。最も成績の悪い朝倉が誰よりも乗り気だったので、A判定を取っている男子たちも、気兼ねなく遊びに行くことができた。

午後一時にボウリング場に到着した。疲れ果てるまで投げ続けよう、と全会一致で決まり、高校生以下は二千円弱というリーズナブルな値段の「投げ放題」を選択した。

ボウリングの実力でいうと、男子三人は拮抗していた。勝率は三人ともそれぞれ三割ほど。実力差がなければ、それだけ白熱するものだ。朝倉は弟たちを見守る長女のように、ボウリングを楽しむ傍ら、男子たちのバトルを観戦していた。

ボウリングという競技の性質上、ストライクを出した人とハイタッチをするのがお決まりだ。佐々木が意気揚々と両手を挙げて駆け寄ってくるのは鬱陶しかったが、反対に、工藤がストライクを出した時はハイタッチが出来ることが嬉しかった。

午後四時を回って、三時間ほど休みなしで投げ続けていたため、さすがに一旦休憩を取ろう、と決めた。

皆川が皆のオーダーを聞いてドリンクを持ってきてくれた。それを飲みながら、ボウリング場に来た平凡な高校生のように、普通の会話をした。

「ボウリングするの中学以来だな」と佐々木。

「僕もそうかな。そんな機会ないよね」

「僕も」

工藤と佐々木も賛同した。

「私も、プリクラ撮りにゲーセン来ることはあるけど、ボウリングっていうとあまりないかな」

「投げ過ぎていい加減腕が疲れてきたわ」

佐々木が右腕を、水滴を払うようにブラブラと振った。

「重いしね」と皆川。

「でも、人間の頭部って実はボウリングと同じくらいの重さなんだって」佐々木が雑学を披露した。「だから、スマホ見たりとかで姿勢が悪いと、想像以上に首に負荷が掛かってるってテレビでやってたな」

スマホ依存。高校生には耳が痛くなる話題だ。

「それで首が凝って、頭痛を引き起こしたりすることもあるらしいね」と、工藤が言った。「立派な現代病だ」

「ボウリングっていえば、『ボウリング不倫』ってネットニュースであったよね」

皆川がぽつりと言った。そういえば、そんな名前を有したタイトルが、ネット記事にもテレビのニュースにもなっていた。

「あったあった。人気のあるところでよくやるよね」と佐々木が澱みなく言った。社会面の記事よりは、こういうゴシップ物が好きなのかもしれない。

「そのスリルが良かったのかもね」と工藤。

「ボウリング不倫」とは、「真面目」という印象で通っている二枚目俳優が、売れない時代から支えてくれていた妻を放って、女子アナウンサーとした不倫騒動の通称である。その名の通り、顔を隠さずにボウリングで二人楽しくイチャイチャしていたのだ。それをファンが撮影、ネットに投稿、大炎上、という綺麗なシークエンスだった。

女子アナは担当番組を下ろされ、二枚目俳優に関しては、CMをおじゃんにしてしまったことの違約金が数千万に上る、と胡散臭いジャーナリストの誰かが計算していた。朝倉としては、計算結果のみならず、むしろその途中式を知りたかった。

「不倫は英語でなんて言うんだろう?」

これまた西王谷高校の生徒の癖で、朝倉はつい未知への好奇心を働かしてしまい、スマホを手に取った。

「affairだよ」

工藤は、朝倉が調べるよりも早く即答した。

「え?affairって『出来事』みたいな意味じゃなかったっけ?」

「have an affairって言えば『不倫する』って意味になるんだ」

これまたタメになった。

恐らくそれを知らなかったであろう、小学一年生から英会話教室に通っていた佐々木は「受験には出ないから覚える必要ないだろ」と言っていたが、朝倉は工藤の英語力にただただ感嘆していた。

