19.図書館での試験勉強とラドルートの話
図書館で頭を付き合わせて私、マーカス、カトリーヌさんの三人は只今試験勉強の真っ最中である。
薬学試験は六月の第三週内二日間と四週内一日に分けて行われる。筆記試験、実技試験が一週毎にあるのだ。
そしてそれはABコース同時に行われる。
試験の日まで私達は授業後一時間ほど残り、勉強しようと決めた。
最近の図書館はとても混んでいる。試験前とあって、他の生徒も勉強しているのだろう。それでもどうにか三人座れる席があったのは幸いだった。
と、そこへラドルート先生が現れた。誰かを探しているのだろう。キョロキョロと辺りを見渡している。そしてすぐにティナと目が合うと、こちらへ向かって歩いてきた。
「先生、どうしましたか?」
「勉強中すまんな。ヴァンドール君、ちょっといいかな?」
何か話があるらしい。
マーカス達に少しの間席を外すことを伝え、先生の後ろをついていく。
図書館を出た回廊の隅で先生は立ち止まる。そして声を落としてティナの耳に囁いた。
「……実はな、あの時話したマゥムの件だが――」
先生の話によるとマゥムのあったカトル村という所は十年以上も前に廃村になってしまったらしい。さらに村人達も行方知れず、マゥムの種や農作畑の痕跡すらも分からないとのことだった。
(米があるのかもと期待していたけれど、村の人達もいなくなって誰も分からないなんて――ショック過ぎる)
ティナは打ちひしがれ、肩を落とした。
「……そうなんですか、すごく残念です。マゥム、食べてみたかった」
「ヴァンドール君、期待させてすまなかったな」
「いいえ、先生。 こちらこそお時間忙しい中、調べてくださりありがとうございました」
ティナはラドルートに礼を言った。結果はどうあれ、わざわざ調べてくれたのだ。それだけでもありがたい。
うむ、と頷いたラドルートは試験頑張りなさい、と言って去っていった。
その時、後ろから低い声がした。
「ティナ、君も図書館で勉強か?」
「ハルシフォムさん」
振り向くと小脇に分厚い本を抱えている糸目先輩がいた。彼もきっと図書館で勉強するのだろう。
「なんだか、浮かない顔だな。どうしたんだ?」
「うっ、先輩。 ……お米が食べたいぃ~」
「ああ……、おにぎり食いたいな」
「ですよね! でも無いって。せっかくもう少しでお米が手に入るかも知れなかったのに。……挫けそう」
思わず目を潤ませて弱音を吐いてしまった。糸目先輩はそんなティナの姿をみて、首を捻った。
「うーん、米か……。 それに近いものなら知ってるが」
「えっ、あるんですか!?」
「ああ。マゥムというんだが一応あるぞ。 まだ改良は必要だが」
「それは……、さっき先生無いって言ってて――」
うん?と彼は目を瞬いた。
ティナは先程のラドルートとのやりとりを話した。マゥムのこと、カトル村のこと、そして廃村になっていたことも。
その間、糸目の表情が曇っていく。話を聞き終えると嘆息し、髪をかきあげた。
「……参ったな。やっぱり撤去して正解だったか――」
「どういうこと? 先輩、何か知ってるの?」
「ここでは深い話は出来ないが、そうだな試験が終わったら教えてやる。……あんまりそんな顔するな。大丈夫だから」
「本当に!?」
ティナは糸目に飛びついた――
と、それはすぐに背後から伸びた腕で、体ごと引き寄せられ防がれる。
「……近すぎる」
不機嫌そうに顔を歪めたクラヴィスがそこにいた。
「あ、ルドシ……」
「クラヴィスでいい。ティナ、今貴女は淑女教育を学ぶと言っていなかった? みだりに男に近づいて良いと習ったの? 誰が見てるとも分からないのに……人には誤解されたくないと言っておいて、その男はいいんだ?」
「ちがっ」
何が違うの、と責めるような拗ねたような声。
一気に捲し立てられて、言葉が出てこない。
すごく怒っている。
クラヴィスの目は暗い熱が籠っている。ティナはその目を逸らせず、息を呑んだ。
「おい、彼女が困っ――」
「今、俺はこの人と話をしている。邪魔をするな」
もっと静かな所へ、とクラヴィスは瞬く間に転移の魔法をかけた。
驚くリオンが視界に入ってそのまま、ティナとクラヴィスの姿はかき消えた。
浮遊感が収まり目を開けるとクラヴィスの家の中にいた。彼の魔法で転移したのだ。
側にはクラヴィスがいる。でもいつもの彼らしくない雰囲気が漂っている。
「……もうあいつに近づかないで」
「クラヴィスさん、この前も言ったじゃないですか、あの人は先――」
「約束してほしい」
「それは……、できません」
いくらクラヴィスの頼みでも聞けなかった。口約束と言えども適当に答えるのも嫌だった。強い気持ちで彼の碧目を見つめた。
――多分、今の私は瑠夏の性が勝っている。
ティナの強い眼差しに、一瞬彼は気圧された様に怯む。
「いくらクラヴィスさんのお願いでも駄目なものは駄目です。 それにあなたが怒っているのは私に対してでしょう? 私が不用意に男の人に近づいたから、ですよね」
「…………」
「気をつけます。あんな風に飛びつこうとしたりして、女性として良くない行いでした」
「違う、俺が悪いんだ。 あの男は君を連れて行ってしまう気がして……とても怖くなって」
クラヴィスは片手で顔を覆い、壁に寄りかかった。何かとても不安に駆られているようだ。
彼の頬に手を添える。
「大丈夫。私はどこにも行きませんよ。 今、ここにいるじゃないですか」
「本当に……?」
「はい。今日のクラヴィスさんは、らしくないですね。 あとちょっと、ヤキモチ焼いたんですかね? ……ふふっ」
「…………ごめん」
その後、クラヴィスさんに転移してもらって置きっぱなしの教本を取りに行ったり、マーカス達に謝ったりと忙しかった。
私が遼に連れていかれるなんて、そんなこときっとない筈なのに、クラヴィスさんは遼と私が一緒にいると途端に乱れてしまう。
もしかして彼は、私達のこと《異界の魂》という存在を無意識に感じとっているのかも知れない――
【登場人物】
・ラドルート……薬師養成機関の先生、農作物研究の第一人者、マゥムを知る人




