009
「教えてくれ。お前はこの世界で何が起これば…何をしたら救われたって思う?」
この世界を救う内容が明確でないなら、この世界で生き、この世界を存続させるために生きている彼に聞けばいい。
そう考えた悠馬は、頭を下げて八神に訊ねる。
「俺さぁ…無能なりに頑張ったんだよ。必死でみんなが助かる方法を考えた」
押し出すように、吐き出すように話し始めた八神。
悠馬は静かに、そこから続いていくであろう言葉を待つ。
「でも俺は俺の限界を知ってる…美哉坂さんみたいに特別な力もない。お前みたいな勇気もない。時間遡行する覚悟もない。そんな俺にできたのは、なんとかこの島を守ることだけだった。…いや、守ってすらないな。時間の流れを極限まで遅くして、ただ醜く延命してるだけだ」
八神は続ける。
自分の無能を吐露し、夕夏や悠馬に対する妬みを吐く。
「もっと上手いやり方はあったと思う。お前が美哉坂さんを助けに行くって言ったとき、俺も一緒に行くって言えていたら、きっともっと別の結末が…あったはずなんだ」
必死に頑張って、必死に考えて、みんなで助かる方法が一つあると気づいた。
そうして八神は物語能力を複製し、結果体の半分がめちゃくちゃになった。
彼はこの繰り返される停滞した世界の中で、ひたすら違う結末を思い描いた。
もっと自分に特別な力があれば。覚悟があれば。勇気があれば。
何度も時間遡行を考えた。
幸い結界契約が済んでいない八神は、時空神に認められさえすれば、契約ができる可能性があった。
しかし八神がこの異能島を出て神器を探すということはつまり、異能島にかけられた物語能力は解除され、みんなが凍死してしまう。
だから動けなかった。動きたくなかった。
もし仮にみんなを置いていって、時空神との契約ができなかったら?もし時間遡行に失敗したら?
そんな可能性を考えて恐怖し、時間遡行を諦めた。
そうして長い年月が過ぎた。
終わらない夜の中、1年が過ぎ2年が過ぎ、親友との思い出も風化していき、今この島で生き残っている人との思い出の方が多くなった。
「半端な俺が半端な覚悟でこんな力を手にしちまったから…きっと世界はおかしくなったんだ…」
「それは…違うだろ」
「違わねえよ!悠馬!お前だったらもっと別の結末を迎えたはずだ!だって現にお前は2回ここに来て…!1回目は時間遡行を実行して、2回目のお前は30半ばまで生きてる!俺みたいな奴が何者かになれるって思っちまったから…!この世界は停滞しちまったんだ…」
それは八神の懺悔だった。
この選択の重みを知っているのは、この世界において八神だけだ。
自分の選択で全てが決まる。人の生も死も。
物語能力を複製したときは、何者かになれたと思った。
大いなる力の一端を一身に宿し、これで世界は救えると思った。自分が救世主になった気分だった。
でも八神の物語能力は所詮複製で、本物の物語能力の力を上書きすることはできず、結果狭い領域内だけに物語能力を使うことしかできなかった。
そうして異能島の中で過ごすほかなくなった。
「俺じゃなくて…お前や美哉坂さんが生きていてくれたら…あの日死ぬべきだったのは俺の方なんだよ…」
気持ちはわかる。
彼の今の精神状態はあまりに不安定だ。
自分自身の選択に後悔し、この世界を守り続けないといけない責任と重圧に押しつぶされ、精神的に狂いかけている。
膝から崩れ落ちた八神は、嗚咽を漏らしながらありもしないたられば話をした。
「俺は普通に生きたかった…普通に生活して、普通に死ねたらよかっただけなのに…なのに何で俺がみんなの命を背負わなくちゃいけないんだ…人の命の責任まで負わなくちゃいけないんだ…助けてくれよ…」
「それがお前の本音か…」
さっきまでの警戒していた姿は、周囲の命に対する責任のために見せていた姿で、本音を吐いた八神の姿は、今にも消え入りそうなほど小さく見えた。
悠馬はそこまでの話を聞いて、ゆっくりと右手をあげ海を指差す。
「…俺がお前を救ってやる。もちろん過去に巻き戻すことはできない。それは遡行者にしか許されない回帰だから、俺ができることと言えば今から状況を好転させることくらいだ」
過去に一度セカイで時間遡行を行えるのか試したことがあったが、結果は何も起こらなかった。
だがこの夜を何とかすることならできる。
この夜は物語能力により発生したもので、上位互換の異能を持つ悠馬であれば、理論上問題なくこの夜しかこない世界に日を登らせることは可能だ。
「俺はお前の努力も苦しみも、全部はわからないけど、理解者ではいたいと思ってる。よく頑張ったな。もう大丈夫だ」
そう言って悠馬は、大きな方陣のようなモノを発動させて空を見上げた。
八神は白く光る方陣を眺めながら、涙をこぼす。
それは本当にこの悲劇に終止符が打たれるのかという、不安と期待。
また同じ悲劇がループするのか、それとも本当に自由になれるのか、まだどちらともいえない状況で、異能の発動を見守る。
方陣の力を全世界へと広げ、この夜の正体を知る。
「なぁ八神…この世界でお前ら以外は生きてないって言ったよな?」
「ああ…この氷点下の中生き残れる人間なんて、いないだろ」
外の世界の生存者。
そう、普通ならそうだったのかもしれない。
でもこれは?この世界の至る所で感じられる、命の輝きはなんだ?
