063
顔が近い。
オリヴィアに示しがつかないと言われた悠馬は、慣れ親しんだ彼女に対し、無意識に手を伸ばす。
脳では目の前にいるオリヴィアが、自分の知るオリヴィアではなく、パラレルワールドの全く別の存在だとわかっていても、記憶が刻まれた体は無意識に動いてしまう。
20年近く側に居て、出会って間もない時から悠馬とオリヴィアは付き合っているのだ。無理もない。
つい条件反射で、キスできるほどの距離まで近づいてきたオリヴィアの腰に手を回してしまった悠馬は、数秒間彼女を抱いた後、ハッと我に帰り背筋にヒヤリとした寒気を感じて、慌てて手を離す。
甘い香りとスラッとした腰の触り心地が良くて、少し名残惜しさを感じてしまう。
「あ、ごめん…つい…」
「お互い独身だから構わないが、気をつけた方がいい。キミは上司で私は部下だ。立派なセクハラだぞ?」
「はい、すみません…」
一気に流れ込んでくる情報に、状況はイマイチ飲み込めていないが、要約するとこっちの世界の暁悠馬はエルドラが作った聖王国で騎士団の団長をしていて、オリヴィアはそこの団員ってことだよな?
そしてさっきからずっと、なぜこのパラレルワールドでは八神や夕夏のパラレルワールドと違って自分が高校生の姿になっていたのか疑問だったが、その謎に対する答えも見えてきた。
オリヴィアの発言から察するに、パラレルワールドで暁悠馬が生きていた場合、その暁悠馬と同じ年齢に調整されるってことだろうか?
八神と夕夏のパラレルワールドで暁悠馬は死んでいたため、30代の年齢が適応されていたが、こっちの暁悠馬は死んでいないため、年齢が同じになるよう調整されていると考えれば納得できる。
思考を逡巡させながらも、ひとまずこっちの自分がオリヴィアと共に過ごしているのだと知り、安堵する。
お互い独身だという発言から、夕夏や花蓮とは付き合ってないってことだろう。
そう考えながら、彼女を見つめる。
こっちのオリヴィアは、悠馬が知っているオリヴィアよりもスラッとしている気がする。
美形な顔や美しい容姿は変わっていないが、オリヴィア特有のむちっとした肉付きがないというか、グラビア体型からアイドル体型になってるような気がする。
腰のくびれや足の細さ、頬の輪郭なんかからそう考える悠馬に、マジマジと見つめられるオリヴィアは視線を逸らす。
「見過ぎじゃないか…?今日のキミはおかしいぞ?」
「いやぁ、なんだか新鮮で…」
「新鮮?いつもと同じ軍服だろう、頭でも打ったか?」
「なんだか久しぶりに見た気分なんだよ…」
「そうか。ところでキミは、エルドラの護衛が仕事だろう。なんでこんなふざけたことをしているんだ?」
団長である悠馬の仕事は、エルドラの護衛。
だというのに外から現れ、呑気に総合庁舎でお喋りをする悠馬に、オリヴィアは早く働けと言いたげだ。
彼女の意見はもっともだ。
自分は夜遅くまで働いているのに、上司がフラッと外から戻ってきてふざけたことばかり言っていたら、寝ぼけてないで早く働けと言いたくなる。
悠馬はオリヴィアからふざけたことをしていると言われ、渋々サーチを発動させた。
エルドラのオーラは過去に会ったことがあるため、場所くらいは割り出せるはず。
イギリス支部のジャックザリッパー、ルナが使用していたターゲットを応用し、過去に覚えのあるオーラにターゲットをつけた悠馬は、ここからそう遠くない場所にエルドラのオーラを発見し、目的地を指差す。
「一緒に行くか?エルドラんところ」
こっちの自分が騎士団長ならば、エルドラに接近しても問題ないはず。
そんな甘い考えを浮かべる悠馬に対し、オリヴィアは悠馬の顔を指さした。
「?」
「いつもの仮面。騎士団以外の人に顔を知られないために仮面をつけていただろう。今日はつけなくていいのか?」
「あぁ…」
なんてめんどくさいことしてんだよ!こっちの世界の俺!
単純にテルヘンが騎士団団長の顔を知らない可能性もあったが、どおりで彼が騎士団長と気づかないわけだ。
てか仮面ってどんな仮面つけてんだよ。
死神みたいな道化のやつでいいのか?
