155.逃れてきたパトリックとソルソフィアの歓喜
乱暴にもノックもせず控室に入ってきたメルディアスに対し露骨にソルソフィアは不快な顔を露にした。
「うわぁ、いたのか、 参ったな」
始めこそ衝撃を受けたメルディアスだが、すぐに彼も嫌悪感を隠すことなく面に出した。
「賢者、なぜ貴女がここにいる? 今日は式典に出席しているはずでは?」
また公務をサボって土でも掘っているのかと疑いと軽蔑の眼差しを受け、当の賢者はピクッと顔をひきつらせた。
「言っておくけど国賓対応はガルシア殿が自らやるとかって出たんだよ。ジャブィード国にいる女神教信徒の教会を造営させてほしいと交渉する気なんだ」
「……」
その件はガルシア本人からも聞いているのだろう。メルディアスはそうですかと意外にもすぐ静かになった。
王が代替わりしたばかりの南東にあるジャブィード国はここ数年で力をつけ始めた国だ。即位した若き王はあまり物事にとらわれず先進的な技術や精神性を積極的に導入する事を奨励していた。
独自の国教をもち、さほど女神を崇めていないのだが近年外国から技術者達を頻繁に招く事で次第に彼らの心の拠り所となる場所が必要になってきた。
その流れで大司祭ガルシアはジャブィード国に新たな大聖堂造営を目論んでいるというわけだ。
本来ならソルソフィアも国唯一の賢者として式典に参列し、ジャブィード国王にぜひとも会ってみたかったが今回はガルシアに譲る形になったのだ。
一方でなぜガルシアがソルソフィアの参列を嫌がったのか、大聖堂造営の交渉に邪魔というのは些か説得力に欠ける。その辺りも含めてソルソフィアはガルシアを怪しんでもいる。
まぁ彼らの交渉内容は当日同席するウィリアム殿下が後日ソルソフィア達に聞かせてくれるだろう。
「賢者殿、ルカは?」
「ああ、クラヴィス君、私もそのことで教会に来たんだ」
硬い表情のクラヴィスが前に進み出る。
すると回廊からバリンと何かが割れる音が響き空気を振動させた。全員が一斉に扉の方を向いた。
◇
――一体何が起こったのか
気がつくとパトリックは教会奥の祭壇前に倒れていた。バタバタと足音がする、駆けつけてきた者の一人が跪きパトリックに呼びかけるも頭が朦朧とし言葉が耳に入って来なかった。
気遣うようにパトリックの顔を覗き込んでいたのは人間離れした非常に美しい金髪の女性で、女騎士のような服装をしていた。
「――ここ、は?」
「教会奥の祭壇だよ。君がパトリック君だね。体はどこか痛い所はある?」
いいえと首を振る。それを確認し彼女はほっとしたようで僅かに緊張を解いた。
女性はソルソフィアと名乗った。
この国にいる賢者と同名だなと脳裏をよぎる、ソルソフィアに
支えられ上半身を起こすといつの間にか複数の人間がパトリックを囲んでいることに気づいた。
やがて先程自分の身に起きた恐ろしい体験を思い出し、身を震わせた。壁面を見ると何事もなかったように全く変わりない。
あの子はどうなった?
