005
真っ白な大理石の床を覆うように、黒を基調に金色の模様の施された絨毯が敷かれ、その上に真っ白なアンティークテイストの大型デスクがある。
そんなデスクに向き合い、真剣な表情でデータを処理している篠原…もとい暁美月は、黒縁のメガネをかけて事務作業に没頭していた。
ここは美月専用で与えられた、執務室の一室。
あまり異能を率先して使うことを好まない美月は、こうして事務作業を行うのがメインになっている。
そんな美月に気づかれることなく執務室に忍び込んでいる悠馬は、革製の2人がけのソファに横になり、優雅に寛いでいた。
今日は異能王の戴冠16周年記念パーティーが行われた次の日、つまり翌日だ。
まだお昼ということもあり、日が高い時間ではあるものの、仕事もせずに呑気に寛いでいる悠馬は、この場だけ見ると無職に近いのかもしれない。
異能王(無職)。
なぜこんなに時間に余裕がありそうなのか。
本来であれば世界各国の手に負えなくなったトラブルなんかの処理を行うのが異能王の仕事。
怪しい動きがあれば戦争になる前に処理することが仕事なわけだが、もちろん今の悠馬が仕事を放棄しているわけじゃない。
ただ単に、彼がパーティー前に仕事を処理していたのと、暁悠馬という存在が、この世界の抑止になっているだけなのだ。
悠馬が異能王に着任してからというもの、世界各国の犯罪率は年々低下の一途を辿り、現在は悠馬が着任する前の半分以下の犯罪率になっている。
そりゃそうだ。
鮮烈なデビュー戦、戴冠式で歴史上最悪の犯罪者とまで言われた、異能王殺しの悪羅百鬼と戦い、見事に討ち取った。
悠馬は世界各国が異能力者のレベル10を最高レベルに設定しているのに対し、その遥か上をいく99。
その圧倒的な異能を見せれば、誰もが自分が異能を使ったって敵わないことは理解できるし、挙句ゲートで即座に移動までできるのだから、同時にテロを起こしたって誤差があれば失敗に終わる。
加えて誤差なく同時にテロを起こしたところで、御伽話に出てくるラスボスの、混沌と同じ物語能力を持つ夕夏が戦乙女にいるし、氷の覚者のオリヴィアと闇の覚者のルクス、前イギリス支部総帥のソフィアまで控えている始末。
お偉方を狙った殺人未遂だって、よっぽどの重症でなければセレスが駆けつけて治癒で一命を取り留めるのだから、無理ゲーにもほどがある。
これだけ豪華なメンツが異能王の考え一つで動くのだから、犯罪者集団からしたら堪ったものじゃない。
前異能王エスカの戦乙女は、レベル10でも上澄の部類であるマーニーやガーネがいたが、彼女たちは広域制圧型の異能ではなく1対1に特化していたため犯罪率にさほど影響を与えていなかった。
しかし現在の戦乙女であるオリヴィアは、世界大戦時にシベリアを一撃で永久凍土に変えたほどの過去を持っている。
どこかの犯罪者が逮捕後に発言した言葉が話題になっていたが、悠馬に制圧された結果、「どう考えても敵うわけがない。やめよ、まともに働こう」と残してネットミームにされる始末だった。
それだけ現在の暁悠馬という存在の抑止力は偉大なのだ。
異能王として君臨するだけで、確かに彼がそこに居ると誰もが恐れ、罪を犯す前に踏み止まる。
各国だってそうだ。
水面下で取引を行い、結託をして他国へ侵攻していた国々も、悠馬1人が介入するだけで侵攻が失敗に終わるのだから、そもそも計画すら立てない。
悠馬の承諾を得られないのだから、侵攻したところで途中で止められ、そこにかけた軍事費や予算が全て無駄になってしまう。
しかも侵攻で得られるはずだった莫大な利益を得ることもできず、世界保安協会の名の下に莫大な賠償金を支払わされる。
1人で各国の軍事力に匹敵する…いやそれ以上の力を持っている悠馬だからこそ実現できている、穏やかな世界だ。
ティナもこれだけの力を異能王時代に持っていたのなら、あそこまで歪んでいなかったのかもしれない。
異能王になって世界の汚い部分を見てきた今なら、ティナに共感できるところも少なからずある。きっと前異能王のエスカだって、口にしないだけであの日のティナの気持ちはわかっていたはずだ。
あの時はまだ高校生だったから、彼女の思想も何もかも狂った人間の戯言だと一蹴できたが、立場が違えば考えも変わってくる。
