第三話
彼が路地裏で生きてきた10年間、クリスマスにいい思い出などあるはずもなかった。ましてやサンタクロースがふだん何をしていて、クリスマスの日に何をする人物なのかも彼はよく分からずにそだった。だけど、もし仮にサンタがこの場にいたとしても、「目を見えるようにして」という女の子のお願いを叶えてあげられるとは思えなかった。なんせ女の子のひとみは灰色ににごり、床に伏せる彼の姿ですらとらえきれていなかったのだ。部屋の中央で小さく燃え続ける暖炉の火に照らされながら、灰色の目の女の子は満面の笑みで、誰もいない暗やみを見つめていた。
「ダメ…?」
彼が何も言わず床でジッとしていると、女の子は悲しそうに目をふせた。そのとき彼は初めて女の子と目があったが、女の子は彼に全く気づいていなかった。
目の見えない女の子に見つめられながら、彼は息をひそめて考えた。女の子が、ここで一人で暮らしているとは思えない。きっと家の中のどこかに、女の子の両親がいるはずだ。彼らに見つかる前に、さっさと逃げたほうがいい。
幸い、彼女は目が見えていない。自分のことも、朝になれば夢かなにかだと思ってくれるだろう。たとえ誰かに話したところで、姿が見えていないのだから、誰が家の中にいたかなんて伝えられるわけがない。
女の子はがっくりと肩を落とし、もう一度椅子にすわりなおした。彼は音を立てないようそっと起き上がり、気づかれないようにとびらへと足をふみ出した。もう少しで部屋の外に出られる。そのときだった。
ぐ~。
「!」
夕方から何も食べていなかった彼の胃ぶくろが、大きな音をだした。びっくりした女の子が、音のした彼のいる方向を振り返った。灰色のひとみに見つめられ、彼は思わずとびらの前で固まった。
「…おなかすいてるんですか?」
そうつぶやくと、女の子は手探りで器用に部屋の冷ぞう庫まで歩き、中からローストチキンの切れはしを取り出した。そして彼のいる方向とは30度くらい違うところに向かって、笑顔でチキンを差し出した。
「これ!食べてください!」
彼は女の子をじっとながめた。どうやらこの女の子は、自分のことを本物のサンタだと思っているらしい。考えてみれば目が見えないんだから、女の子はサンタがどんなかっこうをしているのかさえ知らないにちがいなかった。彼はそっと女の子に近づき、声を聞かれないように黙ったままチキンを乱暴に奪い取った。
「きゃっ!?」
おどろいた女の子は、思わず手を引っ込めた。彼は一目さんに部屋のとびらへと走った。
「…もういっちゃうんですか!? …ありがとうございました!!」
とびらの向こうへとかけていく彼の背中に、女の子が嬉しそうに声をかけてきた。
「楽しみだなぁ。目が見えるようになるのかなぁ…」
後ろから女の子の声が聞こえたが、彼は無視して夜の雪の中へと走っていった。
それからしばらくして、彼は山の真ん中あたりで身を隠せる岩場を見つけ、さっそくそこでちょうだいしたチキンにありついていた。夢中になって骨までかじりつき、お腹が満たされると、ようやく彼はさっきの女の子のことを思い出した。
(目が見えるように、なるわけねえだろ…)
むねの中で心の声がそうつぶやくのを聞きながら、彼はそのまま岩場にごろんと横になった。眠気におそわれながら、彼には(女の子になにかお礼をするべきじゃないのか)、というもうひとつの心の声も聞こえていた。
だけど彼は、いつものようにもうひとつの声に聞こえないふりをした。今まで生きてきた10年間、誰かにお礼なんてしたこともないし、第一住む家すら持たない今の彼には、なにかを盗んでくることしか出来ない。そんなことをしても女の子も自分もよけいめんどうにまきこまれるだけだ。やるべきことと、できることは必ずしも一致しないのだ。彼はそう自分に言い聞かせた。
(まてよ…)
まどろんでいた彼の目が、突然開かれた。彼はその場で飛び起きた。
ひとつだけ、もしかしたら女の子のためにできることがあるかもしれない。
それも、食べ物の方もいっしょに解決してしまうようなことが。思い立った彼は、急いで山を下った。




