魔王
記憶回復によって、ヴァルテンの殺戮に対する罪悪感は募るばかりであった。
1ヶ月経った頃には、ヴァルテンは魔法が自由に使えなくなるほどに憔悴し、他の元帥戦士から心配されていた。
「ヴァルテン、あんた最近どうしたのよ。殺すはずの人間を取り逃したり、ダメージを負ったり、いつもの残酷で完璧な黒騎士はどこに行ったのよ」
ルイーザは不思議そうな顔でヴァルテンを見詰めた。
「そうだよ。お得意の最上位魔法も使わない……いや、使えないのかな。疲れが溜まってるんじゃないの?」
テオもルイーザと同じく首を傾げた。
しかし、ヴァルテンはまだ戦えると言う。
「無茶しちゃ駄目。あんたは一旦休むべきよ」
「僕から魔王様に伺ってみるよ」
ルイーザもテオも、ヴァルテンを休ませる気満々であった。
「はあ……。では、好きにするが良い」
ヴァルテンも、溜息を吐きながらではあるが、従うことにしたようだ。
魔王城に戻ったルイーザとテオは、ヴァルテンを部屋に戻した後、エルンストを引き連れて玉座の間へ向かった。
「魔王様、元帥階級の皆様がお見えになりました」
「そうか、入れてやれ」
「かしこまりました」
メイドは玉座の間の大扉を特別な魔法で開け、3人を中へ入れた。
魔王の前に並んだ彼らは跪き、忠誠の意を示した。
「魔王様。我々の為に貴重なお時間を割いて頂き、誠にありがとうございます」
「良い。さて、何用だ」
魔王は威厳のある声で尋ねた。
「はい。実は最近、ヴァルテンの様子がおかしいのです。最上位魔法が使えないようで、人間を殺しきれなかったり、人間ごときの攻撃を受けたり、その他にも、多数のミスを犯しております。」
テオの説明に、ルイーザが続ける。
「ヴァルテンは入軍してから殆どきちんとした休みを取っておりません。疲れが蓄積して、数あるミスを引き起こしているのであれば、休みを与えるべきだと考えます。」
魔王は、それもそうだと頷きながら説明を聞いていた。
「確かに、お前らはずっと働き続けてくれているな。ろくに休みも与えず申し訳ない。お前らには、自由に使える休みを与えるとしよう。何日でも、好きに休むが良い」
魔王の言葉に、3人が驚いた。
「魔王様の寛大なお心遣い、非常にありがたきことではございますが、休むのはヴァルテンだけで十分です。我々は働きます故」
エルンストの言葉に、ルイーザとテオは頷いた。
しかし、魔王はこれを良しとしなかった。
「いや、お前らも休め。これは命令だ」
「承知致しました。我々は1日の休みを頂きます」
魔王がエルンストに1日で本当に良いのかと尋ねたが、3人は揃って首を縦に振った。
「そうか、分かった。明日1日は、自由にして良い」
3人は、魔王の言葉に感謝の意を示し、玉座の間を後にした。
翌日、休暇を貰った元帥戦士達は、城の中庭で談笑していた。
「おお、この紅茶は中々香り高い」
エルンストは紅茶が好きなようだ。
「何でも、人間界ではかなり高値で取引されているらしいよ」
テオの説明に、エルンストも納得の表情である。
「あんたね、今日は誰の為の休暇か分かってるの?」
ルイーザは呆れ顔で言った。
「ヴァルテンの為だったな、忘れていたよ。して、ヴァルテン。何故いつも完璧なお前が多数のミスを?」
エルンストの問いに、ヴァルテンは答えなかった。
自分が人間であり、魔王に拉致され、ここで働いているなど、言えるはずが無い。
「あんたね、黙ってちゃ分かんないの。言えないことがあるなら、それこそ今言っておかないと、後でどうなるか分かんないよ」
「そうだよ。僕らに隠し事をするのはやめておいた方が良い。疑わしきは罰せず。残念だけど、君も例外じゃないんだ」
ルイーザとテオに諭され、ヴァルテンは語ることを決意した。
「俺は思い出したのだ。自分の過去を。ここに居る経緯を」
エルンストは何を忘れていたのかを尋ねる。
「忘れていたのでは無い。魔王様によって、忘れさせられていたのだ」
「どうして魔王様がそんなことを?」
ヴァルテンは重い口を開き、テオに答える。
「俺は人間なのだよ。魔王様に認めて頂き、絶対服従の魔法を掛けられ、入軍した」
「何だって!?」
「どういうことなんだ!?」
ルイーザ達が驚愕した。