彼女の行き着いた思想は間違っていたし、肯定するつもりもないが、今になってそんな気持ちが芽生えてくるのは、不思議なものだ。
悠馬がそんなことを考えていると、ようやくひと段落着いたのか顔を上げた美月は、誰もいないと思っていたはずの空間に悠馬がいることに気づき、ビクッと反応する。
「うわ!?ねぇなんで音もなく入ってくるの!?普通に入ってきたらいいじゃん!」
「いや、集中してるのに申し訳ないじゃん?」
音を消して、扉も開けずに異能を使って入ってきた悠馬に、至極真っ当なことを言う。
「私は集中してる間に侵入されてる方が心臓に悪くて嫌なんだけど?」
確かに。
逆の立場だったら嫌かもしれない。
自分が集中している間に、ノックもなく部屋に侵入して寛いでいる人がいる光景を想像した悠馬は、彼女の言い分ももっともだと言いたげに深く頷く。
「今度から気をつけるよ」
「うん、そうして?」
良い子のみんなはちゃんとノックしてから部屋に入ろう。
初歩的なことで怒られている悠馬は、仕事を終えてほっとひと息付いている美月を観察する。
安定に可愛いんだよな。
まるで教師を彷彿とさせるようなメガネ姿に、黒い肩出しのドレスを着ている彼女の姿は、通りすがる人が見れば見惚れてしまうほどだ。
黒のドレスが彼女の銀髪のいいアクセントになっている。
自分の嫁だというのに、慣れることもなく見惚れてしまっている悠馬は、観察されていることに気づき不思議そうに首を傾げる美月に微笑む。
「一応昨日貰ってた仕事終わったけど…確認してく?」
「お、早いな…ローゼも終わったって言ってたし、確認していくよ」
これで戀の過去に関する情報が集まった。
美月が「ちょっと待ってね」と言って作成していたデータを印刷し、手渡してくる。
残ったセレスの作成した資料を、ゲートの中に手を突っ込んで回収した悠馬は、ソファの上で上体を起こし、資料へと目を落とした。
双葉戀。神奈川県厚木市出身。
小学生時代はクラブ活動に励み、所属していた野球クラブは全国大会に出場。
それ以外は特筆事項なしの、平凡な小学生生活を過ごしている。
この辺りは特に普通だな。
どこにでもいるありふれた子供の生活、強いて言うなら野球のグラブチームで全国大会に出場していることくらいだが、異能ありきのスポーツではないから気にする必要もなさそうだ。
続いて中学生時代。
中学は地元の中学校へと進学。野球は辞め、異能に関連する動きが増え始めている。
おそらく中学へ進学したタイミングで、自身の異能の可能性に気付いたのだろう。
戀の異能である衝撃波は、少数派に分類される少し変わった異能だから、自分自身で上手く扱っていくしかない。
教え手が多い炎や氷と違い、自力であそこまで技術を身につけたのだろうから、彼の努力が想像できる。
そう思いながらページをめくり、手を止める。
中学2年時、来栖彰人と知り合う。
後に双葉戀の暴力事件に関わる、被告人。
「…」
コイツが高校で戀の彼女を殺したのだろうか?
中学2年で同じクラスになった来栖と意気投合した戀は、そこから自他共に認める親友として、残りの中学2年間を過ごす。
この時点で双葉戀のレベルは10、来栖彰人のレベルも10で、互いに異能島の受験を決意、第6異能高等学校を志望。
ここも普通。やはり問題は高校1年生か。
中学校の時に何か兆候でもあったのかとも思ったが、小学校と似たり寄ったりのごく普通の生活だ。
特記事項がないため平凡すぎる履歴書みたいになっているし、読んでいて見入るようなものでもない。
ただ中学時代に親友になった来栖が事件の引き金を引くことだけはわかった。
来栖とともに第6異能高等学校に入学。
当時の第6異能高等学校は1年生内にレベル10が3人在籍し、黄金時代と謳われる。
「レベル10が3人はすごいな」
悠馬が入学した第1異能高等学校も、1年生時は夕夏と悠馬がレベル10で黄金期だったが、入学時点でレベル10が3人も在籍しているのはパワーバランスが壊れている。
異能島に9つもある国立高校の一校にレベル10が3人も入学してきたら、在校生の力関係なんて意味をなさなくなってしまう。
第6異能高等学校に入学したレベル10は、来栖彰人、双葉戀、蓮美夏葉の3人。
