54.犬猿の仲の二人とマゥムのお酒
今日はリオンが家に来る日だ。ティナは早起きし、ウキウキしながら台所で動き回っていた。それはもちろん焼菓子を作るためである。
「ふんふん、そろそろ焼けたかなー」
鼻歌まで出てしまった。とにかく彼が持ってくる物が楽しみで仕方ない。
今日はナッツ入りクッキーとアップルパイ、そしてさらに他にも用意している。
「今日は何だかとてもご機嫌だね、ティナ」
「ラヴィ、おはよう」
「……おはよう」
いつの間にか背後に、眉を寄せたクラヴィスが立っていた。にっこり笑顔で返事をすると、むすっと仏頂面のままだ。
リオンが来る日を教えてほしいと言われたので伝えたのだが、偶然にも彼もお休みで今に至る感じだ。
「ちょうど王都の教会に用事があるから、そのついでにこっちに寄るらしいの」
「ふぅん、彼は教会関係者なのか? この間も聖職者の服を来ていたし」
「んー、亡くなったお養父様が聖職者で、その代理で行っているみたいだけれど……よくわからないの」
クラヴィスの問いかけにティナはううむ、と呻いた。よくよく考えてみれば、自分はリオンの事を何も知らないのだ。国家魔術師の資格持ちで、薬師の勉強をしていて、伯爵家の養子で。
わかっている事と言えばそれだけだ。
遼のことなら分かるのに。ふと思い、眉を下げた。
リオンに渡すお土産の準備が整い、ティナ達が紅茶を飲んで休憩していると、門前から馬の蹄の音が微かに聞こえた。
「私、ちょっと外を見てくるわね」
「俺も行こう」
ソファーからおもむろに立ち上がって玄関へ向かうと、何故かクラヴィスも自分の後ろから付いてくる。そんな彼の姿がおかしくてティナは心の中で苦笑した。
(ラヴィはホントに心配性なんだから……)
玄関の扉を開けると、ちょうどリオンが門から歩いてくる所だった。ティナは彼に駆け寄る。
「いらっしゃい、リオン。お休みなのに早くからごめんなさい」
「やぁ、ティナ。今日はこれから用事があるから、ちょうど良かったんだ、気にするな。……あれ、その人」
「ここは俺の家だ。彼女はずっと前からここで同居している」
「……ああ、そう。今日はどうもすみません」
リオンは彼の姿を見た途端、虚を突かれた様な顔をした。が、すぐにニコリと微笑む。どこか威圧的な空気を漂わせるクラヴィスと、感情の読めない笑みを浮かべるリオンが向かい合う。
そうして何だか二人の間を取り巻く空気が一気に重苦しいものへと変化した。
「あっ、あのちょっと私、リオンに渡したいものがあるから取ってくるわね!」
超特急でティナはその場から離れた。とにかく長いこと二人を合わせておくのはマズイと判断したのだ。
早くリオンにお土産渡して帰ってもらおう。
ティナの中で今日クラヴィスは仕事があり、居ないものと思い込んでいた。だから彼に家の場所と特徴を教えただけで、クラヴィスと同居していることは伝えていなかった。
(はぁ、後で絶対リオンに何か言われるかも)
「はい、これナッツ入りクッキーとアップルパイ、あとこれは……試作品なんだけど帰ったら食べてみて。ちゃんと味見はしてるからね」
「ん? 何か軽いな」
試作品と言われた紙袋だけ、揺らすとカサカサと音がする。ティナは口角をあげた。
「うん。ポテチ作ってみました」
「えっ、本当か。すごいな」
感心したようにリオンが声をあげた。そうして彼は馬車に荷物を積み込んだ後、瓶を五本持ってきた。
ティナはパアッと顔を明るくさせる。
「ありがとう、リオン。すごく楽しみにしていたの」
「飲んだら、また感想聞かせてくれ。じゃあ僕はそろそろ行くね」
そうして彼は馬車に乗り込み、去っていった。
隣に佇むクラヴィスに抱えている瓶を見せる。彼は不思議そうな顔を向けた。というのも中身は透明の液体なのだ。
思わず笑みが溢れる。
「リオンに貰ったこれは、夕食の時に飲んでみましょう」
「所でそれは何の飲み物なんだ?」
「ふふっ、これはお酒です。マゥムという食物から醸成した物なの。 今の所、彼の家でしか造っていない市場にもまだ流通していない稀少な一品です」
「……酒か」
どこか納得したような声音だ。
そして、と彼を見上げた。彼の碧目がこちらを見下ろす。何、と目で訴えてきた。
「ラヴィ、リオンと喧嘩したらダメよ」
「してない。……今日は我慢した」
「もう、我慢してもあんな険悪な感じになっちゃうのね」
犬猿の仲とはこの事を言うのだろうか。でも二人共、頭が良いし魔法も使えるし、どこか似通っている部分がある。
仲良くなれそうだと思うのは気のせいかな。
その後、パタパタと片付けをしたり勉強したりしていて、あっという間に夕刻になった。今夜は少し早めの夕食だ。
本当はお刺身が良かったが、生は宜しくないとされているので、火を通す。
白身魚と野菜を味付けして蒸した料理だ。それにスープや果物、少しだけ照り焼きのお肉も出す。
そして今日頂いたとっておきのお酒も――
口に合うか否か、好みもあるので始めは少量、冷酒で飲んでみる。
ティナの顔が固まった。そして口元が綻ぶ。
うま。
これは美味しい。
向かいに座るクラヴィスにも感想を聞いてみる。手にしたグラスの中身を興味深そうにじぃっと見て、彼が一口飲む。
「どう? ラヴィの口に合いそう?」
「美味しい。飲みやすい。スッとする」
「うん、そうなの。気をつけないと結構進んじゃうのよね」
そうして食器の片付けも終わり、明日も早いのでティナは早々に部屋へと戻った。
で、リオンのお酒も持ってきた。一本だけ。
目的はほんの少し飲むためだが、その前にやりたい事があった。
ティナは机上に置いてある杖を手にする。自身に施した封印を解き魔力を発動させる。その杖は瞬く間に、光輝く剣へと変化した。
この剣は不思議なことに酒が好きだ。好むというべきか。
別に酒がなければないで特に問題ないが、前世いた国にあった酒に近いものだ。きっとこれも悦ぶのではないか、と思ったのだ。
少しかけてやろうと瓶を手にした所で、ふとその手が止まる。
(ああ、そうだったわ。あちらの言葉を――)
ティナは瓶を手にし祝詞をあげた。神域ではないので気休めかも知れないが、それはおそらく神酒に近いモノになるだろう。
そうして神酒を剣にかけてやる。垂れた酒は床に落ちる前にキラキラと反射し消えていく。
ああ、この剣は悦んでいる。高揚しているのだ。
ティナはそのさまを見つめ、誰にともなく微笑んだ。