今出てこられたのはパトリックだけだ。
背中が冷たくなり青ざめたパトリックはガクガクと震えだした。
「どうしよう、僕は、あの子を――置いて?」
掠れ声を出したパトリックの肩を何者かが強く掴んだ。みると紺髪の青年が必死な形相でそこに屈んでいた。
そのあまりの壮絶な威圧感にパトリックは怯み息を呑む。
「ルカは!? 君と同じ服を着た金の髪の娘はどうした?」
「え、ルカ? 聖歌隊の?」
「そうだ」
ああ、あの子はルカという名なのかとパトリックは今更にして知った。だが紺髪の青年の語る特徴とパトリックの知るあの子はまるで別人に感じる。
「いや、あの子は」
キョロキョロと所在なさげに視線を動かし、やがてその眼球はリオンの前でふと止まる。一つ瞬きし、パトリックはああと呟いた。
「助けてくれたあの子はそう、今の君みたいな色をしていた。黒い髪と目の、髪は肩に届くかどうかの長さで少年のようだった」
「え?」
正確に言えば祭壇前の白壁から出現した複数の手に連れていかれそうになった時、助けてくれようとしたのは金髪の女の子。
けれど奇妙な空間に閉じ込められてからの記憶は酷く曖昧で傍らにいたのは黒髪の子だったような、気がした。
「ハッキリとした容姿は覚えてない。でも僕はあの子をあそこに置いてきてしまった」
頭をおさえ呻くパトリックを見下ろし、リオンの心臓がどくどく鳴り、脈拍も早くなる。パトリックの言動はリオンに衝撃を与えるのに十分な効果をもたらした。
リオンと同じ黒髪と目、さらに肩までの長さの髪。そんな女性はこの世界で異質に映る。それゆえパトリックが彼女を少年と認識したのも頷けた。
それはリオン、いや遼がよく知る如月瑠夏の生前の容姿そのもので、その特徴から甦る幻影は遼の心を一瞬で支配した。
「瑠夏ちゃん、」
会いたい、もう一度。
この執着は一体何処からくるのだろう。
あの壁の向こうへ行けば自分も『彼女』に会えるのだろうか。
引き寄せられるように祭壇横の壁に目を動かすとメルディアスが祭壇をずらしその背面と床を調べているのが見えた。
「メルディアス様?」
「……なんだこれは、魔方陣が刻まれている。これはどういうことだ?」
彼の言う通り、たしかに祭壇裏と床に奇妙な配列の魔方陣が描かれていた。それはリオンも見たことがない魔方陣で、一体何の効果をもたらすものかは分からなかった。
「……」
魔方陣の前に思考し始めたメルディアスは沈黙し、やがて祭壇を元の位置に戻すと辛そうに目を瞑った。
不可解な様子のメルディアスにリオンが戸惑っていると後ろでソルソフィアが興奮した声をあげた。その声はまるで狂喜乱舞といっても過言ではなかった。
「ああ、パトリック君もっとよくその時の事を教えてほしい!彼女はどんな様子だった?」
「彼女? いや、だからそれは――」
「違う。彼女なんだ! ようやく瑠夏が目覚めてくれた! 私が何をしてもどんな刺激を与えても一向に目覚める気配などなかったのに。これは僥倖なんだよ!」
明らかに普段と違うソルソフィアの高ぶる感情に周囲が戸惑っていると、クラヴィスが怒気を圧し殺した声でソルソフィアを見つめた。
「賢者、貴女は――」
「あ、……ご、ごめん。ルカを探さないとね」
この状況で不謹慎にも謎に喜ぶソルソフィアに本気でクラヴィスは立腹した。
「とにかく彼女は魔力を失っている可能性がある。一刻も早くあそこから救出する」
我に返ったソルソフィアは立ち上がってすぐに真面目な顔になった。
「事情はもう大体理解してるだろう、メルディアス君。この事を大司祭に報告したければしても構わない。さてクラヴィス君には少し大変な事を任せなければならないね。それでも――やってくれるだろう?」
「わかりました。俺は何をすれば?」
迷いなく即座に答えるクラヴィスを前にソルソフィアは少し位躊躇すればいいのにと唇を歪めた。おそらく瑠夏の覚醒を阻んでいるのはこの男の存在も関係しているのではと推測している。クラヴィスにとってティナが唯一なのだ。
「……賢者、待ってくれ」
「? どうしたのメルディアス君」
静かで感情の読めない声、メルディアスが祭壇を見つめたまま息をはく。
多分大司祭ガルシアにこの件を報告してものらりくらりと誤魔化され、何の解決の手も講じず時間ばかりが経過するだけだ。寧ろ女神が喜んで信徒を神の国に連れて行ったと誉れであると言いかねない。
それに気になるのは刻まれた魔方陣の筆跡、これにも見覚えがあった。その相手は自分が最も信じるべき疑う必要のない対象で、それなのにメルディアスの内包する神はもっと考えろ無知のままでいるなと警鐘を鳴らしていた。
「……私も知らなければならないのか」
苦々しい呟きは誰の耳にも届かなかった。




