001
世界で唯一空に浮かぶ島、異能王の空中庭園。
その庭園には幾重にも保護異能が施され、上空数千メートルを浮遊しているにも関わらず、年中常に快適な温度を保っている。
世界中の花々を集め彩られた庭園と、その先にある白亜の宮殿を見れば、ここが人類史上最高峰の楽園という言葉が浮かんでくるくらいだ。
そんな庭園の中、1人ガゼボに腰掛ける黒髪の男、暁悠馬は、読んでいた本をパタリと閉じると、音もなく現れた少年へと視線を送った。
「…久しぶりだな。星屑」
悠馬に久しぶりだと言われ、少年はニンマリと笑顔を見せる。
何年ぶり…いや、何十年ぶりだろうか。
混沌を葬り目が覚めたあの日を境に、姿すら見せなくなったクリーム色の髪の少年は、気味の悪いことに17年前と全く同じ制服、同じ姿で悠馬の前に現れた。
「いやいや、本当に久しぶり。17年ぶりかぁ、随分老けたな、お前」
悠馬が変わったと言いたいのか、老けたなどと失礼なことを呟く星屑。
事実、悠馬はすでに30半ばだ。
高校を卒業し、異能王になってからそれなりの年月が経過しているし、あの時とは立場も負う責任も全く違う。
高校生の頃は好き勝手できていた異能の使用も、今ではある程度セーフティが施されている状態。
立場が人を変えるというが、まさにその通りだ。
17年という歳月を経て、角がなくなったとも言える悠馬は星屑の発言に笑いながら席を立った。
「出来ればお前とはもう会いたくなかったが。まさか本当に、あれから17年後にこうして現れるとは。危うく忘れるところだったぜ」
「学友のことを忘れかけるなんて、なんて薄情なやつだ」
「はっ、同じ学校じゃなかったろ。それで?雑談しにきたわけじゃないんだろ?」
「ああ。少し。君の覚悟を聞いておきたいと思ってね」
星屑はそう言って、フッと椅子の手前まで瞬間移動し、腰掛ける。
悠馬は突如ワープした星屑に驚くこともなく、再び椅子に腰掛けた。
向かい合う2人の間に、沈黙が広がる。
「…覚悟?」
覚悟なら前からしてるつもりだ。
高校生のあの日、混沌を屠った後、星屑が消えたあの日、暁悠馬は17年後に何が起こるのか考えた。
混沌が復活する?実はティナが生きている?それとも新たな脅威が誕生する?
様々な可能性を消去していきたどり着いた、考えられる可能性はたった一つ。
それは悪神の復活だ。
契約が終わらない結界、17年後に暁悠馬にしか手に負えない特異点が現れるということはつまり、そういうことなのだろう。
だから星屑に覚悟を聞かれたって、覚悟はできているとハッキリ答えることができる。
しかしそんな悠馬のありきたりな答えを聞くために、彼がここへ来たわけじゃないということはわかる。
一瞬の駆け引き。
ありきたりな返答をするのか、それとも星屑が話を切り出すのを待つのか。
わずか1秒にも見たない思考の駆け引きだったが、その1秒で返事をしなかった悠馬に、星屑は笑いかけた。
「終わりの始まりだよ。…君は救えなかった全ての可能性を救う必要がある」
「…どういうことだ?」
救えなかった全ての可能性?
可能性ってなんだ?救えなかったって誰のことだ?
これまでの人生において、切り捨ててきた人や救えなかった人は少なからずいる。神宮から始まり、暮人やティナ、混沌にAさん、悪羅…
数え始めればキリがないが、割と思い出せるほとんどの人間を、今更救う気にはなれない。
なにしろ彼らのほとんどは、正真正銘の悪だったからだ。
確かに、物語が違えば友達になれていたのかもしれない。
時代が違えば、同志になっていたのかもしれない。
でもそうはならなかった。
交わった結果、傷つけ合う結果に、悲惨な最期を迎えることとなった。
だから本気で、誰を救っていいのかわからない。
混乱する悠馬に対し、星屑は詳しく話すことができないのか、ニッコリと笑ったまま深く座り直す。
「よく考えて選択してくれ。君に残された時間は僅かだ」
その発言を聞いて、何かを察知したのか悠馬が目を伏せた。
「あー…そういうこと。ってことは、俺は死ぬのか」
「…ま、そうだね。結論だけ言うと、君は死ぬよ。それは確定事項だ。もう変えることは出来ない」
突如として死を告げられた悠馬。
雑談をするように死刑宣告をされた悠馬は、小さく息を吐きながら空を見上げる。
覚悟を聞かれたから何かと思ったが、死ぬ覚悟は出来てるのかっていう意味だったのか。
選択肢などではない、純粋な死について話をされた悠馬だったが、彼は混乱するわけでもなく、淡々とその単語を受け入れる。
「40歳は迎えられないかぁ…まさか俺が、寿命以外で死ぬなんて想像つかねえな」
「そうだね。レベル99でシヴァの再生持ちの君が死ねる方法なんて、ある程度想像つくよね?」
「想像はできるけど、想像したくないな。1番最悪な死に方じゃん」
レベル99でセカイにシヴァの再生持ちの悠馬が死ぬ方法なんて、限られている。
それがあまりお気に召さない死に方だったのか、心底嫌そうな表情を浮かべる悠馬は、両腕を摩るジェスチャーを見せる。
「確かに、俺もその死に方は嫌だなぁって思った」
「…なんだ?お前神だから死なないんじゃないの?もしかして殺せるのか?」
星屑の不意な発言を聞いた悠馬は、可能性について尋ねる。
これまで星屑や混沌といった神、もしくは神に等しい領域に踏み入れようとした存在と遭遇、戦闘することはあったが、考えとしては決まって神格を得る前に殺すという考えしかなかった。
しかしもし仮に、神を殺せるとしたら?
