第71話:月がきれいですね
「まだ起きてんのかよ」
魔光石の明かりで、軍服のほつれを直していた俺は、ソマリのがさつな声に顔をあげた。
「あぁ、眠れなくてな」
「自分が休めって言ったのによ」
「休んでいるよ。こうしていると落ち着くんだ」
糸と針を持っていると落ち着くというのは、元の世界にいたときからだ。単調作業が、頭の中を整理するのに役立つのだろうか。
軍服は、この小さな針で縫える生地ではないが、俺のチートスキル武装強化と合わせると何の問題もない。ある意味で、いいスキルをもらったものだ。
「ソマリこそ、何してんだ?」
「あたしも休んでんだよ。こうして、クロ隊長にちょっかいかけてな」
「もっと普通に休めよ」
「あはは」
ソマリはうれしそうに尻尾を振っていた。それから、ひょいと俺の横に座り込む。
「こんなところで、裁縫なんてすんなよ。緊張感がねぇな」
「気を張っていてもいいことなんてないだろ」
「確かにな。あたしもリラックスしているし」
「おまえはもう少ししっかりしろ」
「いいんだよ。あたしは、これで今日まで生きてきたんだから」
「そうかい。ほら、おまえの上着も貸せ。ほつれを整えてやる」
「えー、いいよ、別に。どうせ、明日にはぼろぼになるんだから」
「確かに、そうだな」
「まぁ、クロ隊長がどうしてもやりたいっていうんなら、やらせてやってもいいけど」
「いや、別にそこまでは」
「いやいや、本当はやりたいんだろ」
「いや、だから、別にそんなに」
「……やってよ」
「……最初からそう言えよ」
俺は、ソマリの上着を受け取って、ほつれを直し始めた。
「クロ隊長って、そういうちまちましたこと得意だよな」
「得意っていうより好きなんだよ。それに、これはちゃんと俺が努力して覚えた技術だしな」
「ん?」
その意味を、ソマリは理解していなかったが、あまり意に介していないようだった。ただ、俺が裁縫している様子を、横から覗き込んでいた。
「見ていても早く出来上がるわけじゃないぜ」
「いいんだよ。クロ隊長が作っているのを見ているがおもしろいから」
「それ、ルミも言っていたな」
「ふーん」
「そんなにおもしろいもんかね」
「まぁ、クロ隊長にはわかんねぇだろうな」
俺が、縫っているんだけどな。何で俺にはわからないんだろうかと不思議に思いつつも、あまり深く考えないようにした。
「あたしさ、ずっと、こうしていられたらな、って、ときどき思うんだよな」
「ずっとだとさすがに飽きると思うけどな」
「そういう意味じゃねぇよ。こうしてさ、なんていうか、クロ隊長の隣にさ、何をするでもなくさ」
ソマリが口を噤んだので、俺は顔をあげて、彼女の方を向いた。すると、すぐ目の前に顔があって、驚いた。
魔光石の明かりに照らされた瞳は、ルビーのように輝いていて、ふとすると吸い込まれそうだった。
彼女の耳がひょこりと跳ねる。
心臓が跳ねる。
しおらしくしていれば、こんなにもかわいらしいのにと思わずにはいられない。
風が髪をさらりと撫でて、あまい香りをふわりと広げる。
ずっと、こうしていられたら。
たしかに、そんな夢想を、思い描いてしまいそうな時間が、そのとき流れていた。
ほんの短い時間だったと思う。
ソマリは、じっと俺の目を覗き込んでいたが、すぐに顔を赤くして、パッと空を見上げた。
「あはは、なんてな。からかっただけだよ」
「わ、わかっているよ」
俺も、ソマリに倣って、空を見上げる。夜は深い黒色の底に沈んでいる。そこにぽっかりと浮かぶ月。
俺は、魔光石の明かりを落とした。
すると、より際立った月の白が夜に染み出して、浜辺でうってはかえす波のように青白く輝いていた。
「今日は月がきれいだな」
ソマリの言葉に、俺は驚いたが、彼女が元の世界の文学作品を知っているわけもないと思い直して、ただ、素朴に答えた。
「あぁ、今日は月がきれいだ」




