20.クラヴィスさんとの休日とご褒美は一回まで、です
夕食後、今夜もティナは試験勉強をしている。隣には何故かクラヴィスもいる。
というか居間のソファーに座り教本を広げていたら、彼も読みかけの本を持ってきて隣に腰を下ろしてきたのだ。
「邪魔はしないからここにいても良い? 静かにするから」
「はい。良いですよ」
にっこり笑って許可はした。
とは言ったものの、やはり気が散るものである。クラヴィスがどんな本を読んでいるのか、とても気になるし。
こんなイケメンが読みたがる本て、どんなものだろう。うずうずと興味が湧いてきた。
「どんな本を読んでいるんですか?」
チラリと横から盗み見る。本に手を添えた長い指が美しすぎて見惚れてしまった。一拍置いて顔を上げた碧目がこちらをみる。
「推理小説」
「そうですか」
勉強中だからあまり話さない様にしてくれているのだと思う。少しの沈黙が訪れ、再び教本に目を落とし続きを開始した。
それからまた少しの時間が経ってティナはクラヴィスに訊ねる。
「何か飲みますか?」
「ん、ああ……ティナは?」
「私は紅茶を飲もうと思います」
明日はお休みだし、夜だけどカフェイン摂っても問題ないだろう。この世界はルイボスティーがないのがとても辛い。
「俺は……果実酒を貰おうかな」
おつまみは要らない、とのことなのでグラスに果実酒を注ぎテーブルに置いた。ティナはレモンティである。
「ありがとう」
クラヴィスは果実酒を一口飲む。飲み方すら上品で、洗練された空気を醸し出している。何かのドラマの一幕のようだ。
(……うう、この人、格好良すぎ)
「は、ティナも飲みたいの? 味見してみる?」
「えっ、いや……私は――」
「ほら、一口。少しだけ」
こちらの視線に気づいたのか、茶目っ気を出した顔でティナの反応に笑っている。遠慮したのにグラスを近づけてきたので、離れようとソファーの端に寄った。
「私は来月飲むと決めているので今日は飲みません!」
「残念。どうして二十歳に拘るの? この国ではもう飲酒出来るだろう?」
「……そうですけど。とにかく私がそうしたいから良いんです」
上手い言い訳が思い付かなくなって、唇を尖らせる。そんな子供の様な仕草に、彼は目元を和らげた。
「誕生日の日に……だったね。 俺もその日、一緒に君と飲んでいい?」
「え……?」
驚きに目を見張る。ティナはその日一日ルーン領のお祖父様の御屋敷でお茶会、夜は実家に泊まることになっている。朝からここを発つのもあって結構忙しいスケジュールになりそうなのだ。
(多分、空いてる時間はほとんど無いと思うなぁ……)
その事を伝えると、彼は分かっていると頷いている。
それに実家の両親とお酒を飲みたいのは本当だ。だとすればクラヴィスを家に招待しなければならない。
となれば両親にどう云えば――って誤解されちゃうでしょう!?
