053
ラストピースが足りない。
最後の最後、混沌を次元の狭間に押し込むだけのタイミングでその事実に気付いたエルドラは、思考を逡巡させる。
これまでの人生において回転させたことのない速さで、これで壊れてもいいと思うほどの想いで。
手段を選ぶ必要はない。
ここが正念場、ここが最終地点だと感じているエルドラは、這いつくばるようにして立ち上がり、混沌の元へ向かう。
最初から、こうなることは決まっていたのかもしれない。
崩れた世界の中で、たくさんの人々の亡骸を見て、時間遡行を誓った。
何度も失敗し、何度も敗北して、ようやくここまで辿り着いた。
万全の状態でこのラストバトルに臨んだつもりだったが、混沌を幽閉するためにはあと一手足りなかった。
エルドラは自身の両腕を見る。
まだこの身体がある。
他の異能にリソースを割く余裕はないが、身体は動かせる。
エルドラの下した決断は、混沌と一緒に次元の狭間に幽閉されること。
下手に他の異能を発動させ、あの扉を閉ざすことだけはなんとしても避けたいエルドラは、我が身一つで混沌を幽閉しようとする。
「エルドラァ!こっちに来てみろ!この扉がなくなればお前は死…」
死ぬ。
そう言いかけた混沌は、自身の胸にヒヤリとした何かを感じて、胸元を確認する。
体が徐々に冷えていく。
心臓から押し出される血が冷たい。
混沌の胸元には、7つの氷の結晶が生成されていた。
「な…は?」
「っ!?」
驚愕する混沌。目を見開くエルドラ。
互いが互いを確認する。
一瞬の視線の交錯。
そこで2人は、この氷が互いの放った異能ではないことを理解する。
「グランシャリオ」
「な…ん…」
氷の覚者は1人しかいない。
しかしその彼は憤怒に敗れ死んだはず。
エルドラはこの場に氷の覚者が現れないことを誰よりも理解している。
混沌は状況を理解できずに、自身の身体が氷漬けになっていく。
「……この時点で悪羅が干渉していたのか?」
混沌の身体を少しずつ氷が蝕んでいく中、悠馬は質問をする。
「そうですよ。本来であれば、エルドラはここで死ぬ運命だった」
エルドラが自らを犠牲にし、混沌を次元の狭間に幽閉することで、この世界は平和になる予定だった。
しかし悪羅が手を加えたことで、エルドラは生き延びることとなった。
何が目的だ?何がしたいんだ?
悪羅が最も恨んでいる人間は、ティナであると知っている。
混沌に関しては同じ時間を生きた人間じゃないから、悪羅の敵対心を煽るような存在じゃないはず。
なにしろここで悪羅が干渉すれば、いなくなるはずのエルドラが生存し、未来が変わってしまう。
エルドラが生存することで未来が変われば、悪羅の計画にも支障をきたすはずなのだ。
そんなリスクを悪羅が取るとは思えないが、目の前の悪羅はグランシャリオを放った。
そこから思考を回転させていく。
悪羅百鬼は暁悠馬だ。
リスクを取ってまで悪羅が行動をとった理由は、自分自身が1番理解できるはず。
そう考えてさまざまな可能性を浮べる。
そうして唯一の可能性に辿り着く。
「……ここで干渉することでエルドラを生かし、俺に繋いだのか」
エルドラと悠馬には関わりがある。
タルタロス最下層で繋がれていたエルドラ。
偶然の出会いでエルドラと接触した悠馬は、3度目の接触でエルドラに深淵を見せてもらうこととなった。
そこで疑問が浮かぶ。
もし、エルドラに深淵を見せてもらえていなかったら?
もし、悪羅がこの戦いに干渉せずエルドラが生きていなかったら?