実際縁起でもない話だし、クラミツハにはあまり聞けないような内容だが、殺せるのだとしたら話は変わってくる。
星屑は悠馬の質問を聞くと、待ってましたと言わんばかりに手を叩いた。
「難しいだろうね」
「へぇ…死なないとは言わないんだ」
死ぬのか、殺せるのかという質問に対し、難しいと答えた星屑。
冗談で「まさか俺を殺すつもりか!?」なんて言い始めると思ったが、悠馬が大人になったからかすんなりと答えてくれる。
人によって多少の解釈の違いはあるだろうが、彼の口ぶりからして、殺すのは難しいだけで殺せるのは殺せるということなのだろう。
問題はその難しいが、どういう理由で難しいのかということだ。
普通に実力的な問題で難しいのか、はたまた別の問題があるのか。
悠馬は星屑の話を聞いて顎に手を当て、熟考する。
自分しかどうにもできない特異点で、自分は死ぬ。
しかし死ぬと言うことはつまり、悠馬自身でもどうにも出来ていないということになる。
相打ちに持っていけるということなのか?それとも自分が死ぬことによって何かが変わるのか?
様々な可能性を考え、謎が謎を呼び、結論が出ない。
「…まぁとりあえず、進んでみるさ。これまでもそうだったように、これからも」
結論が出ないことで悩んだって、求めている結論が見つかるとは思えない。
しばらく考えた後に、深く考えることをやめた悠馬は、そう告げて星屑に笑って見せた。
「どうやら俺も時間らしい。君のことを応援してるよ。それじゃあね」
「ああ。またな」
ひらひらと手を振り、薄い光に包まれていく星屑。
そんな彼を見送った悠馬は、1人ガゼボに取り残され、漆黒の空を見つめた。
***
真っ赤なライトが回転し、夜の新東京を奇妙に照らす。
鳴り響くサイレンは高層ビルの壁面で反響し幾重にも重なる奇妙な音へと変貌し、それを掻き消すような突風が吹き抜ける。
そんな混沌とした日本支部の首都を見下ろす人物は、高層ビルの屋上で黒髪を揺らし、片手でスマートフォンを操作していた。
〝総帥!逃げられました!〟
スマートフォンから、通話相手の悔しそうな声が聞こえてくる。
しかし総帥と呼ばれた人物は、その発言を聞いても悔しがることも怒ることもなく、淡々とスマートフォンを操作し、左腕に付けていた腕時計を確認した。
「…そうか。あとは別働隊に引き継ぐ」
〝はい?〟
紺色のスーツに身を包む黒髪の男、双葉戀は、そう告げると同時に通話終了のボタンをタップし、それと同時に彼の背後には、小柄な影が現れる。
戀は背後から微かに聞こえた足音に耳をピクッと反応させると、振り返ることもなくスマートフォンをポケットの中へと戻す。
「状況は?」
「最悪よ。下水道に逃げてる」
「そうか。お前の異能は届いてるか?」
「ええ。一応ね」
戀の背後で、臆することなく淡々と話す黒髪ショートカットの女、赤坂…いや、紅桜加奈は、私服という言葉が相応しいラフな格好でそう告げる。
加奈は戀との会話が終わると、どこかに接続されている小型の端末を手に持ち、それを口元へと近づけた。
「連太郎くん、そっちは?」
〝地下だから音が反響してて捕らえづらい!補足頼む!〟
加奈が尋ねると同時に、言葉が返ってくる。
微かな水音と、反響する声と足音を聞く加奈は、両目を閉じて連太郎の位置と追跡相手の距離を再確認する。
「わかった。…そこを右に曲がって、次の隙間を上よ」
〝おっけー!見え…って!くっせぇ!おぇぇ!〟
「ちょっと、やめてよ連太郎くん。こっちも気持ち悪くなるでしょ」
加奈の異能は千里眼。
当然だが、彼女は嗅覚までは飛ばせないが、バッチリ追跡対象が何なのかは自分の千里眼で補足している。
食屍鬼…グールやグーラと呼ばれる気持ちの悪い生物を追跡していた加奈は、連太郎の下品な嗚咽を聞いて眉間に皺を寄せた。
人はテレビや写真、動画で見たものでも、臭いを想像して気持ち悪くなる時がある。
加奈はまさに今、その状況だ。
自分は実際その場にいないが、連太郎の嗚咽を聞き、気持ちの悪い食屍鬼の汚い外見を目で補足し、気分が悪くなっている。
戀はそんな2人の一連のやりとりを聞いて、額に手を当てる。
「チッ…また失敗か」
これで何度目の失敗だ?
