057
悪羅ではなく悠馬を名乗っていたら殺していたなどと物騒な発言をした朱理を横に、白ゲートを潜って総帥邸に辿り着く。
オーストラリア支部からの帰還後間もなく、荷物をまとめ直してイタリア支部総帥邸に降り立った悠馬は、ゲートを潜った先で待機していた銀髪の女性と目を合わせる。
「お待ちしておりました。暁悠馬さま。朱理さま」
「ミュランさん」
歓迎、とまではいかないが、事前に到着時間を伝えていたため待機していたのだろう。
教育が徹底された、きっちりとした角度のお辞儀を見せるミュランに、軽い会釈をする。
「アルデナはまだ帰国しておりませんので、代わりに私がお迎えにあがりました。ご無礼をお許しください」
「いいよ別に、そんなの気にしないから」
別に野郎に出迎えて欲しいとは思ってないし、それなら総帥秘書であるミュランに出迎えてもらった方が気持ちがいい。
そういえば総帥は飛行機で帰国だったな。
異能王の悠馬は常日頃からゲート移動が普通になっているが、各支部総帥は飛行機での移動がデフォルトだ。
おそらくミュランは世界会合終了後すぐに帰国することを選択し、アルデナは会合後オーストラリア支部に一泊することにしたのだろう。
一瞬で移動できるゲートと違い、宿泊した上飛行機のアルデナの帰国が間に合わないのは仕方のないことだ。
ミュランはそう話す悠馬と、横に立っている朱理を見て眉間に皺を寄せる。
一瞬、影が動いたような気がした。
しかし悠馬は特に反応を見せていないし、見間違いだろうか?
この場で1番の実力者である悠馬が反応しなかったことで、ミュランは影が動いたのは見間違いだろうと瞬時に判断する。
「ありがとうございます。では、アルデナの帰国まであと数時間ありますので、良ければオペラにご招待させてください」
「オペラ?」
オペラって言われたら、あのオペラだ。
演劇と音楽によって構成される舞台で、日本ではあまり馴染みのないものでもある。
総合芸術として名高いオペラだが、実は悠馬、これまでオペラを見たことがない。
セレスは見たことがあるらしいが、異能王になってからオペラを見る機会がなかった悠馬は、ミュランの招待に興味を示す。
「招待してもらっていいのか?」
「はい。事件の詳細や綿密な打ち合わせにはアルデナが必須ですので。私が勝手に進めると不貞腐れるんです」
「ああ…」
そういえばこの2人、冗談言い合って揉めてたな。
17年前の記憶を呼び起こす悠馬は、ショタが好きとか言われて怒っていたミュランを思い出す。
あの時はまだ若かったから笑い話で済んだが、もしミュランが今の歳でもショタ好きなら、完全にアウトだろう。
「それじゃあ、オペラに招待されてみようかな。朱理、いい?」
「はい、構いませんよ」
芸術にはあまり興味のない朱理だが、今日は付き合ってくれるらしい。
いや、実際彼女は悠馬が行くから付いて行くだけで、悠馬がいなければ絶対に行かないのだろうが…
そんなことを知る由もない悠馬は、朱理がニッコリと微笑んだことで、オペラ行きを決定する。
「では、車を手配しますのでお掛けになってお待ちください」
「おっけー」
「はい」
ミュランは2人から許可を得たことで、フッと息を吐くと、くるりと背を向けた。
***
ミュランが用意したリムジンに乗り込み、総帥邸を出発する。
ソフィアのベ○トレーと違って乗り心地は快適だ。
車の運転一筋でお金を稼いでいる専門の運転士と比較して申し訳ないが、直近でソフィアのスリリングな運転を経験しているため、ついつい比較してしまう。
いやぁ、ソフィアの運転は本当に怖かったなぁ。
「ミュランさん。今回はどちらの劇場へ向かわれるのですか?」
悠馬が運転士の運転に感動していると、右隣に座っていた朱理が尋ねる。
「ローマ歌劇場です。国内ではかなり有名ですが、ご存じですか?」
「……」
「ま、まぁ名前程度は」
有名なところだがご存知かと聞かれ、当然知らない朱理がダンマリを決め込んだことで、慌てて会話に割って入る。
うちの朱理さんは芸術関係に疎いんで、劇場の話とかされてもわからないんですよ。
ミュランが劇場を知らない程度で機嫌を損ねるとは思えないが、せっかく招待された身で何も知らないのは失礼にあたるだろうから、名前だけは知っていることを告げる。
するとミュランは、嬉しそうに微笑んで両の手を合わせた。
「今日はローマ歌劇場で上映される魔笛を観るんですよ。歌劇の夜の女王のアリアは、世界でも数名しか歌い手がいなくて…何よりモーツァルトが残した最後の…」
なんか勝手に解説が始まった。
恍惚とした表情で、オペラについて話し始めたミュランに、朱理は退屈そうに欠伸をしている。
正直言って彼女が何について話しているのかはわからないが、今から観るオペラが世界的にも有名なことだけはわかった。
こうなるくらいなら事前に勉強して来てた方が良かったかな?