美哉坂朱理は自殺していたはずだ。
暁悠馬は深淵を覗けず、混沌に敗れていた可能性が高い。
悪羅百鬼は…いや、暁悠馬は自分の知る未来を変えてしまうようなリスクは絶対に取らない。
リスクを取ったということはつまり、それ以上のリターンがあると判断したから。
そのリターンこそが、暁悠馬に深淵を見せることなのだろう。
17年越しに、深淵を覗いたことすらも仕組まれたことだったのだと知る。
仕組まれていたと知ってあまり気分は良くないが、おかげでここまで来られたのだから、恨むことはできない。
悪羅はグランシャリオを放った直後、堅牢の間に背を向けて階段を登っていく。
悠馬は悪羅の後ろ姿を見送り、エルドラと混沌の戦いへと視線を戻した。
「ぐ…!」
気づけば混沌を蝕む氷は、鎖を掴む右腕まで侵食し、混沌は苦悶の表情を浮かべている。
体はすでに凍っているし、鎖に掴まることすらままならない状況のようだ。
腕から手のひらへ、手のひらから指先へ。
そうして体を蝕んでいく氷に、混沌は耐えきれず鎖から手を離した。
一瞬の静けさ。
混沌は大きく目を見開き、立ち上がっているエルドラを凝視する。
「俺が戻ってくるまでここにいろ!お前は何もなしてない!誰からも忘れられ、俺が戻るまで惨めに生きろ」
次元の狭間に引き込まれる混沌は、最後にそう吐き捨てる。
エルドラは混沌が次元の狭間に吸い込まれ、扉が閉まるのを確認してから膝をついた。
「ああ…」
静かな決着。
派手な異能同士の激突ではなく、計算ずくでここまで辿り着いたエルドラ。
しかしまだ気を緩めてはいけない。
ここには最後に残る障壁、悪神がいる。
悪神は2人の決着を確認した後、エルドラ…勝者の元へと舞い降りる。
静かに着地し、膝をつくエルドラの前で腰を落とす。
真っ黒な髪と、真っ黒な瞳。
日本人のような顔立ちの悪神と、エルドラのエメラルドの瞳が交わる。
「おめでとう、エルドラくん。まさか貴方が生き残るなんてね」
「…納得してないって顔だな」
「最後に邪魔が入ったからね。あれは何?隠し球?」
さっきまで楽しんでいたはずの悪神の表情は、微妙そうなものになっている。
最後の最後で悪羅が干渉したことで、決着のつき方に不満を抱くのは、仕方のないことなのかもしれない。
2人の戦いを見届けるはずが、いきなり第三者が現れ決着に大きな影響を与えたのだ。
悪神からしたら気に入らないだろう。
あれはエルドラが隠していた秘密兵器なのかと尋ねた悪神。
エルドラはそんな質問に対し、首を横に振った。
「知らない。見たこともないヤツだ」
「…そう」
エルドラも知らない存在なら、仕方がない。
横槍を未然に防げなかったのは、混沌とエルドラに肩入れしすぎて、周りの状況を把握していなかった悪神自身の落ち度だ。
2人の戦いはもう少し見ていたかったけど、受け入れるしかない。
決着には納得がいかないものの、これまでの過程や最後の戦いは、満足のいくものだった。
悪神は一度ため息を吐き、気持ちを切り替える。
「それで?結局君は夜空くんの物語能力を手に入れられなかったけど、どうするつもり?」
物語能力者たちは、基本的にセカイを手に入れるために行動していると言ってもいい。
しかしエルドラは、混沌を殺せず次元の狭間に幽閉したことで、4割の物語能力を手に入れる機会を失った。
「…神のアンタに頼みがある」
悪神に尋ねられ、口を開く。
「なに?」
「もう俺の夢は叶わない。この世界の秩序は崩壊した」
「そうだね。今の貴方に、世界の秩序をどうこうできるほどの力は残っていない」
今のエルドラは、次元の狭間に混沌を幽閉するために力を割いている状態。
無論その維持にも膨大な体力が必要になるし、そんな状態で世界の異能力者を統一なんて不可能だ。
エルドラもそのことをわかっている。
差し出した手を混沌が受け入れなかった時点で、こうなることはわかっていた。
だからこそ、悪神に頼みたいことがある。
「俺の物語能力を回収してくれ」
エルドラは悪神にそう告げる。
悪神はエルドラの提案を聞いて、大きく目を開いて動きを止めた。
「できるんだろ?」
数秒の沈黙が2人の間に走る。
なぜ、何のために。
物語能力という、人類史の中でも最も優れた異能を手放すと話す彼の思考が読み取れず、一瞬戸惑いを見せる。
「その力を手放して、どうするつもり?」
「新しい物語能力者を探してくれ。俺の役目は終わった」
そう言ってエルドラは微笑む。
それはまだ見ぬ未来の物語能力者のために。
