サジタリウス未来商会と意識の取引
佐藤という男がいた。
40代前半、大企業の管理職として安定した収入を得ていたが、日々の生活は単調で退屈だった。
朝起きて会社に行き、会議をこなし、部下に指示を出して帰宅する。これが毎日の繰り返しだ。
「自分の人生には何かが足りない」と漠然とした不満を抱きながらも、特に行動を起こすわけでもない。
ある夜、会社の飲み会を終えて帰る途中、彼は薄暗い路地で奇妙な屋台を見つけた。
屋台には古びた看板が掲げられている。
「サジタリウス未来商会」
その名前に興味を引かれ、佐藤は屋台に近づいた。
そこには痩せた初老の男が座っていた。白髪混じりの髪と長い顎ひげが特徴的で、どこか胡散臭さと威厳を同時に感じさせる。
「いらっしゃいませ、サジタリウス未来商会へ。今日はどんな未来をお求めですか?」
男――ドクトル・サジタリウスは、穏やかに微笑みながら声をかけてきた。
「未来をお求め?」
「そうです。当店では、退屈な人生に変化をもたらす未来の一部を提供しています。特に、佐藤さんのような方にぴったりの商品がありますよ」
「どうして俺の名前を知っているんだ?」
「それが私の仕事ですから」とサジタリウスは不敵に笑った。
彼の言葉に半信半疑ながら、佐藤は話を聞いてみることにした。
「どんな商品があるんだ?」
サジタリウスは懐から光沢のあるカードを取り出し、それを佐藤に見せた。
「意識を売りませんか?眠っている間や、何もしていない時間をお金に変えられます」
「意識を売る?」
「ええ。お客様が使っていない時間――たとえば、退屈な会議中や、無駄な通勤時間、あるいは夜の眠り。それらを他の人が利用できる形で販売するのです。その代わり、高額な報酬をお支払いします」
「本当にそんなことができるのか?」
「もちろん。試しに契約してみませんか?1回だけでも結構です」
佐藤は考えた末、軽い気持ちで契約書にサインをした。
その夜、佐藤はサジタリウスから渡された装置を使って眠りについた。
装置はヘッドセットのような形をしており、ただ頭に装着して寝るだけで良いという。
翌朝、目を覚ますと、佐藤の銀行口座には驚くべき金額が振り込まれていた。
「本当に金になるとは……!」
最初の取引が成功したことで、佐藤はこの取引にますますのめり込んでいった。
彼は毎晩ヘッドセットをつけて眠るようになった。
さらに日中の退屈な時間――会議や通勤中もヘッドセットを装着し、意識を売るようになった。
結果、銀行口座の残高はどんどん膨れ上がり、佐藤はその金を使って高級時計やスーツを買い、趣味に散財した。
「これなら退屈な人生も悪くない」と思うようになった。
だが、しばらくすると、奇妙なことが起き始めた。
最初に気づいたのは、朝の目覚めが以前と違うことだった。
起きた時に、どこか疲れた感覚が残る。
「眠ったはずなのに、体が休まらない……」
さらに、会議中にふと気づくと、同僚が「佐藤さん、さっきの発言は素晴らしかった」と褒めてくる。だが、佐藤自身にはその記憶がない。
「俺は何も言っていないはずだが……」
それだけではなかった。ある日、妻がこう言った。
「昨日、昼間に家に帰ってきたでしょ?」
「いや、ずっと会社にいたけど」
「でも、防犯カメラにあなたが映っているのよ。玄関を何度も出入りしてたみたいで……」
佐藤の心に不安が広がった。
彼は再びサジタリウスの屋台を訪れた。
「一体どういうことなんだ?俺は意識を売っただけのはずなのに、記憶にない行動をしていたと言われるんだ!」
サジタリウスは冷静に答えた。
「ご説明が不足していたかもしれませんね。意識を購入した人々が、必要に応じてその一部をコピーし、お客様の身体を介して行動することもあるのです」
「俺の身体を使った……?」
「ええ。意識だけを切り離すと不便な場合がありますからね。それに、契約書にもその可能性が明記されていましたよ」
「そんなこと聞いてない!契約を解除してくれ!」
サジタリウスは肩をすくめた。
「申し訳ありませんが、一度の契約を取り消すことはできません。ただ、新しい契約を結ぶことで、状況を調整することは可能です」
「新しい契約?」
「たとえば、現在の問題を解消する代わりに、あなたの『自由な意思』を差し出していただく――という取引が考えられます」
佐藤は愕然とした。
「自由な意思を……?そんなものを手放したら、俺はもう俺でなくなる!」
佐藤はヘッドセットを捨て、それ以上サジタリウスとの取引を続けることを拒んだ。
それ以降、彼の生活は不便になり、稼いだ金も徐々に減っていったが、佐藤は少しずつ自分の人生を取り戻していった。
ある日、再びサジタリウスに出会った。
「おや、佐藤さん。その後いかがですか?」
佐藤は深く息をつきながら答えた。
「正直、大変だよ。金も減ったし、前みたいな便利さはない。でも、自分の人生を自分で生きている実感がある。取引をやめて正解だった」
サジタリウスは満足そうに微笑んだ。
「それは良かった。未来は取引で手に入れるものではなく、自分で作るものですからね」
その言葉を残し、サジタリウスはまた姿を消した。
佐藤はその背中を見送りながら、未来に向かって自分の足で歩き出す決意を新たにした。
【完】