夏葉と戀は同じAクラス、来栖はBクラスということもあり、2人は入学後急激に仲を深めていく。
「…代わりに成績はガタ落ちって感じか」
高校入学後から、戀の成績は著しく低下の一途を辿っている。
入学してすぐにある学力試験から、異能祭までのテストの点数は軒並み低く、常に上位者の来栖の成績と比べても天と地ほどの差がある。
そして資料の中には、夏葉と戀が知り合ったあたりから、来栖との関係性が悪化したと記載があった。
これは推測の域を出ないが、夏葉という女絡みのトラブルだろう。
異能祭前に来栖が夏葉絡みで暴力問題を起こし、結果フィナーレに選出されたのは夏葉と戀だったと記されている。
問題はそこからだ。
異能祭終了後、第6異能高等学校の後夜祭に蓮美夏葉は現れず、翌日遺体で発見。
腹部に十三箇所の刺し傷があり、死因は出血性ショック死。
防犯カメラの映像などから来栖彰人の関与が判明し、警察が動くも、来栖は半殺しの状態で発見される。
両手両足の骨折、頭蓋骨の陥没、臓器破裂。重症の状態のため緊急搬送され、その後容疑を認めたため逮捕。
病院内での事情聴取では、「俺は間違ってない」「あの女のせいで戀がおかしくなった、だから殺した」などと供述している。
学生ということも考慮され、最終懲役7年の判決を受けている。
その後、来栖彰人を半殺しにした人物も捜査されることとなり、現場に残された物証などから双葉戀の関与が判明。
恋人を殺された心神喪失状態での犯行で情状酌量の余地ありと判断され退学を免れるが、無期限の停学を言い渡される。4ヶ月の停学後に第6異能高等学校へ復学。
「なるほどな…結構派手にやってんのな」
「私たちが入学する前にこんな事件が起こってたなんて、知らなかった」
「噂程度だったもんな」
美月の呟きに答える。
これが諸先輩方が噂したら戀に殺されると言っていた事件の全容だ。
まぁ、来栖を半殺し…いやほぼ殺してるくらいだし、先輩たちが戀を恐れていた理由もわかる。
誰だって人を殺しかけた奴の逆鱗には触れたくないよな。
17年越しに事件の全容を知った悠馬は、最後に記された来栖の異能を見る。
「傀儡術…なるほどそう来たか」
グールだから死霊術なのではないかと思っていたが、傀儡術ならばグールも扱えるのか。
来栖の異能は1人で多方面を制圧できる、圧倒的な異能だ。
軍人になっていたなら重宝されていただろうが、殺人の前科持ちだから難しいだろうな。
しかしこれで全てが繋がった。
戀がなぜ暴走しまくってグール事件を追いかけているのか。その真の理由。
きっとアイツの頭の中では、グールを操るってだけで傀儡術の来栖と結びつけ、追いかけ回しているんだろう。
気持ちはわからなくもない。
学生時代の悠馬だって、闇異能の痕跡を見たら悪羅と結びつけていたし、人間の脳ってのは単純で、復讐心に囚われると自分の知識の中でしか物差しを測れなくなる。
実際、グール事件の犯人が来栖なのかどうかは未確定だが、戀の脳内ではすでに結論が出てしまっている。
きっと来栖が釈放後に更生して真っ当な人生を生きていようが、戀にとっては知ったことではなく、あの日の犯罪者のまま。
結局、被害者にとって加害者ってのはそういう認識だ。
人を殺した後に真っ当に生きていようが、いくら謝罪をしようが、頑張ったところで人殺し。
自分の身内を殺した奴に次のチャンスなんて与えないだろう。
しかも今回、1番最悪なのは戀が権力を持ってしまっていることだ。
もし仮に、来栖が何もしてなくて真っ当に生きていたのだとしても、戀は権力を使って確実に来栖を殺しに来る。
警察も桜も総動員してグール事件に当たっているのを見る限り、来栖が殺されるのは時間の問題だ。
完全に過去の復讐心を思い出し、言葉じゃ誰にも止められない状態になっている彼が止まるには、実力行使か来栖を殺すしか選択肢がない。
パーティーでぶっ殺すと発言しているのを見る限り、それは絶対だ。
やはりここは一度、日本支部に行く必要がある。
総帥が私的な理由で無関係な人間を殺したなんてなったら大事だし、日本支部がめちゃくちゃになる。
そう考え悠馬が日本支部へ行くことを決断すると、直後執務室のドアが勢いよく開き、亜麻色の髪の女性が入ってきた。
「お取り込み中ごめんね悠馬くん!双葉総帥の件が大事になってる!」