9.精霊の棲む山 4 ~対峙~
光が収まり周囲が元の色を取り戻しかけた頃、ティナは誰かの腕の中で傾ぐ体を支えられていることに気づいた。
同時に頭上からボタボタと綿毛が地面に落ちていく。
「ティナ、大丈夫か!?」
「……は、い」
聞き覚えのある低い声が耳元に届く。見上げると艶やかな紺髪から覗く碧瞳がティナを不安気に見つめていた。
そこには、いるはずのない人物――クラヴィスがいた。
魔術師団の制服姿に金糸の刺繍を編み込まれた濃紺のローブを纏っている。何故か整った顔を歪め、傷ついた様な表情をしているのが気になった。もしかしたら、怒っているのかも知れない。
『おや、騎士の登場だね』
柳眉をあげた少年は軽く手を翳し、魔力で起こした鋭い風の刃を放った。が、クラヴィスは瞬く間に魔術で精緻な氷の壁を出現させる。そして鋭い目を精霊に向けた。
「精霊、この娘はそちらへは行かせない」
『騎士ではなく、魔術師か。 ……面倒だな』
『まずいー、まずいー』
鬱陶しいものを見るように眉を顰めた少年は、口角を下げた。綿毛達も彼の元に集まり、身を寄せ始める。
『おや……? でもお前は――そうか』
何か面白いものに気付いたのか、少年は微かに呟いた。綿毛がわらわらと何か話し出す。
『あ~、嘘ついてるよ~。信用したらダメー』
『その娘に謝りなよ~』
『奪ったくせに』
『傷つけた~』
まるでハミングするように言葉同士が重なり合い音と交じり流れ出す。意味の分からない内容がなんだか気味が悪いと思った。
精霊達は何のことを言っているんだろう。
《娘》とは、私のことだろうか――
戸惑い顔を上げると少年と目があった。そのまま彼は憐れみを湛えた目でティナを見、そしてついと冷たい眼差しでクラヴィスの方を見た。
クラヴィスの表情はこちらからは分からなかった。
『仕方がない。今回は――引こう。行くぞ、お前達。ではまたな、ティナ』
少年はティナを一瞥すると、跡形もなく消えてしまった。
◆ ◆ ◆
精霊達がいなくなると、あとには静寂だけが残った。陽は沈み、薄暗くなっている。
クラヴィスはそのままティナを横抱きにして立ち上がった。
「……ティナ、転移するからしっかり掴まって。あと目を閉じた方がいい」
「はい」
いつも通りの彼だと思う。けれど声が揺れているのは気のせいだろうか。
ぎゅっと制服に掴まるのを確認して、クラヴィスの転移術が起動した。
ストレイ山の登山口にティナ達が転移すると、ラドルートが小走りに駆け寄ってきた。
「おお、無事だったか。大分時間が経って、さすがの儂も心配したぞ。 だが、さすがはルドシエル君だな」
安心し息を吐くラドルートの背後には騎士達が数人おり、クラヴィスが下山するのを待っていたようだった。
どうやら、魔術で一足先に到着したクラヴィスは、騎士団が来るのを待たずにティナの捜索を始めたらしい。
養成機関の生徒が持つ身分証明カードはいつでもその位置を確認できる魔導具でもある。
それを基に索敵術式を応用した形でティナの居場所を特定し、照準を正確に合わせクラヴィスが転移したので、より短時間で救出に成功したようだ。
「では君もヴァンドール君と馬車に乗りなさい」
「いえ、彼女は精霊と遭遇し接触したため魔力が著しく不足していると思われます。 念のため安全面を考慮し私が転移術で家まで送りますので、先生は騎士団と共に――」
馬車に乗るよう促すも、クラヴィスは頭を横に振った。想定外の返事にラドルートは目を剥いた。
「そうは言っても、お主。 この娘の家を知っておるのか?」
「ええ。 ……彼女ティナ・ヴァンドールは、俺……いや、私の同居人です」
クラヴィスの言葉に先程まで怪訝そうなラドルートの顔が喜色に染まる。なんだか驚いているような嬉しそうな感じだ。
「なんと! それは、まことか!」
「ちょっ、クラヴィスさん……。ごめんなさい、先生。皆には内緒にしているんです」
突然のカミングアウトにびっくりしてティナは彼を見上げて窘めた。騎士の方々からは離れた場所にいたので聞こえなかったとは思うが。
クラヴィスは黙ったままだ。ぎゅうっとティナを抱える腕の力がさらに強くなった。なんで。
「分かった、それでは仕方ないな。行きなさい。ヴァンドール君もゆっくり休むように。また明後日な」
「今日はご迷惑お掛けして申し訳ありません。先生」
――そうして再びの転移術で、ティナは漸くクラヴィスの家にたどり着いた。
【登場人物】
・クラヴィス・ルドシエル……魔術師団副師団長、紺髪碧目、ティナと同い年