058
オペラ劇場に到着し、2人の作り上げた闇深空間から脱出する。
美男美女、誰もが憧れる華やかな2人の、闇が深すぎる過去で胃もたれ寸前のミュランは、転げ落ちるようにして車内から逃げ出した。
空気が悪すぎる。
何気ない一言から始まった最悪の雰囲気は、ある程度修羅場を経験したことのあるミュランでも、耐えられるものじゃなかった。
ローガンの暴言や問題行動などという生やさしいものではなく、単純に空気が針に変わったようにチクチクして、重苦しくなるのは初めてだ。
もう少し車内にいる時間が長ければ、気が狂っていたかもしれない。
あの後からニコニコの笑顔をやめない朱理と、あまり話をしなくなった悠馬のせいで精神的な疲弊を感じるミュランは、動悸を感じながら深いため息を吐く。
「はぁ…切り替え…!」
切り替えないと!
アルデナが戻ってくるまでの数時間、異能王を接待しなければならないミュランは、気持ちを切り替えてオペラの案内を始めようと振り向く。
すると振り返った先では、絵画のように美しい光景が広がっていた。
真っ黒なリムジンの前に立っていた悠馬が、エスコートをするように車内から出て来た女性の右手を支える。
黒髪の女性は、悠馬が差し出した左手に右手を合わせると、コツっとヒールの音を立て、地面へと降り立つ。
美しい。
その一言で十分だと思った。
どんな言葉で着飾るよりも、単純な一言のみで完結する美しさだ。
もはや説明不要とも思える光景だ。
今この瞬間をカメラで捉えていたなら、きっと誰もがこの2人に闇の深い過去があるなんて気づかないだろう。
普通にしていたら、2人は華やかな人生しか歩んでいないように輝いて見える。
きっとこの2人の輝きは、深い闇を知っているからこその輝きなのだろうと、判断する。
「こほん…お待たせしました。会場へご案内します」
危うく2人に見惚れて、本題を忘れるところだった。
理想的な夫婦の光景、絵に描いたような美しい2人に夢中になっていたミュランは、さっきまでの闇深話の気まずさなどすぐに忘れ、2人を会場へ誘う。
会場の外観は少し古びているように感じる。
おそらくかなり昔に建てられたのだろう、よく言えば味が出ている、悪く言えば古ぼけて見えると言ったところだ。
白だったであろう外壁は長年建っているからか少し黒ずみ、土台のレンガ調の柱なんかも汚れているように見える。
規模もそこまで大きくなく、大きさ的には体育館二つ分くらいだろうか?
ノーマンの宮殿を見た後だからか、なんだか少し、迫力に欠けるな。
招待されたからてっきりドームのようなものをイメージしていたが、思った以上にこじんまりとした印象が残る。
「あは。スカラ座ですか」
前を歩くミュランに連れられ、朱理が呟く。
「知ってるのか?」
「はい。名前だけは知っていますよ」
朱理が劇場施設の名前を知っているとは思わなかった。
高校時代はイタリアが国かどうかもわかっていなかったのに、今ではイタリアにある興味のない劇場の名前まで知っているのだから、ついつい感動してしまう。
「逆に知らなかったんですか?」
「うぐ…その辺は疎くて…」
「確かに。なんだかんだ悠馬さんも、芸術には疎いですもんね」
朱理はそう話す。
実際その通りだ。
悠馬は芸術に詳しいわけではない。
無論異能王として、各国のお偉方に芸術鑑賞に誘われて博物館や寄贈品展示会みたいなものには参加するものの、芸術というものがイマイチわかっていない。
よくお偉方はあまり上手く見えない絵画を見て、美しいと言ったりしているが、アレは雰囲気でそう話しているだけなのだろうか?
接待以外で芸術に触れない悠馬は、芸術はもちろんのこと、芸術関係の施設に関しても詳しくないのだ。
「まぁ、お二人の住んでいた日本では、オペラはマイナーでしょうからね。寺坂総帥もここスカラ座に来るまでは、オペラを鑑賞したことがないと言っていました」
「へぇ〜、寺坂も招待したのか?」
日本支部の前総帥である寺坂は、アルデナやミュランと年齢が近い。
セレスの話では寺坂とアルデナはよく話をしていたようだし、もしかすると今日のようにスカラ座に招待したのだろうか?