「俺は今まで魔物として生き、魔物として戦ってきた。人間を殺すということに全く罪悪感は無く、当然の義務だと思い、高威力の魔法を使っていた。しかし、それも魔王様の魔法による強制であって、俺の意思では無い。それを思い出した今、俺は同族を殺すことに躊躇ってしまう。今まで犯したミスも、全て俺の人間の心が邪魔することから起こるもので、休暇を取って癒されるものでは無い」
ヴァルテンの話を聞いたエルンストは、非常に真剣な顔つきでヴァルテンに問い詰めた。
「お前、今は戦う意思が無いのか?」
「ああ、無い」
「そうか、ならば仕方が無い」
そう言うと、エルンストはヴァルテンの腹を思い切り殴った。
ヴァルテンの腹は穴が開き、大量の血飛沫が城壁に付いた。
ヴァルテンに意識はもう無い。
「ちょっとエルンスト! あんた何やってんの!?」
「戦う意思の無い奴はこの魔王軍に必要無い。ましてや人間だ。役に立たない奴は排除すべきだ」
エルンストは言葉を吐き捨てた後、ルイーザやテオの制止を振り切り、ヴァルテンを抱えて玉座の間へ向かった。
「魔王様、エルンスト様が急ぎの用と申しております」
「了解した。通せ」
エルンストは門をくぐると、抱えていたヴァルテンを魔王の前へ投げ捨てた。
「エルンスト、これは何だ。何故私の前に瀕死のヴァルテンを転がすのだ」
「ヴァルテンが軍に悖る姿勢を見せましたので、始末するご許可を頂きたく参りました」
「ほう。ヴァルテンが記憶を取り戻したということか。ならば始末する必要は無い。」
「お言葉ですが、人間を魔王軍に置くというのは納得いきません」
「それは私が決めることだ。お前の納得など要らぬ。それとも、貴様がヴァルテンよりも良い働きができるというのか?」
エルンストは何も言えなかった。
全く以て魔王の言う通りだからだ。
エルンストが黙り込んでいると、静寂を破るようにしてルイーザとテオが玉座の間に入ってきた。
「ヴァルテン! 大丈夫なの!?」
もうヴァルテンがルイーザの呼びかけに答えることは無かった。
テオは憤り、エルンストを叩いた。
「魔王様、ヴァルテンに蘇生魔法を掛けても!?」
「ああ、頼む」
「最上位魔法、完全蘇生!」
テオの魔法で、ヴァルテンは生き返った。
ルイーザは安堵し、腰が抜けたように座り込んだ。
「さて、お前たちには休暇を与えていたな?」
魔王は不敵な笑みを浮かべながら訊いた。
「ええ、今日1日は自由にしていいと伺っております」
ルイーザが答えると、魔王はとてつもない悪のオーラを放ちながら、我慢していた怒りを露わにした。
「私はね、怒っているのだよ。ヴァルテンがミスを犯したことではなく、私の許可なくヴァルテンを傷付けたエルンスト、貴様にな!」
エルンストは魔王のオーラに今にも潰されそうである。
魔王は続けて声を上げる。
「組織にいる者に許される自由とは何かを考えろ! 貴様に蘇生魔法や回復魔法が使えるならまだしも! 組織に損失を招く行動は自由の範疇では無い! それは我儘というものだ! 少なくとも、私に話を通すべきだろうが! 貴様はそれが解るまで頭を冷やすが良い!」
魔王は組織に配される者の在り方を丁寧に説いた。
「ご、御尤も……で、す……」
エルンストはそう答えると死んでしまった。
魔王のオーラは壮絶なものであった。他の元帥戦士達もこれには怯え切ってしまい、テオは気絶してしまっている。
「ああ、少しやり過ぎてしまった。 最上位魔法、完全蘇生。最上位魔法、精霊の癒し」
魔王はヴァルテンを蘇生させ、元帥戦士達の混乱や絶望を緩和した。
そして、怒りを落ち着かせる為か深く溜息を吐き、元帥戦士に目をやる。
「お前ら3人にも連帯責任として罰を与える。最上位魔法、神への恭順」
罰は魔王による記憶の操作である。
記憶操作魔法使用の瞬間と、ヴァルテンの実態に関する記憶がすべて消去された。
戦士らは罰を受けるはずであったことも忘れ、魔王の指示を待っている。
「さて、ヴァルテン。このエルンストを牢に入れろ。私が良いと言うまではお前がそいつを見張っておけ。エルンストはこう見えて元帥階級を与えられた強力な戦士だ。元帥を見張るには元帥が必要なのだ」
「承知致しました」
ヴァルテンはそう返事し、エルンストを連れて出ていった。
「ルイーザ、お前はヴァルテンの代わりに仕事だ。いつものように手を抜くことはするな。テオは防御フェイズ5で戦士たちの再配置を頼む。」
ルイーザとテオも返事をして立ち去った。