105.ティナの加護と浄化の力とアカシャの慈悲
ソルソフィアの事業関連の病院にティナとルーデウスはやって来た。ここには以前植物園に訪れた際、女神関連の地下施設にて起きた事件で保護した六名が入院している。
今日は彼らに面会に来たのだ。
病院職員の女性がティナ達を案内してくれる。たどり着くとそこは病棟から離れており、広々とした空間だ。そこでは皆、体を動かしたりしている。中庭もあるので散歩も出来そうだ。
「今までフェリミーナ中の病院でも無かったのですが、今回ソルソフィア様と話し合い試験的に体を動かす場所を作ってみたんです」
「すごく良い所ですね。運動する場の他にお庭のお世話をしたり、お茶を楽しむ所もあったりして気持ちが明るくなりますね」
そうでしょう、と女性は嬉しそうにしている。患者達にとって、憩いの空間にもなりそうだ。
ティナはその空間をゆっくり見渡した。
そこでは歩行訓練、日常生活に必要とされるであろう運動など各々行っているのが視界に入った。運動と言っても激しいものではなく、比較的簡単なものだ。あくまで回復後の軽いリハビリなのだ、だが皆真剣に取り組んでいる。
面会する予定の五名の姿もそこにある。一名は起き上がる事もままならない為、病室にいる。彼らは脇目も振らず、与えられた自分達の作業を黙々と行っていた。
案内の女性が言う。
「彼らも始めは大変でした。ですが少しずつ患部を動かせる様になってきたんです。同じ動作を何度も繰り返していただけなのに……本当に不思議です」
良かったと思う。やはり神経回路が遮断されたとしても、筋肉は動きを記憶しているのだ。それとあくまでティナ独自の考えだが、神経は若干再生する事もあるのではと思っている。
「あっ、あんたは……」
皆の様子を静かに見守っていたら、いつの間にかティナの姿に気づいた者がいたらしい。彼らは動きを止め、視線をこちらに向けている。
ティナは慌てて挨拶した。
「こんにちは」
「しばらくぶりだなぁ」
「あんたの言う通りやってたら、意外と動かせる様になってきたぜ」
ルーデウスと共に五人の所に歩いていく。せっかくなので運動場の一角に休憩スペースがあるので、そこで皆でお茶をすることになった。
彼らは嬉しそうに近況やそれぞれの訓練の成果を教えてくれる。患部を動かしてみせてもくれた。
「すごいですね、ここまで回復するなんて……皆さんとても頑張られたんですね」
「まぁな。でも始めはこんなの本当に効くのかよって、半信半疑だったんだ。けどどうにか動かしていくうちに段々出来る事も増えてきたんだ。……不思議だよなぁ」
彼らはお互いに首を傾げている。それはティナも思った。通常ここまで回復が早いなど考えられない。一つ考えられるのは、あの白い影の仕業ではないかと言うことだ。
「そして驚いたのはな。ある程度回復してきたら、賢者様のやってる仕事を手伝ってみないかと誘われたんだ。しかも俺ら囚人なのに給金が貰えるし、勤務態度次第で恩赦もあるんだってよ」
「住む場所も用意してくれるってさ」
そうか、ソルソフィアが。彼女の所ならきっと心配いらないだろう。口々に興奮して言う彼らにティナは微笑む。
「ふふっ良かったですね」
「ああ。俺らにも神サマはいるんだって思ってな。そうだ……あれだ、神サマの御慈悲ってヤツだきっと」
「ちげえねぇ」
「そうだな」
うんうんと彼らは頷き合っている。
慈悲、か。ティナは内心複雑だ。確かに同じ事象でも受け止め方によって認識の度合いが大分変わってくる。
また来ると約束し彼らと別れ、ルーデウスと病院の回廊を歩いていく。すると彼がこちらの心を読んだかのようにフッと笑んだ。
「確かに彼らは体の一部を失い、悲しみを味わった。けれどそれと引き換えに自由を手に入れた。それはある意味、神からの慈悲と捉えられてもおかしくない。だって本来であれば、全てを失う筈だったのだから」
まぁ受け取り方次第だけれどね、とルーデウスは肩を竦める。
「ルー、」
「わかってるさ。君は無慈悲と思っているんだろう。それもある意味正しい。全ては受け取り方なんだ。ただ迷いがあるという事は、自分の中に相違があるからではないかい?」
図星だ。彼の言葉は当たっている。
そう過去、現在、未来は同一だ。特にあちらの世界には時間の概念がない。彼らから代償を受け取ったアカシャには、この光景が同時に視えていたのだ。
だからあの白い影は《慈悲》だと言ったのだ。
自らが導きだした結論に面白くなさそうな顔をしているティナを見おろし、彼が苦笑した。
「あれに怒っているんだね。叡知の世界の番人に――」
