31.リオンの屋敷への訪問とカトル村の謎
あの観劇に行ってから数日が経った。
今日はティナは休日。クラヴィスは当直勤務である。あれ以来二人とも普段通りに接しているが、たまに会話が途切れたりギクシャクした空気になることもある。
話し合いは今度のクラヴィスの休日にすることになっている。
「行ってらっしゃい、クラヴィスさん」
「うん」
心なしか元気のないクラヴィスを見送った後、ティナもまた用事があるので支度をして外へ出る。
今日は以前リオンと約束した、マゥムについて教えてもらう日なのだ。乗り合い馬車に乗り込み、ティナはリオンの屋敷に向かった。
王都にあるリオンの屋敷はとても大きい。敷地内には小さい別邸もあるそうだ。門前にたどり着くと年配の執事がティナを中の客間へと案内してくれた。
ソファーに座って待っていると、すぐにリオンがやってきた。
「やぁ、ティナよく来たね」
「今日はよろしくお願いします、リオン。でも貴方のお屋敷とても広いのね、驚いたわ」
「それ程でもないよ。ハルシフォム伯爵家の屋敷の方がもっと広い。いつか見せてあげる」
王都のこの屋敷はタウンハウスらしく、東部にある邸宅が本来の家らしい。
その事に驚いているとリオンが苦笑する。
「君の所のデュヴァリエ侯爵邸の方がすごいと思うよ。あれは桁違いの規模だろう」
「デュヴァリエ侯爵が私のお祖父様だって、よく知ってるわねリオン。 でも私の両親は爵位なんか持ってないから関係ないわ」
「そうかな、関係なくは無いと思うよ? まぁいいか、とりあえず少し外に出ようか。君に面白い物見せてあげる」
「……面白い物?」
そう言うとリオンは手を差し出した。掴まれといっているのだろう。ティナはおずおずと彼の手に触れた。
彼の案内で敷地内の庭園に向かう。進んでいくと向こう側にガラス張りの建物が見えてきた。その周りには小さな畑、田園がある。
「ここは?」
「ちょっと入ってみようか」
眼を見開き驚いているティナにリオンが微笑む。
ガラス張りの建物に入ると沢山の植物が植えられていた。そしてとても暖かい。これは温室だ。
ティナは天井を見上げた。陽射しがとても入ってくる。
「ここ、温室よね? 遼ちゃんこんなの造ったの?」
――こんな物、まだこの世界で見たことない。
「うん。だって温室があると作物の改良や苗床の栽培にとても便利なんだ。季節関係ないしね」
「この暖かさはどこから出してるの?」
「地熱と魔導具を併用している。地熱だけで出来れば良いんだけど、まだ力が弱いんだよ」
地熱、……地熱かぁ。
「遼ちゃん、この辺りに火山とかあるの?」
「うん、かなり遠いけれどあるよ。この熱はその近くのホットスポットから引っ張ってきた。 何でもこの地は千年以上前はかなり火山活動が活発だったらしい」
「……ということは、あれはあるのですか?」
リオンはキョトンとしている。何を云いたいのかこの娘、と思っている風だ。
「温泉! 地熱と言えば温泉――あるの?」
目を輝かせてズイッと近づくと、彼は勢いに押されたじろいだ。
「あるよ、一応。小さいけど」
「この敷地に?」
「まぁね」
「ちょっとだけ……入ってもいいですか?」
多分入れないと思う、と困った様に笑ってリオンは温泉の涌き出る場所へと連れていってくれた。
先程の温室のあった所からさらに奥へと入っていく。赤茶の岩が幾つもあるそこに、コポポと湯が沸いている。
「源泉だ、かなり熱いから火傷するぞ。触らない方がいい」
「……なんで? 水と混ぜて温泉作れば良いのに、勿体ない」
「君ね、こんな所に温泉造っても入る奴がいないだろうに」
「いるいる」
振り向きティナは自分自身を指差した。リオンの顔がひきつる。
