154.暗雲と来訪
「本当だよ、リオン! ティナが大変なんだ!」
「シア?」
目の前に現れた白銀の精霊をリオンはよく知っていた。彼はティナの契約精霊だ。ソルソフィアの言葉を補足するようにシアは事態を説明した。
ティナの契約精霊の存在はソルソフィアへの疑念を解消させるに十分だった。リオンはひとまず彼らの訴えを信じる事にした。
「事情は理解しました。協力ですが僕はどうしたら――」
リオンが返事をした所で控室の扉が開き、教会職員が一人入ってきた。そして扉に手をかけたまま、職員はふうと息を吐き出した。
すると職員の姿は一瞬で消え、代わりに二人の美しい男女が現れた。男はまだ幼さを残す金髪の青年の姿。女は白銀色の髪にエメラルドのような瞳を宿した絶世の美女になった。
衣服は最近のラルフェリア王国では殆ど見ない意匠。精霊シアと雰囲気が近く、人間離れした容姿から、恐らく彼らも精霊だろうとリオンは思った。
『おや? ティナだけではなく《異界の魂》がここにもいたか。いや、それより緊急事態だ。ティナがいなくなった』
女の方がリオンがいる事に気づき珍しいなと驚いたが、それも一瞬だった。すぐに向きを変え、ソルソフィアに訴える。
『魔力も何かの力で遮断されている。これ以上、この姿を保ち続けるのは我々には難しい』
金髪の青年もソルソフィアに真剣な顔を向けた。
彼らの会話に加わらず、沈黙し見守っていたリオンは、ティナが幾つもの精霊と契約をしていた事に驚いた。
(――彼女は一体何なんだ?)
極小さな精霊ならまだしも、この場にいる二人は明らかに上位精霊。強大な魔力と矜持をもつ上位精霊が人間ごときに易々と支配下に置かれる身になるとは、到底信じられなかった。
(向こうの世界でもそうだった。瑠夏ちゃんの時も――)
当時を思い出す。あの頃、瑠夏と遼は別の大学に籍があったが、不思議な事に彼女とは遼の大学構内で遭遇することがあった。
年齢の割に妙に顔が広く人懐こい彼女はよく図書室や研究室に現れる。何故か年配の教授陣とも親しげに会話していた。
今思うと謎の多い娘だった。
『あとソル、さっきからずっと大気が揺れてておかしい。そのうち地上にも影響があるかも知れない、対処をしてくれ』
「大気?」
『そうだ。これは女神の力によるものじゃない。何か別の力が働いている』
この世界の道理をわかったように言う彼女は声をひそめて、窓の外に目をやり渋い顔をつくった。
話している最中、突然ズズズ……と床が揺れた。横揺れの地震だった。
立っていられる程の地震なので、それほどのものではなかった。ソルソフィアは急に動いて部屋の窓を全開し、目をすがめて空を見上げた。
「……珍しいな、太陽が隠れている。セレの言う通りだ、変だね。雲の流れも異様に早いし、嫌な色をしている。嵐が来そうだ」
年に一度の感謝祭は晴れの日がほとんどだ。理由はこの世界の創世神たる女神の日だからなのか、より安寧の力が働くためだと言い伝えられている。
それが今は曇天。黒灰色の雲が上空を占拠し辺りは暗く翳っていた。さらに目を凝らすと雲は西方向に流れている。
「……西? あそこはトゥーラ遺跡のある場所じゃないか?」
ソルソフィアが遺跡のある辺りを睨んだ。
古代ラルフェリアで一番先に文明が発達し最も栄えた地。そして魔術師の証の魔道具の天球儀と人間の遺骸が大量に出土した忌まわしい土地でもある。
「……あそこは駄目だ」
その小さな呟きは誰の耳にも届かなかった。
地響きがし、再びズゥゥゥンと地が揺れたと同時に建物も軋む。今度は大きい。
ラルフェリアは地震が少なく、揺れたとしても被害は軽い。その為、大きな地震の経験がない者が多い。
回廊から声も聞こえてくる。
教会職員や司祭達が一旦外に避難するよう呼びかけていた。足音がし、控室にも人がやって来た。精霊達は一瞬で姿を消した。
「まだ残っていたのか、早く君たちも中庭に避難し――……なぜ賢者がここに?」
やって来たのは司祭メルディアス・パトラスとティナの婚約者クラヴィスだった――
◇
その少し前、
クラヴィスが教会の前に着いた矢先、地面が揺れた。建物に入ると人々のざわめきと共に移動するのがみえた。彼らはクラヴィスと反対方向に向かっている。
ある者は正面入口へ、或いは中庭へというように職員や司祭の誘導で外へ避難しているようだ。
彼らに構わず小走りに駆け、奥へ行くと途中見知った人物が視界に入った。親しくはないがそれなりに境遇が自分と近い男――メルディアス・パトラスだった。
彼は他の司祭と共に避難を手伝っている。
とにかく今は一刻も早くティナの魔力が途切れた場所に向かいたい。メルディアスに気づかぬふりをして通過しようとすると呼び止められた。
「ルドシエル殿?」
「……パトラス、卿」
クラヴィスの姿に気づいたメルディアスは驚いた顔で近づいてきた。
女神教は国教だが有力貴族に対しては敬虔さは強要できない。中でもクラヴィスの実家ルドシエル公爵家はどちらかと言えば中立の立場だ。
そんな背景を知っているからか、仕事でもないのにクラヴィスが来ているなどメルディアスには相当衝撃だったようだ。
まぁさすがにクラヴィスも生まれてから一度も教会に来たことがないかと言えば、そんなことはない。その為メルディアスの意外なものをみるかのような顔にクラヴィスは内心複雑な面持ちだった。
「貴殿も教会に祈りを捧げに来たのか?」
「いや、知り合いを迎えに来たんだ」
「知り合い? 教会にか?」
はたして教会内にルドシエル公爵家と繋がりのある者はいたかとメルディアスは首を捻った。
ティナはルカと偽り、聖歌隊に参加するのだと聞いている。この事は秘密にしておいてくれと彼女に口止めされている。だが今回ばかりは緊急事態、メルディアスに悟られる懸念はあるが仕方ない。
「……ルカという娘がここにいるはずだ。所要があって彼女を迎えに来たんだ」
「! ルカ殿を」
口振りから察するにメルディアスはルカを知っているようだ。
「そうか、彼女はルドシエル殿の知り合いだったのか」
でも何故?と怪訝な顔になり何かを聞きたそうな様子だったので、クラヴィスは答える。
「なんというべきか、その……彼女には色々と家政を頼んでいて、聖歌が終わり次第迎えに行くと約束していたんだ」
嘘ではない。ティナには家の事をほとんど任せている。メルディアスはクラヴィスの返答に納得したようで、そうだったのかと頷き、ついてくるよう促した。
「こっちだ。彼女はおそらく聖歌隊の控室にいるはずだ」