せっかくオペラに招待していただいたのに、何も知らないという恥ずかしい状況に陥っている悠馬は、そんなことを考えながらミュランの話に耳を傾けている。
「舞台は古代エジプトの架空の世界。王子タミーノが岩山で大蛇に襲われ気を失…」
「ミュランさん、その辺でストップしてください」
朱理はミュランが興奮気味に話をする中、彼女のトークを右手で静止する。
一体どうしたんだろうか?
突然ストップさせられたミュランは、良いところだったのに…と言いたげな表情で、朱理の右手を見つめている。
「なぜ…」
「ネタバレはよくないですよ。せっかく今から歌劇を見るというのに、なんでストーリーを話そうとするんですか」
朱理はそう発する。
確かに、今から人生初オペラだというのに、内容を全てバラされてはつまらない。
オペラを見たことがないからわからないが、話を知って観に行くのと何も知らずに観に行くのとでは、ストーリーの捉え方も変わってくることだろう。
なにしろ物語っていうのは、作者の解釈と読者の解釈が異なってしまう時もある。
そういうつもりなく描いた物語でも、読者によっては不快な捉え方をしてしまう可能性もある。
当然だが、ミュランのネタバレには彼女なりの解釈が混ざっているわけで、そんなミュランの話を聞いて魔笛を観れば、ミュラン寄りの解釈になることは避けられない。
まさか朱理がそこまで考えて会話を中断させたのかは知らないが、悠馬は自分なりに物語を解釈したい派の人間だ。
別にネタバレされたからと言って憤慨なんてしないが、やはり人生初のオペラ、歌劇とあって興味もあるため、朱理の発言は助かった。
ミュランはネタバレだと言われ、あっと口を開けると、恥ずかしそうに挙げていた両拳を下ろす。
「す、すみません。私は魔笛が好きなので…ついつい興奮して語り気味になってしまいました」
「いえ。熱中できるほど好きなものがあるのは良いことじゃないですか」
良いこと言うな。
熱中できるほど好きなものがあるのは良いことだ。
それが何であろうと、人生の一部において何かに熱中できたと言うのは、どんな形でも自分自身の糧になる。
朱理は歌劇の魔笛が好きだと話すミュランにそう告げ、足を組む。
ドレスに近い真っ黒な衣装を纏った朱理のスカートがヒラヒラと動き、15センチほどのハイヒールの角が見える。
女の人って、よくこんなハイヒールを履いて平然と歩けるよな。
あんな細いヒール立つことを想像できずに、ついつい朱理の足に魅入る。
真っ白で美脚な彼女の足もさることながら、このハイヒールをスタイリッシュに履きこなしているところも美しい。
ここが2人きりの空間なら、きっと朱理の足にペロペロしていたことだろう。
一瞬そんな考えが脳裏に浮かび、その考えを振り払うために首を横に振る。
いやいや、何考えてるんだ?