「とにかくダメだ。……まぁ気が向いたら時間のある時に造ってやるけど。今結構忙しいんだよ。それはそうとマゥム、ちょうど今美味しく炊けてる頃だぞ」
「そうだマゥム! やっぱり米と同じ様に炊くものなの?」
二人で屋敷へと戻りながらマゥムのことを教えてもらう。
前にリオンに伝えたラドルートの話は本当のことで、驚くべきことに彼がカトル村の聖職者の養い子だそうだ。
彼は赤子の時にカトル村の前に捨てられていたらしい。その時村の教会で働いていた聖職者の男が養い育ててくれた。
老人だらけで働き手が居なく、この村は貧しかった。幼い頃から前世の記憶があったリオンはその知識を用い村を豊かにしていった。
そうしている内に聖職者も亡くなり、そんな時にラドルートが来た。あまり目立たない様にしてきたつもりだったが、ラドルートはこの村の異常さに気づいた。
そんな感じがした、とリオンは眉を潜めて言う。
「潮時だったと思う。丁度僕も亡くなった養父に、このハルシフォム伯爵家の養子にならないかと打診されていた矢先だったし」
「亡くなったお養父様は、伯爵家と何か関わりがあったの?」
「ああ、養父はこの家の末息子だったそうだ。聖職者になりたくて家を出奔したらしい。 死ぬ直前まで女神を崇めていた。変わった人だったよ」
リオンはそれを懐かしむ様に目を細めて笑った。
この世界では女神信仰が主流で食事の前の祈りや祝祭日等、大抵女神関連の名前や逸話にちなんだ行事が多い。
この敷地にも幾つか女神像が置かれている。建造物にも関わっているのだ。
屋敷へ入るとリオンは自室に案内してくれた。室内にある丸テーブルの上には、皿に乗せられた白い物体が見える。
ティナは近づき目を輝かせた。
「これってマゥム? 本当にご飯みたいね!」
「ほら、食べてみなよ」
リオンがティナに小皿とスプーンをくれる。早速よそって口へ運ぶ。フワッとしていて美味しい。
「食感もご飯そっくり。柔らかいし美味しいわ」
「そう良かった。ティナ、これがマゥムの実だ」
リオンは稲穂の様な草を差し出してきた。これじゃまるで米そのものじゃないか。ティナは驚いて口を開けた。
「こんな食物どこにあったの? 私も探したけど無かったのに」
「これは東部のさらに東、海を越えた地から流入してきた食物だ。 ただ、やっぱり僕達の世界の物と違って粒が細長いし固い。 調理法は工夫しないといけない」
この食物は国内ではほとんど流通していない。これは備蓄も出来るので小麦同様、有事の際にも役立つ物だ。
今後はこれを広めていこうと思っている、とリオンは言った。
ただその為にはまだ改良が必要でとりあえずハルシフォム家で管理することになったという。
「東部にあるハルシフォム伯爵家の領地に広大なマゥムの田園を造った。 カトル村の皆にもそこを手伝ってもらっているんだ」
「村の人達ね」
「ああ、彼等には申し訳ないけれど住み替えてもらった。 伯爵家の現当主も許可してくれたしね」
ティナは頷く。
これで謎が解けた。カトル村の人達はハルシフォム伯爵家の領地に引っ越したのだ。廃村にはなったが、あのままいれば彼等はまた貧しい暮らしを強いられていただろう。
(ちょっと遼ちゃん見直したわ――)
ティナはニコニコと笑い、隣に座っているリオンの頭を撫でた。慌てて彼はその手を振りほどく。
「ちょっ、やめろよ。子供じゃないんだから!」
「だって遼ちゃんすごい良いことしてる。頑張ってるねって思って」
「…………」
リオンは頬を染めて、目を剃らす。
「……別に。だってあの村だとマゥムを作り続ける事は難しいと思ったんだ。 伯爵家の後ろ楯があれば多少変わった作物も受け入れてくれるし、製法を不条理に奪われる事も無くなる」
だからだよ、と彼はぶつぶつと呟いている。照れている完全に。
そんな様子が可笑しくてティナは彼をみて笑った。