「英語って、一つの単語に複数の意味があるじゃん。覚えるのが大変」と、受験生を代表するように朝倉は言った。

現に、それに苦しんでいる人間はかなり多いはずだ。単語の意味を知っているにもかかわらず、その意味が文脈に合わない、という経験を、朝倉は何度もしている。

「日本語もそうじゃん。『けんぽう』って言ったら『憲法』でもあるし『拳法』でもある」

皆川が朝倉の怒りを落ち着かせるように言うが、認められず朝倉はすぐに反論した。

「でも、それだと漢字表記は異なるじゃん。『発音は同じですよ。漢字は異なりますよ。意味も異なりますよ』ってことでしょ。英語は『発音は同じですよ。意味は異なりますよ』って感じ。分かりづらいわ」

「でもその分、日本語を勉強している外国人は『意味』のみならず『漢字』まで覚えなくちゃいけないんだよ。それに比べたら僕らは楽な方じゃないかな」

工藤に言われて、朝倉は「うーん、確かにそうだけど・・・・・・」とたじろいだ。言われてみればそうだった。

「でも確かに困るっちゃ困るね。例えばcall onとか。翔、意味分かる?」

「えーっと、『訪れる』とか」

「『訪れる』以外にあったっけ?」

佐々木がそう聞いた。実際に「訪れる」という意味を思いついていたのだろうか。

「他にも『フォーマルな方法で頼む』とか『用いる』とかの意味にもなるんだ」

「もううんざり」

朝倉は間を置かずそう言って、皆で破顔一笑した。

「例えば、It is about time to call on my study abroad experience.とか」と工藤が言った。

「留学経験を用いる、って感じか」と皆川が学んだ知識ですぐさま理解した。

「そう、就活面接とかで、かな。あとはThe UN calls on Japan to do away with capital punishment.」

「死刑制度廃止を求める、か」と佐々木。

「覚えれば一発だけど、確かに何の関連もないね。だってupsetって一単語だけで、どれだけ意味があるか知ってる?」と工藤が質問した。

「まず『動揺してる』だよね」と朝倉が言い、佐々木が「『怒っている』とかにもなる」と続いた。

「あと、おなかの調子が悪い時にI have an upset stomach.って言うらしい。おなかを壊していたり、あとはムカムカしたり」

工藤が解説して、皆川が「一単語で訳せないね」と諦めるように言った。

「ちなみに、今のは形容詞だったけど、名詞のupsetは『番狂わせ』って意味になる」

「もうやめて、溢れ出ちゃって全部忘れちゃいそう」

朝倉は両目をぎゅっと閉じた。

「じゃあバランスをとるために、春樹の恥ずかしい勘違い話でも披露しようかな」

皆川が意気揚々と言うので、朝倉は「え!聞かせて聞かせて」とすぐに復活した。

「おいおい、何を話すんだ。内容によっては、僕も翔の恥ずかしいエピソードを暴露するぞ」

「とりあえず皆川、頼むわ」と佐々木が姿勢を正した。

「任された。大丈夫だよ、可愛らしい話だから。えーっと、こんなに勉強が出来る工藤春樹くんですが、やや天然のところがあって勘違いが多いです。その例を言います」落語家のように皆川は明瞭な声で聞かせた。「中学二年生の時にですね、給食を食べていたんです。で、友人の一人が『家族で東京ディズニーシーに行った』って言い出して、その思い出話を聞いてたんですが、ディズニーランドにもディズニーシーにも行ったことのなかった春樹くんが『何でああいう名前なんだろうね』って言ったんです」

「おいおい、やめろよー」

工藤は恥ずかしそうに顔を覆った。

「で、それで、それで、あはははは」

話している皆川も、腹を抱えて笑い出してしまった。

「ねー、しっかりして。ちゃんと教えて」

「いやぁ、今でも笑える。よし、大丈夫。で、皆で『名前の何が気になるの?』って聞いたら、工藤が『ディズニーシーでしょ?何でエーとビー飛ばしてシーなんだろうね』って」

