7.精霊の棲む山 2
昼食後、また茂みを掻き分け続きを開始する。
これからは自由行動となっており、その後は自分達の判断で切り上げ、好きな時間で帰って良いとされていた。
キョロキョロと辺りを見回す。
(ちょっと、ひげ先生に聞きたいことがあったのよね)
ティナが敢えて残ったのは、これが一番の理由であった。
ひげ先生こと――ラドルートは、白いひげもじゃのお爺さん(?)である。
たが彼は皆と一緒にストレイ山へ登り、その上汗ひとつかかず歩き回り、今は木の上の枝から下がる実を取ろうとしていた。
なんかすごいお爺ちゃんである。
ティナは息を殺し、背後からそっと忍び寄ってみた。
「――ヴァンドール君、どうした?」
「ぅひぃっ!」
振り向くこともないまま、ラドルートは嗄れた声で言葉を放つ。突然話しかけられたことに驚いて、ティナは蛙の潰れたような声を発した。
しかもいつの間にかラドルートは、目的の木の実を手にして、こちらを向いている。
「先生……。 カゴが一杯になったので、生物保管室に転送をお願いしても良いですか?」
「おお、そうかそうか。 沢山集めたなぁ」
ラドルートは呪文を詠唱し魔術を発動させ、瞬く間にカゴを転送してしまった。
相変わらずすごいな、と思う。
この転送というのは誰でも使えるものなのだろうか……。それにしても、Bコースの生徒は50人はいる。それだけの回数を転送させるのはきっと大変ではないか。
「あと……あの、先生。……聞きたいことがあるのですが……」
「ん? なんだね?」
非常に授業内容と大きく逸れることなので恐縮する。もじもじとティナは、両方の指を合わせて動かした。
「あの、先生は農作物をすごく研究していてお詳しいと聞いたのですけれど……」
「……ん? ああ、そう。よく知っているね」
「それで、あの、『米』という食べ物を先生はご存知ですか……?」
ラドルートはパチパチと目を瞬かせた。初めて聞いた名称なのか、首を傾げている。
「何……? コ、メ?」
そうです、うんうん、とティナは頷いた。
「うぅむ。 ……聞いたこと、ないのう」
額に人差し指をやり、ラドルートは考え込んでいる。
やっぱりダメか、とティナはガックリと肩を落とした。
「所でそれは、どんな形状だね?」
彼は興味を持ったらしい。目が輝きだしている。
「……その、草に実る粒のようなもので、薄茶なんですけど、その皮を剥くと中から白い実が出てきます。 それだけだと硬くて食べられないので、水に浸して鍋で炊きます――そうするとふかふかになって美味しくなるんです」
「ふむ。昔……東地方へ視察に行った時に、粒の白くてふかふかの食べ物を食べたことがある。 名はたしか――マゥム、と言ったか」
「! それ、先生。東地方のなんていう領地なんですか!?」
「はて、どこだったか……。 そうだ、記録をつけているので、今度わかったらヴァンドール君に教えよう。 しかし、何故君はそのような変わった食べ物を知っているのかね?」
名前の出所を聞き出したいのか、興味津々にラドルートがティナをみた。
「……なんか子供の頃、何かの書物で見たような記憶がありまして――でもそれはもう失くしてしまって無いんです」
「そうか……残念じゃな」
ラドルートは声を落として呟く。
(こんな小娘の言うこと、信じてくれてる。 善い人だなぁ、ひげ先生……)
でもごめんなさい。嘘なんです。
ティナは心の中で手を合わせた。
◆ ◆ ◆
ラドルートとマゥムの情報に関する約束を交わし、ティナはまた薬草を摘み始めた。
(でも、もうそろそろ、山を下りても良い頃なのよね……)
先程まで頭上にあった陽が、少しずつ下がってきている。周囲を見渡すと他の生徒達も山を下り始めているのが見えた。
「私も下りよう」
ティナは誰にともなく呟いた――その時。
カサッ、
と背後の茂みから音がした。
咄嗟に振り向くと、目の前をヒュッと何かが通り過ぎていく。
「え――何? 今の」
得体の知れない何かに、ごくりと唾を飲み込んだ。ティナの声が掠れる。
ぞわり、と首筋から冷たい汗が伝う。
今この時、それまで忘れかけていた《精霊》という存在を思い出したのだ。
音がした方向をじっと見つめていると、煌めく白銀の綿毛のようなモノが、ポポポッと上空に舞い上がった。
その幻想的な光景に思わず立ち竦み、視界が絡め取られる。
しかも綿毛はいつの間にか増えていて、ティナの近くに寄ってきた。一つは頭上に一つは肩口に留まり、ふよふよと浮かんでいる。
(……すごい。 雪みたいだ)
この世界ではまだ見たことのないものを呟いた、その時――
『雪なんかじゃないよ~』
――どこかから子供の声が降ってきた。