寺坂がオペラを鑑賞したことがないという話に、興味深そうに触れる。
するとミュランは、微妙な表情をして首を縦に振った。
「せっかくなので良い舞台をと思い招待しましたが…開始5分でいびきをかいて爆睡していました」
「最悪だな…」
他支部の総帥、ないしは総帥秘書に招待された劇場で爆睡するのは流石にまずいだろう。
イタリア語がわからなくて寝た可能性もあるが、流石に5分で寝るのは度が過ぎている。
アルデナと寺坂の関係性はそれなりだったから寝ても許されたのだろうが、これを関係の悪い国でやってたら外交問題に発展してそうだ。
寺坂にとってはよっぽどつまらなかったか、よっぽど疲れていて意識を失ったのだろう。
そう思うことにした悠馬は、いくら話がわからなくても、自分は寝ないでおこうと心に誓い、会場へと入っていく。
会場内に入ると、味が出ている外観とは打って変わって、良いところのホテルのような高級感漂う空間が広がっていた。
異能王の空中庭園のように、白を基調とした空間。
白の大理石で作られた柱と、白亜の内壁。
壁に施された大きな鏡、黄金であしらわれた装飾。
天井には眩く煌めく複数シャンデリアが付いていて、床は淡いピンク色の輝く大理石で仕上げられている。
朱理は大きな鏡の前で自身の容姿を確認している。
相変わらず鏡に映った姿も美しい。
黒髪を靡かせ、真っ黒なドレスから美脚を見せた朱理。
そんな彼女を見つめていると、一瞬鏡が震えたような気がしたが、まあいい。
四隅には誰かの像が建てられているが、おそらくここの建築に関わった人か、オペラの作曲家か何かの像なのだろう。
雰囲気としては、建物内全体が細部まで芸術にこだわっているようで、ドアひとつをとっても美術品と感じてしまうくらいだ。
「ここはホワイエと言って、オペラの合間時間に、バースペースになるんですよ」
「へぇ…美味しそう…」
「悠馬さん、公務なのでお酒はダメですよ?」
「あ、うん…」
イタリアのワインを飲んでみたい。
お酒は多少嗜む程度の悠馬だが、やはり本場のワインは少量でも飲みたいものだ。
公務中は基本的に禁酒、何が起こるかわからないため空中庭園内でもあまりお酒を飲めない悠馬は、朱理に止められ、せっかくいいお酒が提供されるだろうに…と肩を落とす。
まぁ、酒を飲んだことで救えたはずの命が救えなくなるなんてことは避けないといけないから、仕方ないことと受け入れよう。
「では、ホール内に案内しますね」
ひと通り場内を見終えたことで、ミュランは歌劇場のメインホールへと案内を始める。
「すげ、オークションハウスみたい…」
「暁悠馬さま…あんなところと一緒にしないでください…」
「あ、ごめん…」
中は圧巻の景色、劇場が見える壁面全てに部屋があり、そこからオペラを一望できるようになっている。
それはついこの間訪れたアメリカ支部のオークション会場のような作りだが、違うのはやはり雰囲気だ。
高級感が漂っているのはさることながら、天井に飾られた特大シャンデリアと、昔ながらではあるものの、細部までこだわったであろう、装飾の類。
オークションハウスが現代的であるならば、こちらは近代的で、芸術的な作りになっている。
豪華絢爛という言葉が相応しい場内に、芸術に興味のない朱理すらも、少し興味を抱いている。
「お二人の反応が良くて安心しました。それでは席に移りましょうか?まもなく開演ですので」
「はい」
「うん、わかった」
***
そこからはミュランがイチオシした、魔笛を見た。
ストーリーとしては、古代エジプトの世界が舞台だ。
王子が大蛇に襲われ気を失うところから始まる物語。
そこから夜の女王配下の3人の侍女達に助けられた王子は、侍女達から女王の娘の絵姿を見せられ一目惚れする…といったストーリーだ。
