6.精霊の棲む山 1
朝、いつもより少し早めにティナは家を出た。
今日は現地実習として、ストレイ山で薬草を摘みに行くのだ。
ストレイ山は王都の南西に位置したはずれにある。歩いていくには遠いので、マーカスと一緒に馬車に乗って行く予定となっている。
あらかじめ決めていた待ち合わせ場所でティナは待つことにする。
「おはよう、ティナお待たせ」
「うん、おはよう。今日は一緒に乗せてくれてありがとう」
「いいよいいよ。気にすんなって。それに今日はカトリーヌもいるんだし」
「おはようございます。ティナさん」
ティナの前で停まった馬車からマーカスが降りてくる。奥から彼の従姉妹のカトリーヌが顔を出した。
「おはようございます。カトリーヌさん」
お辞儀をし、ティナも挨拶を返す。
カトリーヌはティナと同じBコースの生徒で仲良くさせてもらっている娘だ。彼女はマーカスと違って末端であるが貴族である。聞けば父親が子爵の称号を持っているらしい。
貴族であるにも拘わらず彼女は優しく穏やかで品があり、庶民的感覚に理解のある女性であった。
なのでティナは彼女とすぐ打ち解けることができた。
ティナも乗り込み、カトリーヌの隣に座ると馬車は動き出した。
しばらく進み街をはずれると牧草地が見えてくる。隣でカトリーヌがゆっくりと振り向いた。
「ティナさん、折角ですから髪の毛整えましょうか」
「あっ、今朝急いでて……。ありがとうございます」
カトリーヌが鞄からブラシを取り出し、サッと髪をすいてくれる。横の髪を少し取り、編み後ろで綺麗に水色のリボンで結んでくれた。終わると手を頬に当て、ほうっと感嘆の息を漏らす。
「本当にいつ見ても、ティナさんの髪は素敵ね。羨ましいわ」
「そんなことないです。カトリーヌさんなんか、いつも綺麗に整えてらしてドレスも素晴らしいし……。女性としてとても尊敬しています」
「ふふっ、私は家がうるさいから仕方なくやってるの」
カトリーヌは養成機関のある時は流行を取り入れつつ、落ち着きと品のある物を選んで着用している――とは言え、さすがの彼女も今日は山に入るので、動きやすい服装ではあるのだが。
貴族の家に生まれた女性は、令嬢教育を施されるのが基本である。ティナは庶民なのでそういうことにはかなり疎いが、礼儀作法や貴婦人の所作を学ぶのはきっと大変なのだろうと思う。
「すごく素敵。カトリーヌさん、ありがとうございます」
カトリーヌに借りた手鏡で自分の美しく結われた髪を見せてもらった。
ティナの髪はアリシア譲りの金髪だ。これがけっこう評判が良く、誰かと会うたび褒められることが多いのだ。
(……綺麗に手入れして結えばいいんだけど、ついつい適当になっちゃうのよね)
そんなティナの姿を見て、カトリーヌはふわりと笑う。
「ここでは良いけれど……、ティナさんも想う殿方の前では美しくみせなければね。 いつ見初められるかわからないもの。普段から美しく着飾っておくことは自分のためにもなるのよ」
そうだ、とカトリーヌは両手を合わせてティナを見る。
「今度、最近流行の化粧品や香水、ドレスを教えてあげるわね」
「わぁ、本当ですか、嬉しいです。ありがとうございます!」
王都の流行はルーン領にいた時から気になっていたので、お洒落な彼女から色々教えてもらえるなんて感激だ。
「さぁ、二人とも。盛り上がってるとこ悪いけど、そろそろストレイ山に着くよ」
ティナ達のやりとりをみていたマーカスはニヤリと笑って窓の外を指差した。
◆ ◆ ◆
ティナ達がストレイ山の麓の登山口に着くと、わらわらと他の生徒達もやってきた。
担当教諭のラドルートも到着し、前日にされた説明が再度行われる。
そして先生と共に山に入り、群生している薬草の種類、効能、特徴などの講義を実際に薬草を手に取りながら学んだ。
他にも素材となるキノコや虫も教えられる。
その後、少し早めではあるが昼食休憩となった。
「けっこう疲れたな、ティナ……。わぁっ!カゴいっぱいじゃん!」
「うん。だって先生……午前中に取れた物は、養成機関の生物保管室に転送してくれるっていうからすごい頑張ったよ。 マーカスはどれくらい取れた?」
「えー、まだこれくらい」
山頂付近で生徒達は昼食を摂っている。
ティナも少し拓けた場所にある、椅子代わりになりそうな平たい石の上に腰掛けて、トマトとレタスのサンドイッチを頬張っていた。
「何これ、うまそー」
「沢山作ってきたから食べて。カトリーヌさんもどうぞ」
マーカスと一緒にやって来たカトリーヌにもティナお手製サンドイッチを勧める。
「あ……ありがとう。……やっぱり普段から体を動かしていないから……ふぅ、疲れるわ」
二人は近くの石に座り、各々水筒の飲み物を口にする。
マーカスは平気そうだが、カトリーヌは相当疲れたようだ。ハンカチで何度も大量の汗を拭いている。
「カトリーヌ……、平気か?」
「……そうね。無理しない方が良いかも知れないわね。どうしようか悩み中よ」
真剣な表情で、彼女の顔を覗き込んでいるマーカスはとても心配しているようだ。
ティナもカトリーヌは下山した方が良いのではないか、と思う。
この現地実習、無理は禁物で体調不良になった生徒は途中で下山して良いことになっている。
ストレイ山は《精霊》が多く存在する場所だ。
そのため、体調だけでなくたまに魔力を狂わせる《精霊》もいるときく――
「私も無理しない方が良いと思う。マーカス、カトリーヌさんと山を下りたら? 心配だから付いててあげて」
「……悪いな、ティナ」
「こっちは大丈夫よ。私は体は平気だし、折角だからもう少し薬草を取ってから山を下りようと思ってる」
一緒に下山するのもいいが、まだ残っていたい気持ちは本当だった。帰りは途中で馬車を拾う、と言うとマーカスは安心してくれた。
ティナは鞄からごそごそと小袋を取り出した。
「あとこれ、二人にあげるわ。下りながら食べてね」
「なんだこれ、丸い」
「手作りの蜂蜜レモン飴よ。あげようと思って作ってきたの」
「それとカトリーヌさんには、これ。今ちょっと飲んでって」
水筒の中身を小さなコップに注ぎ、カトリーヌに手渡した。受け取った彼女はその液体を飲むと目を瞬かせた。
「なあに、これ。すごく美味しいわ!」
「でしょ。気分がスッキリすると思う」
この飲み物は水と砂糖、塩、レモンを混ぜた所謂手作りの経口補水液である。
脱水症状にはこれが一番効く。
「二人共、気をつけて帰ってね」
「うん。また明後日な。ティナも気をつけて帰るんだぞ」
「ティナさん、本当にごめんなさいね」
二人はティナに見送られ、下山していった。
【登場人物】
・カトリーヌ……子爵令嬢、ティナの同級生