戀は逃亡されたことに怒りを感じているのか、先ほどの逃げられた報告の時と打って変わってフェンスをガシャンと蹴ると、加奈を睨む。
「お前らいい加減真面目にやれよ。それでも紅桜家か?働かねえ蛆虫はこの国にいらねえぞ」
「…言わせてもらうけど。逆に貴方はグールなんて捕まえて何がしたいの?たかだかグールを一体捕まえたくらいで、犯人まで繋がると思っているの?」
一触即発。
何度も失敗していてフラストレーションが溜まっているのか、語気を強める戀に対し、加奈もカウンターを仕掛ける。
実際、加奈の言う通りグールを捕まえたところで犯人に繋がるかはかなり怪しいところだ。
もちろんグールを作る異能は死霊術系と相場が決まっており、犯人はある程度推測可能だが、それ以上の進展は望めない。
何しろ死体を操っているのだ。
犯人が自分と関係のある死体を扱っているとは到底思えないし、死霊術は動物にも使えるため、犯人特定は絶望的なほど難しい。
つまり何が言いたいかと言うと、グールを捕まえたところで、犯人までは捕まえられないのだ。
証拠にもならない死体を捕まえたって、そこから犯人を捕まえることはできない。犯人からするとグールなんて使い捨ての駒と同じ扱いだ。
挙句グールを捕まえてしまうと、身の危険を感じた犯人が雲隠れする可能性だってある。
しかし戀はそう思っていないのか、目を細め加奈に詰め寄る。
「文句があるなら捕まえてから言えよ」
「貴方のせいで警察との摩擦も生じてかなり動きにくくなってるのわかってる?どうしてグールにそこまで執着してるのかは知らないけど、もうちょっと周りのことを考えて」
お互いがお互いの意見を主張する。
戀はグールという問題を早く処理するために、加奈はグールの犯人を捕まえるために。
加奈が戀の行動で警察との関係性が悪くなっていると主張すると、彼は大きく舌打ちをする。
「はいはい、落ち着いて2人とも。総帥も加奈さんも、終わったことで揉めたって仕方ないでしょ」
2人の関係が最悪になる中、屋上に綺麗に着地をした一つの影は、何度か手を叩きながら2人の元へと歩み寄る。
「雷児くん…」
枝垂桜雷児。
過去に悠馬を使い、連太郎と愛菜の結婚式をぶっ壊した彼は、どちらに加勢するわけでもなく、宥めるように落ち着いた様子で口を開く。
「ひとまず今回は人的被害なく、グールを即発見し追い詰めたわけじゃないですか。確かにグールの追跡は途中で失敗しましたが、行動範囲に下水路も視野に入ったのはいいことです。今日はこれで手打ちにしませんか」
捕まえることはできなかったが、被害はなく収穫はあった。
それで今回は十分じゃないか?と確認する雷児に対し、戀は不機嫌な様子を露わにしながら背を向けた。
「今回は、な。次は絶対に捕まえる」
「おーこわっ…」
今回は許すと遠回しに告げ去っていく戀を横目に、明らかに聞こえるであろう声量で怖いと呟く雷児。
実際、戀の様子はかなり怖いし怪しい。
グールが現れてからと言うもの、周りの意見も聞かずにグールを追いかけ回し、失敗しては当たり散らして精神的な余裕がないように見える。
「…やっぱり過去の事件からなのか?」
加奈と2人取り残された屋上の中、彼の怒りの根源に思い当たる節があるのか、雷児は1人呟く。
雷児の声は加奈の耳に入る前に、風に乗って消えていく。