110.ジューク兄弟の試合の結末と火竜の出現とラヴィの風魔法
ティナとクラヴィスが試合場に目をやると、赤茶けた髪のジュークが剣を構え立ちすくんでいた。少し離れた所で片膝をついているのは兄ジュードだ。彼の剣は地に突き刺さっている。
その光景に驚き、ティナは呟いた。
「これってジュークさんが勝ったってこと?」
「いや、まだだ。二人は何か話しているようだ」
クラヴィスの言葉に目を凝らしてみると、ジュークが口をモゴモゴ動かしジュードに何か話しかけているのが見えた。
すると向こうからルーデウスが何かを腕に抱え、こちらの天幕へ走ってきた。ティナはきょとんと彼を見る。
「どうしたの、ルー」
「意外とここからだと観戦しづらいでしょ。二人にこれを渡そうと思ってさ」
彼は微笑み、手のひら大の透明の魔石を渡してきた。それは一見大きな水晶玉のようだ。ティナは受け取り掲げ、首を傾げる。
「魔導石?」
「うん。これであの二人の様子が詳しくわかると思う。覗いてごらん」
言われた通りに魔導石の中を覗き込むと、剣を交えているジュードとジュークの姿が映った。ティナは息を呑む。
これは恐らく試合場の中の様子だ。因みに音もしっかり聞こえる。
ジュードが嬉しそうに顔を上げている。まるで笑っているようだ。
『……強くなったな、ジューク。いや、前からきっとそうだったんだな』
『兄さん……』
『もっと早くお前がこんな風になっていてくれれば……なぁ、今からでも遅くない。騎士団に戻ってこいよ』
『……それは』
突然兄に思いもよらない言葉を投げ掛けられ、ジュークは答えに窮している。眉が下がり、弱々しい表情だ。
だったら、とジュードは地に刺さった剣を抜き、地を蹴った。速い。
『俺が勝ったら、こっちに戻ってこい!』
『ええっ!?』
言うが早いか、再びガキィンと剣が交わる音が響く。彼は自分が勝てば、弟ジュークを騎士団に戻すつもりらしい。ジュークはうまく剣を受けたりかわしたりしているが、どこか剣にキレがない。及び腰になっている、迷いがあるのか。
ティナは魔導石をじっと見つめる。
「ジュークさん……、騎士団に戻ってしまうの?」
「籍はあるからね。彼が戻りたいとさえ言えば、いつでも戻れるんだけど……」
淡々と語っているようにみえて、ルーデウスも複雑そうな顔をしている。先日この話はティナもソルソフィアから聞いている。だが発掘しているジュークはとても生き生きとして、いつも仲間と笑い楽しそうなのだ。
彼自身ここが満更ではないと思っているのではないか、とティナは感じている。
「ティナ、これはアイツ自身の問題だ。実際騎士団に戻ってもあの腕なら大丈夫だ。これまでの空白の期間など簡単に埋められるだろう」
「ラヴィ、」
彼らの剣の打ち合いは続いている。俄にジュークの方が押されぎみかと思いきや、いつの間にか逆転していた。
『ごめん俺はまだ……ここにいたい』
『ジューク、』
ジュークは器用に兄にジュードの剣を避けると、一際高く跳躍しそれを振り下ろす。逆光になっていてジュードからはよく見えない。彼はわざとそうしたのだ。
勝負は決まった。ジュークの振り下ろした剣がジュードの剣に力強く当たる。キィンと小気味良い音がし、彼の剣は遠くに弾き飛ばされた。
「すごい、ジュークさんの勝ちね!」
「そうだな」
わっとティナは声を上げる。いつの間にか周りにドヤドヤと作業員達も集まってきていた。ティナの観ている魔導石の方が彼らの声も聞こえ、細かい動きもわかるので観戦しやすいからだ。
「スゲーな。ジュークのやつ」
「兄貴たしか騎士団の偉いやつだろ?」
「実は手加減してくれてたりな」
「いやでも勝ちは勝ちだろ」
彼らの試合を感心したように言うと、作業員のおじさん達は楽しそうにガハハと笑っている。
「ん?あいつらまた何か喋ってるぞ」
作業員の一人がふと呟くと、途端にシンと静かになった。
『……、……だ』
『ジューク、』
『俺……まだここを辞めたくない。この仕事はやりがいがあるし楽しいし……、でもそれ以上に俺には好きな人がいるんだ……』
マジかよ、とおじさん達がどよめいている。無言で顔を強張らせたルーデウスが魔導石をさりげなく回収しようとしたが、おじさん達に止められた。最早イヤな予感しかしない。
弟の告白を聞いた兄ジュードは真剣な顔つきだ。
『それは……お前の職場にいる女性なのか?』