こっちの世界の自分が普段は仮面をつけていると聞き、渋々セカイを発動させて仮面生成した悠馬は、その仮面を装着する。
「…キミはとことんふざけてるのか?」
「あ?これじゃなかったっけ?」
暁悠馬と言ったらこれだろ!?
死神が道化の仮面を付けていたことから、暁悠馬がつける仮面と言ったらこれだろう!?と言いたげな眼差しをオリヴィアに向けると、彼女は額に手を当てる。
「いつもは黒いシンプルなやつだろう。そんなふざけた仮面でエルドラの元へ行けば、辿り着く前に団員に捕まるぞ?」
「仮面が少し変わったくらいで俺を見分けられないなら団員失格だろ。オーラで感じろ、俺を」
「どうやらキミは頭に悪いものを食べてしまったらしいな。夜間も開いている病院を紹介しよう」
「失敬な。それじゃあ、俺はもう行くぞ。結局ついてくるのか?やめとくか?」
「やめておこう。今夜はここが私の持ち場だからな。目を離すわけにはいかないだろう」
「そうか。あーあ。せっかくオリヴィアとデートできると思ってたのに、残念だなぁ」
クールなオリヴィアは滅多にお目にかかれないから、もう少し2人の時間を楽しみたかった。
こっちでは付き合っていないからなのか、クールな物言いであしらってくる彼女に、悠馬はシクシクと悲しむそぶりを見せる。
「私が本気で病院を紹介する前に早く行ってくれ。キミはそういうキャラじゃないだろう」
「あー悪い悪い。今深夜テンションなんだよ」
自分の知らないオリヴィアとの遭遇に興奮している悠馬は、彼女と軽口を叩き合いながらひらひらと手を振って総合庁舎を後にする。
綺麗なオリヴィアを見て、ついつい饒舌に話してしまったな。
道化の仮面をシンプルな黒色のものに変え、元来た道を戻る。
テルヘンはすでに城壁外の監視業務に戻ったのか姿は見えず、入り口のでっぷりとした警備兵の姿だけが微かに見える。
「こっちの世界の俺は騎士団長らしいし、あの太っちょ少し脅しとくか?」
さっき死んどけとまで言われたし、仕返しで少しくらい脅してても良いよな?
テルヘンの敬礼や挨拶を無視した態度も気に入らないし、ここはガツンと脅してやろう。
そう考え、少し歩くペースを早める。
でっぷりとした総合庁舎の警備兵は、大きなあくびをしながら、悠馬の姿を確認する。
彼は最初こそめんどくさそうな眼差しで横目を見るようにしていたが、接近してくる人物の仮面を見たからか、ビクッと身体を震わせて姿勢を正す。
「お疲れ様です!団長様!」
「お疲れ」
服は変わってないのに、仮面を付けただけで騎士団長って疑わないんだな。
警戒心が薄いというか、これだと仮面を付けてたら誰でも騎士団長になりきれそうだ。
さっきまで自分がボディチェックしていた男が、目の前にいる騎士団長だと気づいていない警備兵に、呆れてため息を吐く。
でっぷりとした警備兵は、悠馬がため息を吐くと、ピクッと震えて上目遣いになった。
「いかが…なさいましたか?」
「俺のこと、わからないか?」
悠馬の突然の質問に、男は訳のわからないと言いたげな表情を浮かべる。
「何をおっしゃいますか、騎士団長でしょう」
「男は外で死んでおけよ…だっけ?」
「っ!?」
悠馬がさっき警備兵が吐いた言葉を口にすると、男は思わず一歩後ずさった。
外で死んでおけ。
それはさっき、テルヘンが連れてきた外壁の外から来たという異能力者に対して吐いた言葉だった。
男はボディチェックとして、女性にセクハラまがいのことをするのが好きだった。
流石に騎士団のメンツにはセクハラなんてできないが、それでも自分よりも下の人間ならば、迷わず体に触れて胸や恥部まで確認をしていた。
外から来たという悠馬を見て、容姿が整っていることから男装の可能性もあると考えボディチェックをしたが、結局男だったため暴言を吐いた。
しかしあの言葉を聞いてきたのは、城壁を守る衛兵と、まだ聖王国に来て間もない男だけだったはず。
あの衛兵、騎士団に報告を上げたのか!?
