1.記憶も魔力もなくしたけど、なりたいものができました。
初めての投稿です。
灯り一つない真っ暗な部屋、人の気配も感じない静寂の中。深い水底から急に浮上する感覚と共に『私』は思いきり目を開けた。
「……ゲホッ、……ゴホゴホォッ!」
苦しい。意識しないと呼吸ができないことに驚く。
咳き込む音で気づいたのか、部屋の向こうからバタバタと足音をたてて誰かがやってきた。ドアの向こうから灯りが漏れ、室内の人物を照らしている。
「ティナ……! ああ、目覚めたのね、……良かった!」
泣きそうな女の人の声。
けれど返事はできない。あまりにも喉が張り付いていて声が出せなかった。助けを求めるように視線を向けるとすぐに傍に寄り、水の入ったコップを持ってきてくれた。水を少しだけ口に含む。
少し時間が経ち落ち着いた頃、女性に訊ねる。
「……あの、……ここは、どこ、ですか?」
「ここは私達の家よ。あなたは、すごくすごく長い間眠っていたの。体に変な所はない?」
――ずっと眠っていた
成程さっきからずっと背中が痛いのはそのせいか。
まだ体は酷くだるいが、周囲の様子が気になった。特に目の前にいる女の人の容姿が外国人そのもので髪色も金髪なのだ。
「変な所はないです。あの、うちに帰ってもいいですか? あなたには後日お礼にまた伺いますので」
「……ティナ?」
「私はそんな名前じゃないです。誰ですかそれ?」
とにかく早く自分の家に帰りたい。明日は確かシフトで朝から出勤のはずである。ベッドから降りようとしたら女の人が必死の形相で止めてきた。その際、彼女は掌を頭上にかざしてくる。
そこから何故かまた再び眠くなって、『私』の意識は暗転した。
◆ ◆ ◆
「ただいま――、お母さん」
「おかえりティナ」
ここは王都から南西のはずれにあるルーン領という所。ティナとは『私』のことである。あの長い眠りから覚めたとき居たのは、母のアリシアだった。
半年程の眠りだったらしい。
目覚めたときティナの記憶は失われ、代わりに前世の記憶が戻っていた。それで始めは訳がわからずパニックになり、周囲にかなり迷惑をかけた。ただティナはその時の理解できない言葉が前世の記憶、知識からくるものだとは誰にも言っていない。
当時は8歳。そこから前の記憶が一切合切抜けていた。体力筋力も相当落ちていて、総合的なリハビリもかねて病院に2年程かかっていた。
その時にここは魔法が使える世界で、自分も魔法を使えていたが『魔力共鳴事故』以来使えなくなった、ということを初めて知った。
「あのねお母さん、突然なんだけど」
「あら、学校で何かあったの?」
「……いや、その」
あれからもう10年経つ。
最近ずっと考えていたこと――
ティナはもうすぐ学校を卒業する。ここでは簡単な算術や読み書き、裁縫、庶民の婦人マナー程度しか学ばない。実のところもっと専門的なものを学びたかった。魔法が使えない自分が一人でも働いて生きていけるように。
「私、王都に行って薬師の養成機関に通いたいの」
「薬師……、ティナあなた、簡単に考えてはだめよ。薬草の調合だって大変と聞くし」
アリシアは溜息を吐いた。何故なら彼女の願いはティナが結婚し家庭をもつことを望んでいるのだ。
この世界の働く女性は男性と比較し圧倒的に少ない。もし働いているとすれば家業の都合か訳アリの女性だったりする。その辺がティナとしては納得できなかった。この国で薬師になるには養成機関に通うか、薬師に直接弟子入りし学ぶという方法がある。養成機関は1年コースというのがあって、ティナ的にみてすごく良さそうに思えた。
「ごめんねお母さん、もう決めたの。働きながら通おうと思ってるんだ」
「学費は、と言いたいところだけど、ある程度貯めてたの母さんも知ってるわ。これが原因だったのね」
ティナのいつになく真剣な表情から何かを感じ取ったのか、アリシアはしふしぶ頷いた。
「下宿先はもう決めたの?」
「ううん。これから探してみる」
「だったらそれだけは心配だから、母さんに決めさせて」
「わかった」
ティナは彼女の言葉に頷いた。
【登場人物】
・ティナ……主人公
・アリシア……ティナの母