四人で大爆笑した。

突然大きな笑い声がボウリング場に響いて、周囲のレーンの人たちが「何だ何だ?」と朝倉たち四人の方を振り返って見た。

大笑いしながら、朝倉は、その通りだ、と思った。

工藤くんらしい。

秀才なのに鈍感。知識が深いのに勘違いしやすい。

だからこそ、好きなのだ。

欠点が魅力に見える。

笑いすぎて涙が出てきた。

ボウリング場に来て正解だったかもしれない。人のいない図書室ででもこれほど盛り上がることは遠慮してしまっただろうから。

「もう一個、春樹がした失恋話があるんだけどね」

皆川がもう一つの話をしようとしたが、工藤が「それはさすがにやめろよ。僕もあの話するぞ」と脅した。

「あぁ、じゃあやめとこう」

「え?なになにー?」

朝倉は聞きたがったが、二人はついに教えてくれなかった。

物凄く気になったのだが。

結局その話は流れ、「次のゲーム、始める?」と聞いた佐々木が、タッチパネルの操作をしだした。

「もう少し休憩していたいかな」と工藤が言い、皆川も「うん、右腕が痙攣してる」と言った。

四人は椅子に座って、隣のレーンで投げている大学生と思しき男女グループや、プロボウラーのようにグローブをしてストライクを連発する人たちのスローイングを眺めたりした。

「さっきの話だけど、奥さんはどうするんだろうね」ゲームが始まるまでの間に、皆川は話を戻した。「自分の旦那が不倫してたって聞いて」

「案外刺し殺して事件になるかもよ」佐々木が物騒なことを言った。「女の嫉妬は怖いって聞くし」

工藤くんに見苦しく嫉妬しているお前がそもそも女性の何を知っているのだ、と質問を挟みたくなるようなセリフだった。

「不倫が理由で離婚になったら、慰謝料はがっぽり取られそうだな」と工藤は現実的な意見を言った。「勿論、奥さんが全てを赦す可能性もあるけど、夫婦間のトラブルだしね」

「男の人ってバカだよね。一時の性欲に身を任せて、人生を棒に振るなんて」四人の中で唯一の女性である朝倉は憤慨して、ストレスを吐き出すように言った。「そういう人が今までに数え切れないほどいるのに、どうして繰り返すんだろうね」

「でもちょっと前にはどっかとどっかのW不倫もあったよな」と工藤が思い出したかのように言った。「それは、女優と誰だったっけか」

「やめよ、そういう話」話題を不倫という低レベルなものからシフトチェンジするために、「工藤くんは嫉妬したりする?」と朝倉は話を変えた。

「あまりないかな。羨望で止まるよ」

「羨ましい、とは思うことあるの?」

「うん。三段階あって、『羨望』『嫉妬』『憎悪』の三つ。SNSとか見ると『憎悪』レベルに達しちゃってて、素直に『すごい』って認められない人とか多いよね」

「あぁ、確かに」

朝倉のすぐ近くにも、凄いものを素直に凄いと認められない人がいる。ああいうのも、心の中に葛藤があってのことなのだ。

「僕は『羨望』止まりだから、凄いものを凄いと認められる。これは幸運なことだよ」

工藤が他者に嫉妬したりしないのは、自身の能力が高いからだ、と朝倉は考えた。それでも、工藤はそれを「幸運なこと」と捉えている。その謙虚さが、工藤を工藤たらしめているのだ。

「嫉妬するこっちの身にもなって欲しいけどね」と皆川が話に割り込んできた。

「嫉妬してるの?何に?」と工藤が質問した。

「勿論、春樹にさ。主に学業でね」

聞けば、皆川と工藤は幼少期からライバルだったそうだ。中学校の定期考査ではバチバチやりあっていたらしい。高校一年でクラスが異なったため休戦となったが、二人とも東都大学を目指しているので、互いを意識するのは当然のことだった。