女王は、ザラストロという悪人に捕らえられた娘を救い出してくれれば、娘を王子に与えると約束したことで、王子は侍女達から「魔法の笛」を受け取り、ザラストロという神殿に女王の娘を救いに向かった。
しかし実はザラストロは悪人ではなく司祭で、夜の女王こそが世界征服を企む邪悪な人間だったという話だった。
結局夜の女王は、ザラストロの神殿に侵入を試みた結果、雷に打たれ闇夜に落ちていって物語は終わる。
感想としては、大満足だ。
人生で初めて見るオペラだったから不安もあったが、とっつきにくい話なんかじゃなくてよかった。
魔笛のチョイスは絶妙だ。
夜の女王のアリアとも言われる魔笛の歌は、聞けば瞬時に「アレか!」と理解できるほどのものだったし、非現実感を味わうことができて見ていて気持ちがいい。
ドラマのようなドロドロした現実に近い物語なんかよりも、どちらかというと非現実的な方が新鮮で面白いと感じる悠馬は、満足そうにスカラ座を後にする。
「朱理、どうだった?」
1番魔笛を見ているはずなのに、感動冷めやらぬ様子のミュランを無視して朱理に話す。
朱理は指先で髪をいじりながら、悠馬の方を見る。
「こう言った演劇…歌劇を見るのは初めてでしたが、案外いいものですね」
どうやらお気に召したようだ。
朱理のことだから、目は開けているものの歌劇なんて見ていないと言うと思ったが、どうやら今回はきちんと見ていたようだ。
吸い込まれるような美しい紫色の瞳を輝かせながら話す朱理を見ていると、自分がオペラに誘ったわけでもないのに嬉しくなってしまう。
「オペラデートしたなんて言ったら、夕夏が嫉妬しちゃいそうですね」
「あはは…」
ミュランのこと忘れてるよ!と言おうとしたけど、ミュランは開演からずっと無言で劇に集中していたし、実質朱理とのデートみたいなものか。
部分的にはオペラデートだな。と考えた悠馬は、夕夏が嫉妬しそうだと言われて笑う。
確かに、グール事件で東京に行った時は、デートというデートができていなかったな。
東京で八神夫婦のところに顔を出して、静岡に移動してなずなと顔を合わせただけ。
もちろん移動過程や食事なんかはデートそのものだろうが、朱理とのオペラ鑑賞のような、きっちりとしたデートはしていないような気がする。
夕夏と朱理は従姉妹同士だから、ひょんなことから煽りあったり言い合ったりして喧嘩をする時がある。
高校生の時から、朱理がからかって夕夏が仕返しをしたりと、微笑ましい(?)関係の2人だが、多分きっと今回も、朱理はオペラデートをネタにして夕夏をからかうつもりなのだろう。
「ほどほどにな」
「もちろんです。おもちゃは壊れない程度で遊ぶのが楽しいんですよ?」
おもちゃて…
実の従姉妹をおもちゃ呼ばわりし、壊れない程度で遊ぶなどと物騒な発言をする朱理。
彼女の表情は、言葉とは裏腹に和やかな表情だ。
「さて、そろそろアルデナが帰国する時間ですね。もう少し余韻に浸っていたいところではありますが、総帥邸に戻りましょうか?」
「あ、もうそんな時間か」
魔笛が3時間近く上映されていたことから、すっかりアルデナの存在を忘れていた。
アルデナを待っていたという目的を忘れ、すっかり遊び呆けてしまっている悠馬は、息を吐いて気持ちを切り替える。
ここ最近しっかりリフレッシュできていなかったから、今日のオペラ鑑賞は本当に助かった。
気持ちを切り替えて、悪羅を名乗る人物を見つけ出さないといけないな。
夕夏は悪羅に会えと言っていたし、もしかすると本物の悪羅と遭遇するかもしれない。
そうなれば死闘は必至だろうな。
もし仮に本物の悪羅と戦わなければならない場合を考える悠馬は、気を引き締め直して車へと乗り込んだ。




