14.嫉妬と浄化魔法
「クラヴィスさん、もう本当にびっくりしました。 ……当直終わったんですか?」
ティナは横に並んで歩くクラヴィスを見上げてそっと尋ねた。
「終わったよ。ジュードとは同期で、少し顔を出していたんだ。もう帰るよ。 ティナはもう体は平気?」
「この前クラヴィスさんに貰ったポーションのお陰ですごく良くなりました。 もう全然元気です」
「ふっ、……良かった」
こそこそと人に聞こえないよう二人静かに話ながら、目を合わせて顔を綻ばせる。
けれど当直明けとあってか、クラヴィスは眠そうだった。話ながら欠伸を噛み殺している。
「ふふっ、クラヴィスさんお家に帰ったら、しっかり休んで下さいね」
「ん、そうだな。 ……さすがに結構眠い」
回廊を真っ直ぐ進むと魔術師団の詰所で、クラヴィスはそこに一度寄るとのことだった。
丁度、その分かれ道が見えてきた頃、同じ養成機関のローブを着た青年リオンの姿があった。
何気にティナを心配して、待っていてくれたようだ。
「あっ、糸――」
「ほら、行くぞティナ!」
人前でその名を呼ぶなと言わんばかりに、リオンは声をわざと被せてティナを呼んだ。
あ、糸目先輩が開眼してる――
リオンの威圧した空気を感じる。
「クラヴィスさん、ハルシフォムさんが向こうで待っているのでこれで失礼しますね。 ごめんなさい」
ティナはクラヴィスにペコリと頭を下げると、急いでリオンの後ろ姿を追いかけた。
彼の隣に追い付くと、片手でコツンと軽く頭を小突かれる。
「僕と二人の時はいいけど、あの渾名は他の人間の前で使うな。 いいな?」
「はい。 すみませんでした」
「あと君には言ってなかったが、僕は伯爵家の人間なんだ。 どこで誰が聞いているか分からない。 気をつけてほしい」
「伯爵!? すみませんでした」
(……そうかぁ。家格。 糸目先輩に失礼なことをしてしまった)
孤児だったリオンは幼い頃、ハルシフォム伯爵家に養子として引き取られたらしい。跡目を継がなくてはならず、領地経営など学ぶことが多く、日々とても忙しいとのことだった。
ティナは肩を落とし頭を下げた。
「ごめんなさい。 私色々と失礼なことをしてしまいました」
「今頃気づいたのか、君は。 ……まぁでも、名前は誰かに聞かれていなければ平気だ。 例え聞かれても意味なんて分からないと思うが。 念のためだ」
そうして、ティナ達はそれぞれの教室へ戻った。
◆ ◆ ◆
授業が終わり、ティナは家路に着いた。
夕食の食材を買ってきたので、少し遅くなってしまった。玄関扉を開けると薄暗く、ティナは首を傾げた。
「クラヴィスさん、まだ帰ってないのかなぁ……?」
いつもは彼が居たら魔力で灯りをつけておいてくれるのだが、今日は何だかいつもと違った。
買ってきた物を台所に置こうと居間を通ると、薄闇の中、ソファーで何かが動く気配がした。
(……あれ? クラヴィスさん、ソファーで寝てるの?)
自室に行かず、疲れてそのままソファーで倒れ込むように眠っている。灯りを点けようとしたけれど、起こしてしまっては可哀想だ。
客間にあった毛布を持ってきて彼に掛けてあげようとした時、クラヴィスの髪が暗がりのせいか闇色に映った。
ついと手が動き、そっと彼の髪を撫でる。
さらさらとした手触りが心地好くて、そして間近で見る彼の顔立ちは男の人なのに綺麗で。
あまりにも普通の自分とはかけ離れて全然違う所にいる人で――
こんな素敵な人とこうやっていられるだけで、すごく奇跡なんじゃないかと思う。
睫毛長いなぁと、ティナの顔が緩む。
と、いつの間にかクラヴィスの目がうっすら開いていた。慌ててサッと手を引っ込めようとしたら、すぐに掴まれてしまう。
「……!」
「…………もういいの?」
気だるげな表情で彼は柔らかく笑っている。
掴まれた手が熱い。決して強い力ではない筈なのに、振りほどけなかった。
「……あの、クラヴィ……っ!」
離れようとしたのに腰に腕が回されていて、体を起こした彼に抱き締められる。
「もう初対面、終わったよね。 これからはちゃんと名前で呼んでいい?」
「え……?」
「あいつ誰? ティナの何?」
「クラヴィス……さ、ん?」
捲し立てるように頭の上に声が落とされる。
今までに聞いたことのない低い声。
どうしよう。心臓がバクバクと自分でも分かるくらい音がする。
頭がクラヴィスの胸に押し付けられているので、彼がどんな顔をしているのか分からない。
そしてティナを掴んでいた手が離れて、しきりに頭を撫で始めた。というか、ごしごしと擦っている感じだ。
「あのっ、私、今帰ってきたばかりで髪汚れてて。 汚い――」
「じっとして。 今、綺麗にするから」
「え……?」
身体浄化の魔法をかけてくれた。何だろう、クラヴィスさんの意図が分からない。そして魔法をかけたら何故かホッとしてるし。
「その……クラヴィスさん。その人というのは、多分ハルシフォムさんのことですよね? その人、養成機関の生徒で私の先輩です」
「――先輩?」
「はい。 たまたま昨日王立図書館で知り合って、それだけです」
クラヴィスの腕が弛み離れた。良かった、ちゃんと息が出来そう。
「それにクラヴィスさん、何かすごく誤解しているみたいですけど、彼は伯爵家の人なんですって。 だからきっと私と変なことにはならないですよ。 なんせ庶民ですよ、私」
「――それは関係ない」
クラヴィスは困ったように微笑んだ。
「本当に好きになったら、そういうのは関係ないから――」
だから気をつけて、と彼は最後に呟いた。