幼馴染でライバル。

そういう間柄は、素直に素敵だと思った。佐々木から工藤への一方通行の敵意識、よりも、工藤と皆川の爽やかな対決を、朝倉は望んでいた。

「いいね、幼馴染で高校まで同じで。大学も同じところを目指してて」

朝倉にそういう友人はいない。欲しいとは思わないが、そういう絆も一つの美として認識していた。

「俺ら大学生になっても、こうやって集まって遊ぼうぜ」

佐々木のする提案に、朝倉は珍しく賛同することになった。

「皆行きたいところとかある?」

「国内旅行とかしたいね。大学生の冬はスキーにスノボってよく聞くし」工藤がアイデアを出した。「中学校の修学旅行以来だ」

「その前に海よ」と佐々木。

「あぁ、この間言ってたね」皆川は酷使した右腕をストレッチするように、伸ばしたり曲げたりをした。「春樹に渡した『こころ』もそういえば、大学の夏休みの間に由比ヶ浜に行って、『先生』と出会うんじゃなかったっけ?」

「そういえばそうだったな」春樹は即答した。「ちゃんと読み進めてるからね」

「楽しんでもらえるとありがたい」

皆川はまるで著者のようにコメントした。

来年の夏に、海に行くかもしれない。冬には、スキーかスノボに行くかもしれない。この四人メンバーで、だ。

海なら水着だ。ゲレンデならウェアだ。

可愛い物を用意しないと。

夏前には、ちゃんとダイエットしないと。

そして、そういうイベントよりもずっと前に、高校を卒業して離れ離れになる前に、工藤との関係を進めなければならない。

朝倉は、膝の上に載せた両手を握り締めた。

受験を終えて、時期が来たら、自分からでも・・・・・・。

「でもいっそのこと、海外とかにも行きたいな」

皆川が小さく言った。

「海外?例えば?」

握った両手を膝の上で広げて、朝倉は聞いた。

皆川は地理の授業で見た、カナダのナイアガラの滝とイエローナイフのオーロラに言及した。「映像だけでも綺麗だったけど、実際にこの目で見てみたいって思ったね」

確かにイエローナイフのオーロラの映像は綺麗だった。天空の一面に光のカーテンが掛かり、それはそれは幻想的な光景だった。

しかし、ナイアガラの滝に対しては、朝倉は一抹の恐怖を覚えていた。

転落事故を想像して怖くなったのだ。恐らく助かる確率は限りなくゼロに近いのだろう。

誰にも話したことのない恐れ。

信じられないことに、工藤もまた同じ感想を抱いていた。「あの映像見て、ちょっと怖かったんだよね」

「え?何が?」と佐々木が聞いた。

「『ザアアア』ってずっと続く音とかさ。落ちたら一巻の終わりだし」

「私もそう思った。昔事故あったらしいしね」

「じゃあ、イエローナイフか」

皆川がそう言って、叶うかもわからない旅行話が即決される形になった。しかし、もしも海外旅行に一緒に行けるとなれば、素晴らしいことだと朝倉は思った。

「最悪、西王谷の近くのあの公園でピクニックでも良いんじゃない?」

佐々木がそう言うと工藤も皆川も「ないないっ」と慌てて否定した。朝倉も佐々木のジョークにニヤリとした。

西王谷高校から歩いて五分ほどにある公園のことだ。設備と言えば、ベンチと公衆トイレと街灯のみで、何ていう名前なのかも誰も知らない。不良ぶりたい西王谷高校の生徒が溜まりがち、という都市伝説もあるが、少なくとも朝倉の友人の中に、あの公園に態々足を運ぶような人はいなかった。

そんなところでピクニックなどありえない、という佐々木のジョークなのだ。

しかし案外、このメンバーでなら楽しめるかもしれない。どこで過ごすか、というよりも、誰と過ごすか、が重要だ。あの公園で、それでも盛り上がれるのなら、それこそ本当の親密さと言えるかもしれない。