悪神は彼の微笑みを見て、両手をあげて理解ができないといったポーズを取る。
「…そう。それが君の望みなら、回収させてもらうよ、物語能力」
「ああ」
「この後はどうするの?私が物語能力を回収した場合、エルドラ君は夜空君の物語能力の力でこの場に拘束されることになる。君は抵抗する術を失い、きっと全人類の記憶から抹消される」
物語能力者同士ならば互いの身体に影響するデバフをかけることはほぼ不可能だが、物語能力を失えばその類ではない。
物語能力を失えば、タルタロスの最下層に1人取り残されることになると話す悪神に、エルドラは迷いのない表情で瞳を閉じた。
「大人しくここにいるさ。どうせ物語能力で作り変えた俺の体は、死ぬことはない」
エルドラは続ける。
「表舞台に戻ったところで、俺の記憶を保有するアメリカは敵対勢力と認識し、本格的な戦争が始まる。…ならばここで俺の存在そのものが無かったことになるのが、世界にとって1番いいことだろう?」
自分が生存していることが判明すれば、契約を反故にされたと判断したアメリカからの攻撃は避けられない。
今のエルドラに、核兵器を相手にするほどの力はない。
だからここに拘束され、物語能力も返却し、人々の記憶から忘れ去られる。
それが世界にとって1番いいやり方だ。
悪神はエルドラの満足げな表情を見て、フッと息を吐く。
「そう。私は別に、君がすることなんてどうでもいいけど」
「そう。貴女はそれでいい」
エルドラの承諾を得て、物語能力は悪神に回収される。
光り輝く球体、それを目の当たりにした悠馬とセレスは、その物語能力がこの後誰に授けられるのかを知っている。
ティナ・ムーンフォールン。
7番目の王位継承者であり、私利私欲に塗れた権力者たちに失望した彼女は、人類滅亡のために物語能力を奮った。
エルドラはまだ見ぬ未来に期待を込めて物語能力を返却したのかもしれないが、彼の望む未来は訪れない。
悪神はエルドラから物語能力を受け取ると、黒い粒子を残して消滅した。
まるで最初からいなかったように、黒の煌めきだけ残して去っていった悪神を見送ったエルドラは、深く息を吐く。
「なあキルヤ。聖魔。俺のことを覚えているなら…後のこと、任せていいか?」
1人呟く。
エルドラが呟くと同時に、リーフが動き、聖魔が現れる。
「私に任されても困りますね。私は仮にも夜空さんの眷属となった身。この世界を見守ることは可能でしょうが、夜空さんを殺すことはできませんよ」
漆黒を纏い、漆黒から現れた聖魔はそう話す。
事実だ。
混沌の眷属なのだから、混沌を殺す真似はできない。
だから自分に後のことを任されても困ると話す聖魔に、リーフは彼の肩を叩く。
「聖魔。いや、竜聖さん。後は俺に任せてください」
「…だそうですよ、エルドラさん。私は暫く眠りに付きます。少し冷静になる時間が欲しい」
聖魔は話を終えると、背を向けて消えていく。
そんな聖魔の背中を見送るエルドラとキルヤ。
「キルヤ。この先どんな困難があっても、きっとその困難を乗り越えられる人間が現れる」
「…だといいんですが。そのために物語能力を捨てたんでしょう?」
この先の未来のために、自分には物語能力が必要ないと判断したから、力を捨てた。
誰もが欲する言葉を現実にする力だが、それを手放す決断を下したエルドラに、キルヤは深々と頭を下げる。
「きっとこの先、旧世代の人間は滅びる。貴方の望んだ共存の社会は産まれない」
「そうだな。もう手を取り合うことはできない」
「だから俺なりに、この世界を作り変えて見せます…もっと生きやすい世界に。見ていてください」
そう話すリーフ。
悠馬とセレスは知っている。
この先の未来で、彼はその発言通り、この世界を生きやすい世界に作り変えた。
異能王として玉座に座ることで、この世界に平和を齎した。
たくさんの犠牲があったのだと思う。
旧世代の人間は、蹂躙されたはずだ。
残りの大罪異能の持ち主たちも、暴れ回ったはずだ。
そんな状態の世界を統一したのだから、その手腕はさすがと言えよう。
エルドラはキルヤの言葉を聞いて、満足そうな表情を浮かべた。
「ああ。この地の底から、お前の紡ぐ物語を見ているよ」
キルヤはエルドラの言葉を聞くと、背を向けて去っていく。
世界を救ったエルドラの話。
人知れず地下に取り残される勇者の話。
誰も知らない物語。
聖魔とキルヤしか知らない物語の幕切れに、悠馬とセレスは沈黙を貫いた。
そして視界は暗転した。