『いや、たまに来る人なんだ。……こんな気持ち、あの人には迷惑だってわかってる。でも報われないかも知れないけど……』
隣を見るのが怖い、とティナは思った。と言うかさっきから冷気がハンパなく流れてきて寒い。ティナは温もりを求め、キュンちゃんのいる膝掛けの中に手を入れた。
『だから俺は、ティ――』
パァンッと魔導石が跡形もなく砕け散った。クラヴィスが触れたのだ。ひぃとおじさん達が震えた。
ドライアイスの様な冷気を纏ったクラヴィスが立ち上がる。鋭い目つきになっていた。
「ラヴィ、」
「もういいな? 俺はちょっとアイツらに用がある」
「ま、待って……」
試合場に向かう彼を追いかけようとした時、再び周りがざわめきだした。皆、空を見上げている。クラヴィスもまた立ち止まり、顔を上げた。
遠くから赤い物体がやってくる。燃えるような真っ赤な色、大きな胴体、翼、遠目からでもわかる。それは火竜だ。
「……火竜」
「トゥーラ山脈の奥地にいる竜?」
「ああ、俺が前に追い払ったヤツだ」
目を凝らして空を仰ぐクラヴィスの言動に、ティナは以前彼があの山で魔力枯渇に陥り、行方不明になった事を思い出した。ルーデウスもまた向こうから急いでやって来る。
念のため、と彼はティナの鞄を持ってきてくれていた。中には杖が入っている。
「ありがとう、ルー」
「とりあえず作業員達には天幕に避難するよう伝えた。何もないまま、あの竜が早く去ってくれることを祈るね」
そういうとルーデウスはジューク達の様子を見てくると言い、試合場に向かっていった。
火竜は未だ空を旋回している状態だ。この竜は名の通り火の属性を持ち、火を吐く。運の良い事にここら一帯は荒野で岩ばかりの為燃えるものがほとんどないが、風があるので火の勢いが強まりやすい。
また万が一、遠方の集落に火を落とされればたちまちそこは炎で壊滅してしまうだろう。
「ティナ、俺が風の魔術であの竜を山脈の方へ押し戻すから下がっていて」
「でもラヴィ、あれはたくさん魔力を消費するんでしょう?」
「あの時は新月で魔力が不安定だったから……でも今は平気だ。心配いらないよ」
クラヴィスはティナを安心させるようにニコリと微笑むと、ここから離れるよう促す。先程ジュークに抱いていた空気と打って変わった様子に、ティナは戸惑った。
「ラヴィ、私も――」
手伝う、と言い掛けるも彼はあっという間に転移し、姿を消してしまった。きっと旋回している火竜の近くへ移動したのだ。彼が消えた後すぐジューク達がこちらへ駆けてくる。
やがて風の流れが急に変わった。空に浮かぶ雲が動き始める。クラヴィスが風の魔術を使っている。ティナは直感的にそう思った。
もう居てもたってもいられない。ティナが動こうとすると、ジュードに腕を掴まれ止められてしまう。
「離して下さい。私、ラヴィの所に行かないと」
「危ないからダメだ。あの魔法は俺も一度見たことがあるが、とんでもなくヤバいやつだ。近づけば間違いなくティナさんも吹き飛ばされる」
確かにこの風はビュウビュウと吹き荒れ始めている。刺すような鋭い風が幾つも。ルーデウスもティナの肩に手を置き、首を振る。
「ここはひとまずあの子に任せよう。終わったらティナの力が必要になるかも知れない。魔力は温存しておいた方がいい」
「ルー、」
するとビュワアアァッと一際大きく風が吹いた。細かい粒子が蠢き、砂埃と巻き上がる風とで巨大な壁が築き上げられていく。それらは一斉に火竜に向かっていった。
しばしの時間が経った頃、風の壁に追いやられた火竜の姿は再びトゥーラ山脈の奥へ消えていった。
そうして突如、風の音が止む。
ルーデウスが振り向いた。
「ティナ、行こう」
「うん、」
かなりの時間、彼は魔力を放出していた。恐らく相当な量が枯渇しているはずだ。ティナはルーデウスと共にクラヴィスの元へ転移する。
転移した先では、クラヴィスが背を向けて立っていた。駆け寄り正面に回ると、少し気怠げな表情でこちらを見下ろしてくる。
ティナの心配そうな様子を気遣ってか、彼が微笑する。
「大丈夫だと言ったろう?」
「うん、」
とても大丈夫には思えなかったが、敢えて不安な気持ちを押し留めその言葉に頷いた。
みるみるうちに彼の髪が黒く染まっていく。ルーデウスが崩れ落ちそうになるクラヴィスの体を支えてくれた。
「さあ戻ろう」
再びルーデウスによる転移で、ティナ達は皆のいる天幕へ戻った。