「やっぱり隣の人たち、プロボウラーなのかな。めちゃくちゃうまい」

佐々木が指差す先には、上部に設置されたモニターがあった。確認してみると、ストライクのマークが連続で表示されていた。右にも左にもレーンは続き、様々なグループがボールを投じていた。ボールがピンに激突する音がどこかから度々聞こえてくる。

受験生としての夏休み。勉強がメインだったが、四人してボウリングに行ったことも、立派な思い出の一つだ。

四人で図書室に行ったこと。

四人でボウリングに行ったこと。

少しずつ受験生としての本番が、そして高校生としての終わりが近づいてくることを感じて、しんみりした気分になった。

「そろそろ夏休みも終わりか。天王山も登頂間際だよ」皆川が体を伸ばして肩甲骨の骨を、バキッ、っと鳴らしてから言った。「やり残したこととかない?勉強以外でさ」

「私はあまりないかなぁ」

「僕は、そうだな、運動、とか」

工藤がそういうのが意外で、朝倉は聞き返した。

「何かスポーツでもする予定があったの?」

「いや、そんな本格的なのじゃないよ。ただ夏休みを期に引き締まった体を手に入れたい、って、男子なら皆そう思うんだよ。だよなぁ?」

工藤が皆川と佐々木に助け船を求めるが、二人は否定した。

「そうとは限らないよ」と皆川。

「アナクロニズムか?」と佐々木。

「いやいやいや、夏休みの一週間だけ変に筋トレやったりとか、ないの?」

「ないです」

「ないね」

「そうか、ないのか・・・・・・」

憐れ、というわけではなかったが、朝倉はフォローがてら、工藤に「でもスポーツ出来る人って良いよね。健康体だし、良い目標だと思うよ」と笑顔で言った。

「うん、まあその肉体改造をやり残してしまったって趣旨なんだけど・・・・・・」

工藤がそう、ボソリ、というと皆川が大声で笑った。

朝倉までもが赤面した。フォローしたつもりが、どうやら恥を掻かせてしまったようで「いやいやいや、そういう志で十分だよ」と慌てて言い繕った。

それからも適度に休憩を挟みつつ、四人はボウリングを楽しんだ。ビリは朝倉で確定していたため、ビリの人間に罰ゲームなどという野蛮な遊びまでには発展せず、最初から最後まで楽しいアミューズメントだった。息抜きとして十分すぎる、充実した一日だった。


夏休みも今日を除けば残り七日という日のこと。勉強会を終えた日の夜に、朝倉はまたとないチャンスを得ることになった。

佐々木からNILEでメッセージが送られたのだ。

全体の話の流れとしてはシンプルだった。東都大学の入試で、ある年、恋愛に関する現代文が出されたのだ。その年の現代文の平均点は悲惨なものだった、やれやれ東都大学を目指す生徒ってのは、という笑い話をしていた。

しかし、佐々木は次のようなメッセージを送ってきた。

「工藤って勉強も出来て良い奴で、やっぱりモテるよな。あいつならその試験でも高得点取れそう」

これにどう返信するべきか。

もうぶっちゃけていいのだろうか。

悩んでいる時間は一瞬だった。朝倉は即座に文面を考えた。

ここで工藤のことを褒めちぎれば、少なくとも佐々木は「朝倉は工藤が好きなんだな」と確信するだろう。そして、諦めてくれるに違いない。

のみならず、もしかしたら佐々木はそのことを工藤に伝えてくれるかもしれない。「ウィンザー効果」という、第三者から聞く褒め言葉は、本人から直接聞くよりも影響力がある、という心理現象も期待出来るというわけだ。

「工藤くんが好き」とまではいかなくとも、十分に工藤への好意が理解できる文章を朝倉は考えて送信した。

「そうだよね。工藤くんってカッコ良くて勉強もスポーツも何でも出来るから、問題ないと思う。ほんと、工藤くんみたいな人、憧れちゃうな。工藤くん、女子生徒の人気凄く高いからね」