微かに残る物語能力の痕跡を辿り、意識をより深層へと向ければ、そこには温かい世界があった。
「これは…」
ティナの物語能力の痕跡か?
もう痕跡が消えかけているが、感じられる物語能力は混沌の夜や夕夏のものではなく、ティナのものであった痕跡。
混沌の使った異能は、太陽を壊したわけではなく、ただ分厚い〝夜〟で空を覆っているだけ。
その夜さえどうにかすることができれば、気温は徐々に戻っていくはずだ。
悠馬は方陣を全世界へと張り巡らせ、崩壊の異能を発動させた。
それと同時に、オレンジ色の夕焼けが異能島を包み、八神は目を細める。
「ぁ…あ…」
明けない夜はないと言うけれど、20年間明けなかった夜が明け、自然と声が漏れる。
なんて美しいんだ。なんて幻想的なんだ。
まるでこの世界の始まりに立ち会ったかのような、そんな景色に見惚れる八神は、涙を溢しながら蹲った。
「世界は…世界はこんなに綺麗だったのか…」
「おう。これがお前が守った世界だ。お前が誰よりも目に焼き付ける権利がある」
八神が必死に20年守り抜いたから、暁悠馬が来ることができた。
それは間違いなく誰のおかげでもなく、八神清四郎のおかげだ。
しかし彼はまだ、この世界について知らない。
必死に異能島を守ることだけ考えてきたからこそ、外の世界を知る余裕がなかった。
異能を発動させた際、この世界の状態を知った悠馬は、八神に歩み寄りながら口を開く。
「日本支部や日本に近い国は全滅してる。混沌の異能の影響をモロに受けたからだと思う。…でも八神、まだお前ら以外に生きてる奴らも、この世界にいるみたいだぞ」
「は…?」
日本支部や付近の国が全滅してるから、通信手段がなかったんだろう。なにしろ日本のネットワークはすでに壊滅してるだろうからな。
それに付近が氷河期以上に寒い状態なのだから、異能島に残った人々は外界で人が生き残ってるなんて考えなかったはずだ。
そしてその逆も然り。
外界の人々も、日本支部の異能島だけ人が生存しているなんて考えきれず、捜索や救援は念頭に入れてないのだろう。
きっと悠馬が訪れなければ、八神はその事実を知ることなく、体力切れで凍え死んだことだろう。
八神は悠馬から外界に生存者がいるという言葉を聞いて、ゆっくりと現実を脳内に落とし込む。
「…ってことは…俺たちはまだ、普通の生活に戻れる可能性があるってことだよな?」
「そういうことだ。動物も生きてるみたいだし、肉も魚も野菜も、何でも食えるはずだ。…もうお前がこの島を停滞させる必要はないってことだ」
そう言って、蹲っていた八神の肩を叩く。
あまりに長い道のりだっただろう。
20年を2回、ゆっくり腐っていく自分の精神と、自分の体力が0になった時点で滅びる世界なんて、いくら悠馬でも正気じゃいられない。
約40年も、現状維持に近い状態を保ってきた八神にとって、これはゴールのようなものだ。
自分が異能を解除すれば、ようやく人間らしく歳を取ることができて、ご飯を食べて栄養摂取が必要になる。
ようやく人の命を気にせず、肩の荷をおろしてゆっくりとできるってことだ。
顔を上げ、夕焼けを見つめる八神は、久しぶりの太陽の輝きで目に痛みを感じながらも、それすらも心地よく思ってしまう。
「俺が異能を解除して…大丈夫なのか?」
「ああ。一応さっきの異能を発動させた時、外界の温度も調整してるから。お前が異能を解除した途端に凍死なんてことはないと思う」
それに成長スピードを遅くしたり色々と歳を取らないために異能を使っていると言っていたが、その異能を解除したからって20年分一気に老ける訳じゃない。
八神が異能を解除したところで、20年分歳をとるわけではなく、解除した時点からまた身体の老化が始まるのだ。