真っ先にテルヘンが騎士団に報告した可能性を疑った男は、一瞬だけ怒りの感情を見せる。
悠馬はそれを見逃さない。
一瞬の怒りの感情が、自分ではなくテルヘンに向いていると察した悠馬は、仮面に手をかける。
流石に自分をここまで連れてきてくれた恩人のテルヘンに迷惑は掛けられない。
悠馬は男に詰め寄ると、仮面を外して見せた。
「な…は…?」
男は情けない声を上げる。
「とんだ職務怠慢だな。いくら俺が外から帰ってきて身元が分からなかったといえど、知らない人間には最低限の敬意を払うべきだろう」
外から来た人間だから、聖王国の関係者ではなく、加えて自分よりも格下とでも思っていたのだろう。
実際、悠馬自身は実力はあるものの聖王国の関係者ではないのだが、使えるものは使って更生させておかないといけない。
こんな男でも、重要な庁舎の警備を任されているんだ。
クビにしたり痛めつけるよりも、真っ当な道に更生させた方がこの世界のためになる。
男は悠馬の顔を見て、さっき自分がボディチェックをして暴言を吐いた男が、騎士団長だったのだと知る。
瞬間、彼はその場に膝をついた。
「と、とんだご無礼をお許しください…!」
立場が逆転した。
さっきまで格下だと思っていた男が、まさか騎士団の団長だと知ってしまった男は、何度も謝罪の言葉を並べながら、深々と土下座をして見せる。
「別に許しても良いが…お前、あの様子からして普段からあんなことしてるんだろ?」
「いや…そんなことは決して…多少の誤解はあるかもしれませんが…普段はそのようなことはしておりません…」
言葉の歯切れが悪い。
誤解してそう思っている人はいるかもしれないが、自分はそんなことしていないと言うあたり、思い当たる節がいくつもあるのだろう。
保険をかけるような口ぶりのあたり、騎士団長を前にして、彼が保身に走っているのは分かった。
悠馬は土下座をしている男の前で腰を落とすと、腕を膝の上に置いて顔を覗き込む。
「次、今日みたいなことをやったっていう報告や噂が上がってきたら…わかるよな?」
「も、もちろんです、わかっております…!」
次はない。
深みを持たせる言葉を使うことで、お前に目をつけていると告げた悠馬は、青褪めた男を見て、ニッコリと笑顔を浮かべる。
「もちろん、お前のことは評価してるんだぞ。期待してるから注意してるんだ」
優しく補足を入れる。
飴と鞭の使い分け。
人間、鞭で叩かれると最初は言われた通りに物事を実行するが、鞭だけの状態で放置されると、徐々に気力が削がれていく。
なんで俺はこんなことをさせられているんだ、どうして強制されなければならないんだ。
鞭だけを与えると、不満によるモチベーションの低下、溜まりに溜まった不満により、一層問題行動が増加することも考えられる。
だから、彼のことなんて全く知らないが、一応君のことは評価していると告げる。
そうすることによって、注意されたのは自分のことを評価してくれているからなんだと錯覚させる。
鞭を与えたから、次は甘い飴で彼の焦りと恐怖を軽減させる。
いきなり騎士団長に詰められたら、誰だって怖いだろうからな。
「あ、ありがとうございます!」
男は警備だけしている自分が騎士団長に認知されている上に、評価されていると言われたのが嬉しかったのか、歓喜しながら声を上げる。
「必ずや、その期待に応えられるよう、総合庁舎の警備を全うして見せます!」
「おう、期待してるぞ」
これで一旦、この男に関しては大丈夫だろう。
男の認識を改めさせる。そんな些細な変化で世界を救った判定になんてなるわけがないのはわかっているが、この世界がより良くなるなら、パラレルワールドに来た甲斐があるってことだ。
「それじゃあ、俺は行くから。あと頼んだぞ」
男にそう告げて、総合庁舎を後にする。
次はいよいよ、エルドラの反応がある場所へと向かう。
混沌を倒した世界線のエルドラ。
あの日、リーフの記憶で見たエルドラは圧倒的に劣勢だったが、この世界の彼はどうやって混沌に勝利を収めたのだろうか?
そんな好奇心にも近い疑問が浮かび、目的地の方角を見つめる。
そこには大きな城のような建物が見えた。
テルヘンに先導してもらっている時は、すぐ近くの景色を確認することだけに集中していて、遠くにあんな大きなお城があることに気づかなかった。
間違いなく、エルドラの生体反応はあそこから感じられる。
ターゲットの異能で、正確にエルドラの所在を把握する悠馬は、彼に謁見すべく、王城へと向かった。