「それはダメです。家にクラヴィスさん来たら絶対家族に誤解されます。 友達っていう訳にも行かないし――」
「別に構わないよ誤解されても。 それに俺は君のお母様から君の事を頼まれている家主だし、事前に連絡しておけば大丈夫だと思うけど?」
クラヴィスは首を傾けて悪びれもなくにっこり笑った。
「どうして急に……。次の日じゃダメですか?」
「初めての特別な日なんだろう? 俺も一緒に祝いたいんだ。……そんなに嫌?」
「強引。クラヴィスさん、今、とても悪い顔してます。 お母さんにあとで色々聞かれるのは私なんですよ。 絶対、誤解させないようにしてくださいね!」
ティナは頬を膨らませた。
だってそんな、婚約もしていない。ましてや好きとか告白もされていない。そんな独身の男の人を家に呼ぶなんて絶対おかしい。
あまりのクラヴィスの強引さに途方にくれてしまった。きっとこの間の件を根に持ってる、絶対。
ああ、もう……。
そこから先は勉強どころじゃなくなってしまった――
◆ ◆ ◆
翌日。
今日はお休みで、ゆっくりのんびりできる日である。
だがティナはベッドから起きるや否や机に向かい手紙を書いていた。書き終えると封をする。
「シア、お願いがあるの」
『なぁに、ティナ?』
「この手紙を糸目先輩に届けてほしいの。帰ったら焼菓子を用意して待ってるわ」
『ティナのお菓子! やったね! じゃあ、行ってくる!』
精霊シアにリオンに手紙を届けるようお願いする。
この前、目の前で居なくなって驚いたに違いない。その時の謝罪とマゥムについての話を試験後いつするかの内容だ。
シアは手紙を受け取ると、白銀の光となり瞬く間に空を駆けていった。青空に走る光の軌跡を眺め、ティナはふぅと深呼吸する。
今日はクラヴィスも休みなのでダンスの練習もお願いしよう。
(でもその前に焼菓子の下ごしらえだけしておこうかな)
ナッツ入りのクッキーを作りたい。帰ってきたらシアもきっと喜ぶだろう。
一階の台所に向かうとクラヴィスがすでに居間にいた。
「クラヴィスさん、おはようございます。早いですね」
「おはよう、ティナ」
台所に立って作業を始めると彼が興味津々でやってきた。
「何を作っているの?」
「クッキーです。ナッツ入りで。これは下ごしらえなんですけど……あっ、クラヴィスさん朝食用意しますね。 その後またダンスの練習お願いできますか?」
「うん、いいよ」
「ありがとうございます」
結局クラヴィスも焼菓子作りをやってみたいと言い出し、手伝ってくれた。
朝食も終え一息ついた後、クラヴィスがティナの手をとる。音楽がないのは仕方ないと思っていたのだけれど、なんとピアノが居間の片隅に置かれていた。
「音がないとやっぱり覚えづらいからね」
「わぁ、すごい。朝早かったのって、このためですか?」
「うん。調律がまだだから微妙なんだけど、無いよりはましだろう」
はにかみながら彼はそう云うとピアノに魔法をかける。鍵盤が命を得たようにすいと動き、ワルツが緩やかに流れ出した。
すごい。クラヴィスの魔法はいつだって繊細で美しい。
「さぁ、音に合わせて動いてみようか。……うん、ちゃんとこの間の覚えてるね」
「クラヴィスさんの足……、踏まないように気をつけます」
彼はふっと微笑み、鼻先近くまで顔を寄せてきた。端整な顔立ちにティナの頬が染まる。
「気にしなくて良いよ。 それよりお茶会が無事に終わったら、ご褒美が欲しいな」
「……ご褒美、ですか?」
「うん、こんな風に――」
クラヴィスがティナの額にチュッと軽く口づけた。不意打ちの様な動きにカッと顔が真っ赤になる。動揺して危うく足を踏みそうになった。
「クラヴィスさん! ……今の、何やってっ……」
「ふふっ、これくらい良いだろう? ご褒美は君から欲しいんだ。今みたいなやつ」
茶化しているような声とは裏腹に、彼はとても切なそうな表情でティナを熱っぽく見つめている。
心臓がトクンと高鳴った。
これくらいは許されるだろうか。
「……クラヴィスさん」
「ん、何? ……えっ、あ!?」
飛びつく様に首に手を回すと、彼の体が傾ぎそうになった。
思っていた位置からずれてしまったけれど、どうにか首筋に唇が届いたようだ。
クラヴィスが目を見開く。
「…………っ!」
彼の顔は真っ赤だ。何をされたのか分かったのだろう。片手で顔を覆っている。
「さっきの、お返しです。 ご褒美もう渡しちゃいますね」
「あー、もう……っ」
不意打ち返しだ。
その後クラヴィスが「もう一回」といってきたけれど、ティナは笑って「ご褒美は一回だけです」と答えておいた。