だから八神は、何の心配もいらない。
悠馬が死ぬことはないと話すと、八神はボロボロの左手を伸ばし、異能を解除させる。
「……」
異能を解除させてすぐ、島には暖かな風が吹き込んだ。
八神の異能によって外界と隔絶され、風が吹かないはずの異能島に、20年ぶりに吹く風。
まるで絵の具の橙色を溶かしたような夕焼けを眺めながら、ようやく自分自身が解放されたと実感した八神は、頭を地面に擦り付け、大きな声で泣き噦る。
「どうやら俺は時間らしいな」
八神とまだ話してみたいことはあったが、どうやらシステムウィンドウが提示した条件は達成したらしい。
混沌の異能を崩壊させてから、徐々に自分自身の身体が光に包まれていた悠馬は、フッと微笑んで空を見上げる。
「ま…待ってくれ悠馬!まだ話したいこと、たくさんあるんだ!それにお礼だってまだ…!」
「俺もまだ話したいことはあったんだけど…なにしろ外部の人間だからな。時間切れらしい。通によろしくな」
そう言って光に包まれた悠馬は、最初から存在がなかったかのように消えてゆく。
この世界には、努力しても報われない人がいる。
それは元々生まれ持った持病であったり、精神の問題であったり、能力の問題であったり…。
努力しても努力しても、限界は存在して成功するのは僅か一部の人間だ。
でも、報われなかったらそれでお終いなのか?手を差し伸べてくれる人はいないのか?
きっと違う。
勿論手を差し伸べられず、報われない人だってたくさんいる。
そんなことはわかってる。
でも、少しでも。ほんの少しだけでいい。
報われない努力に、少しでも手を差し伸べてくれる人が増えたなら、この世界はもっとより良い世界になるはずだ。
きっと今日より、輝いているはずだ。
「悠馬…俺…」
八神は悠馬のいなくなった世界で、1人呟く。
その先の言葉は聞き取れず、異能島に吹き始めた新たな風と、漣の音でかき消されてしまう。
そんな中、遠くには道路を走って現れる黒髪の少年の姿が見えた。
「おーい!八神!何で急に太陽が見えるようになったんだ!?てか何で俺ワープしたの!?悠馬はどこ行った!?」
大きな声で疑問を口にする通は、すぐに半壊した悠馬の寮の前まで来て、目を腫らした八神を見て、何かを察する。
「…全部、終わったのか?」
「あぁ…悠馬がお前によろしくって」
「何だよアイツ。水臭いな…いくら他の世界から来たって言っても、大親友の俺様にくらいちゃんと挨拶していけよな!」
八神から悠馬の伝言を伝えられ、通はわざとっぽく憤慨して見せる。
しかし彼の口元は微笑んでいるものの、瞳からは涙がポロリポロリとこぼれ落ちていた。
「通…これから忙しくなるぞ」
「俺様のお気楽ニートライフも、おしまいかぁ…どうすんの?外の世界には人生きてないんだろ?俺たち外で生きていけるのか?」
「それが何と、生きてるところもあるらしい。日本支部近隣は全滅らしいが、日が昇ってる国もあったようだ。だから俺たちは、その国と協力していく必要がある」
「そりゃ大変だ!俺様が親善大使ってか!?」
「おいやめろ、お前が親善大使なんてなったら戦争が始まるだろ」
「んだとォ!?俺様ほどフレンドリーなやつはこの異能島にいないだろ!きっと役に立つぜ!?」
異能島に引きこもる生活が終わると聞いてか、嬉しそうな笑顔を見せる。
冗談を言い合いながらも、しっかりと未来を見据えて話をする彼らの姿は、20年前のあの日、悠馬と3人で将来を語り合ったあの日のままだ。
外界と隔絶された世界から、新たに一歩踏み出す彼らの表情には、大きな期待が込められている。
「見ててくれよ、悠馬。俺絶対、うまくやるから」