「そうよ。結局私はアカシャの掌の上で転がされているだけって思ったら、何だか無性に腹が立ってきたの」
あちらの方が一枚も二枚も上手だからねぇ、とルーデウスが朗らかに笑った。
二人で話しながら、残る一人がいる病室にたどり着いた。今日はこの為に来たのだ。
入口前で彼が気遣わしげな視線を送ってくる。
「ティナ、いいかい? ここから先は少し君には荷が重いかも知れないよ」
「大丈夫よ、ルー。私は彼を無事に見送ってあげたいの。その為の手助けをしたい」
この病室にいる患者はアイオスという。門の実験に巻き込まれた者の一人だ。彼はその代償に呼吸機能が極度に低下した。だがあれから大分経過したが、よくここまで保ったと思う。
「……本当は、最期に彼の家族を呼んであげたかったの。でもいくら探しても見つからなかった」
「うん。残念ながらもうこの世にはいない。調べた所、家族は皆殺されたらしい。その復讐で彼は犯人だった知人を殺したそうだ。そうして彼は裁きを受けた」
「うん、」
悲しい出来事だ。ティナは目を伏せた。
もしアカシャがこれを慈悲とするならば、今から自分がする事もきっとそうなのだろう。
「こんにちは、アイオスさん」
「…………」
病室に入り、努めて明るくアイオスに声をかけた。返事はない。ただヒューヒューと微かな息遣いが聞こえるのみ。だがこちらの声は聞こえているはずだ。
目を瞑ったままの彼にティナは静かに語りかける。ルーデウスは傍で黙って見守ってくれている。室内には自分達三人しかいない。
端からすれば気が振れたと思われるだろう事を口にする。
「……アイオスさん、迎えが来ていますよ。奥様と娘さん方、そして息子さんもいますね。そろそろ行きましょう」
「…………」
アイオスの目蓋が少しだけ揺れた。
彼は復讐に成功したが、同時にその事を後悔してもいた。その中に残ったのは空虚。ティナが感じたのは、彼はとても死にたがっているという事だった。
もしこの場にフレデリクがいれば、彼の色は黒だと言っていただろう。
「ティナ、」
「うん。今、彼に加護を与えるわ」
そろそろ時間だと言うように、ルーデウスがその先を促した。ティナは導かれる様にそっとアイオスの額に口づける。これはソルソフィアから教わった加護を与える方法だ。
すると瞬く間に彼の体が光り、そして消える。そうしてティナはアイオスの胸元に片手を当てた。厳かに彼を見おろす。
「これから貴方の中にある執着を取り除きます」
「…………」
加護により一時的にだが、彼の体は神性を取り込んでいる状態だ。この肉体の中にティナの持つ神剣を顕現させる。剣は切り刻むイメージがあるが、今回のは少し違う。顕現した力により彼の魂、肉体ごと浄化するのである。
北の領主フィルドが取り憑かれ、神剣を使った時とは違う。あれは強引に干渉するが、今回のは非常に繊細な手法なのだ。
浄化が始まる。同時に室内を取り巻く重苦しい空気が消えてゆく。そうして清浄なそれが流れ出す。次第に彼に纏わりつく黒いモヤも消える。これは彼の負の思念でもあるのだ。
ゆっくりとアイオスの目が開く。何故かずっと天井を見ている。そして涙を流し始めた、嬉しそうな表情だ。
ルーデウスがティナに微笑む。
「やっと視える様になったみたいだね」
「ええ。彼らがアイオスさんを連れていってくれるわ」
ティナはホッと安堵する。
自分達には人ならざる者達の姿が視えていた。それはアイオスの家族だ。だが死期が近づいているにも関わらず、彼にだけはその迎えに気づく事はなかった。
数日前ルーデウスがその事に気づいたのだ。そうしてティナに教えてくれた。
このままでは彼は死しても、上にあがる事はかなわない。ずっとここに居続けてしまうだろう。
「後悔の念や罪の意識、そして人々に対する恨み諦め。それらが彼を苛み、地上に執着する要因になっていたの。でもこれで大丈夫」
アイオスの魂が肉体から離れ始めた。その伸ばされた手には、家族のそれがある。妻とおぼしき女性がふわりとティナに微笑む。
『ありがとう』
眩しげに目を細め、ティナは彼らを見上げた。
「あとは頼みます」
『はい』
彼女は全てを理解している様に頷いた。
過去は変わらない。起こしてしまった事象は変える事は出来ない。アイオスは天へ行ってもしばらくは家族と引き離されるだろう。彼は罪を償わなければならないのだ。
隣でルーデウスが目を和らげる。
「良かったね。最期の瞬間、彼は求めていた家族に会えた。これは所謂、慈悲だね」
「そうね。悔しいけど……私もそう思う」
その内、アカシャに会って謝ろう。ティナはそう独りごちた。