随所に工藤への好意が滲んでいる。これを読んで、佐々木はそれとなく知るだろう。叶わない恋をしていた、と。

頼むから、逆に燃え上がるなんてことは起こらないで、と朝倉は両手で祈った。佐々木からの返信は来なかったが、朝倉は気にせずそのまま就寝した。

翌日、さてこれから夏休みも終盤、という時なのに、ちょっとしたアクシデントがあった。

いつも通り、朝倉は起床してからベッドの上で横になったまま、スマホを弄ろう、とスマホに手を伸ばして電源を入れたのだが、画面には何も表示されなかった。

本来は、SNSなどの確認をしながら、仰向けになって両足を垂直に揃えて上げ、前後左右に倒す、くびれを作るためのトレーニングをするのだが、そのスケジュールが崩れてしまった。習慣になってしまっているため、スマホがない状態でそのトレーニングをするのはひどく億劫に思えた。

スマホがなければ、今の時間さえも分からなかった。部屋の壁にかけられている時計は、ずっと昔に壊れてそのままになっていた。

そういえば、昨日は充電をせずに眠ってしまった。

ただ単に充電がゼロパーセントだから、だろうか。使用していなくても、スマホは電力を消費し続けている。夜の間に、充電切れになってしまったのだろうか。

満足に機能しない寝起きの頭でそう考えたが、それもおかしい、と思い返した。寝る前に充電は八十パーセントほどあったのだ。だからこそ充電せずに眠ったのだ、と思い出した。

それでも一応スマホを充電することにした。充電器のプラグを、スマホの挿入口に差し込んだ。

だが、ゼロパーセントの時に充電すると画面に表示されるはずの、メーカーのロゴさえも表示されない。スマホの画面は真っ暗で、寝起きの自分の顔が反射している。前髪が総崩れで頭頂部に寝ぐせのある、お世辞にも行儀いいとは言えない顔だった。

佐々木からの返信が気になる。あのメッセージを読んで、どのような返信をしてきただろうか。

さてさて困ったぞ、と朝倉は思ったが、スマホを充電したまま、朝ごはんを摂るために一階へ降りて行った。

リビングの壁時計を確認すると、朝の十時を回ったところだった。

慌てたって、焦ったって、何かが変わるわけでもない。高校入試で気付かされ、今、大学受験の時も同じことを実感している。

分からない問題に出会った時に「どうしようっ!!」と慌てるか「難しいのが来たな」と迎えるかで、その後の展開は大きく変わってくるのだ。

感情的にならない。

常に冷静で、乱されない。

学力が同じであれば、たったこの意識の差で、同等の学力であるはずなのに、点数に差が出てくる。大学受験は心理戦でもあるのだ。

いつも通り、コーンフレークをサラダボウルほどの大きさの皿に入れて、上から牛乳を注いだ。学校がある日は母親が準備してくれているのだが、休日は自分で準備しなければならない。適度に解してからスプーンで一口一口味わって食べた。

食べながら、スマホの故障だろうか、と考えた。故障しているのであれば、修理に出さなければならない。

そういえば、スマホを契約した際にその話をした覚えがある。保証期間の間であれば、確か五千円ほどで修理に出せるはずだ。

まずは店舗へ持っていき、故障の程度を計ってもらおう。一日で修理してもらえるとは思っていないが、どれほどの時間が掛かるものなのだろうか。夏休みもそろそろ明けるし、多少お金が掛かってでも早急に修理して欲しかった。

食事をしながらだと、極めて冷静に考えることが出来る。リビングへ来た母親にも詰まることなく、その旨を淀みなく説明することが出来た。

「多分修理のあれでもお母さんが同伴じゃないと駄目だと思うの。お母さん名義で買ったからね。何時に家出る?」

母親はさらりとそう言った。

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