まるで高校生に戻ったかのような自分の思考に驚く悠馬は、冷静にふしだらな思考を脳内から追い出そうとする。
「いつからオペラに興味持ったんだ?」
ふしだらな思考を追い出すために、ミュランに訊ねる。
ミュランが始めるであろうオペラの話に集中し、そっちに意識を割いてふしだらな思考を消し飛ばそう。
半ば強引で、それでいて打算的な悠馬は、そう考えながらミュランを見る。
するとミュランは、質問されたことが嬉しかったのか、何かを思い出すように天井を見上げ、にっこりと微笑んでみせた。
「うぅんと…正確な時期まではわかりませんが、中学生時代の学外授業だったでしょうか?」
ミュランが初めてオペラを見たのは、今から30年以上前の中学生時代。
今は遠き過去の話だが、思い返すと時の流れと、当時の感動を感じさせてくれる。
正確にいつ好きになったかなど全てのことを覚えているわけじゃないが、心に焼きついた記憶を呼び覚ます。
「初めて見たオペラは、それはそれは美しくて…透き通るような歌声と、感動的な物語に圧倒されてしまいました」
中学生時代と言われたら、割と芸術には興味のない年頃で、昼寝の時間と認識してオペラを見る人も少なくはないだろう。
最初はちゃんと見ていても、話が分からずに眠ってしまう人は少なくない。
なにしろ子供は芸術に疎い。
もちろん中には芸術が好きな人もいるだろうが、大半の子供はゲームや遊びが好きなのであって、2時間も3時間も大人しく座っておくことはできないのだ。
その点、ミュランは芸術が好きな側の人間だったのだろう。もしくはオペラの影響で芸術に目覚めたのか。
「子供の記憶ですから美化されてるのかもしれませんが、初めて見たオペラは、私に雄大さと物語の美しさ、歌の素晴らしさを感じさせてくれました」
総合芸術と呼ばれるだけあって、ミュランはオペラの美しい部分に触れ、惚れ込んだのだろう。
中学生時代からってことは30年以上オペラが好きってことだし、かなり長い間、歌劇を見て来たに違いない。
そんな彼女がイチオシだという魔笛に、自然と期待値とハードルが上がっていく。
30年オペラを見て来た彼女が最高傑作だと評する作品は、一体どれほど素晴らしいのだろうか?
「それから両親に頼み込んで、オペラを見にいくようになったのが、私がオペラに興味を持ったキッカケですかね」
「中学生時代からなんて、よっぽどお好きなんですね。その歳から芸術に触れている人は、そうそういなかったでしょう」
「まぁ差し詰め、芸術大好き美少女っていったところですかね?周りとオペラの話で盛り上がれないのは残念でしたが」
自分で〝美〟付けちゃったよこの人…
確かにミュランは美形ではあるが、いくらなんでもこの歳で〝美〟少女って言われたらキツいものがあるぞ。
「お2人は中学生時代、どのようにお過ごしで?」
何気なく訊ねたミュランの一言に、空気が凍り付く。
2人の中学生時代の話。
それは絶対に聞いてはならない、パンドラの箱と同じようなものだ。
悠馬は悪羅への復讐のために中学時代を費やし、朱理は暮人に酷い扱いを受けていた。
ミュランは自分が言葉を発した瞬間、空気が凍り付いたのを感じて違和感を覚える。
高校卒業と同時に異能王、戦乙女になった輝かしい経歴を持つ2人に、一体どんな過去があると言うのか。
周囲から見れば、悠馬と朱理は大成功者に見えることだろう。
だからこそ中学時代も恵まれた能力で何不自由ない生活を送って来たと思われがちだが、実際そんなことはない。
「……えっと悪羅への復讐のためにひたすらトレーニングを…」
悠馬は自分の都合の悪い過去をしどろもどろになりながら答える。
「あは。拉致られてひたすらレイプされてました」
朱理は爆弾発言なのに、表情は和かに答える。
「あっ…」
ミュランは思った。コレ、聞いちゃダメなやつだったと。
自分のようなごく平凡な中学生活ではなく、片や悪羅の復讐のために、片やレイプされていたという衝撃的な話に、ミュランはなんと反応すればいいのか、考える。
脳内を全力で回転させ、なるべく間が開かないように何か反応をしようとするが、残念なことに出て来た言葉は「あっ…」の一言だけ。
2人にかける言葉はない。
悲しいことに、励ましたり冗談で返したりという反応ができなかったミュランは、3人の間に広がった気まずい沈黙に、俯き加減で肩を落とす。
闇深すぎでしょ、この異能王と戦乙女!
ミュランは心の中で嘆く。
軽い気持ちで過去を深掘りしたのは申し訳なかったけど、普通こんな返事返ってくるとは思わないじゃない!?
なにしろこの2人、テレビのインタビューで中学時代のこと聞かれたら、ごく平凡な生活してましたとしか答えないんだもん!
軽い興味、自分も過去の話をしたから2人の過去も聞いてみようと思っていたミュランは、想像を遥かに超えるヘビーな内容に、頭を抱えた。
この2人と深く関わろうとするのは、もうやめよう。
そう誓ったミュランであった。




