悪夢
とても良い朝だ。
過ごし易い気温と湿度である。
朝食はトースト、サラダに豆のスープ、ごく一般的な家庭の朝食だ。
美味いな、これはいける。
しかし、この夢は何だ?
主観的で、ずっと一人称視点だ。
知っているような知らないような、誰かの記憶なのだろうか?
まあいい、続きを見てみよう。
「お父様、今日は出かけます」
僕はお父様なる人間に話しかけた。
「ん? またメリナちゃんとデートか?」
恐らく父なのだろう。
父は僕に訊く。
「ま、まあそんなところです」
僕の答えから察するに、僕はメリナという娘と恋人関係なのだろう。
答えを誤魔化すあたり、僕はまだ思春期の子供のようだ。
僕は飯を食い終わると、すぐに支度を始めた。
すると、父は僕に首飾りを差し出した。
「お前も明日で16だ。立派な成人として、メリナちゃんを守ってやらねばならんだろう? だからお前には、これを授けようと思う」
僕は驚いて声を上げる。
「おおお父様、そっ、それは王国の秘宝『真魔の首飾り』ではありませんか! こんな大層な品物、頂けませんよ。」
「なに、明日の贈り物としてお前にあげる積もりだった物だ。今日も明日もそう変わらんだろう。」
「で、では、有難く頂戴致します!」
僕はその首飾りを掛けると、力が満ち満ちて来るのを感じた。
「それでは、行って参ります!」
「ああ、気を付けるのだぞ」
僕は、父に見送られながら家を出、この地域のシンボルらしき場所で待った。
程無くして、小柄で可憐な女子が僕に話し掛けた。
「お待たせ。待った?」
やばいよ、これ来ちゃったよ。
このめちゃくちゃ可愛い女の子は僕の彼女だよ。糞、誰の記憶なんだ!
こんなに可愛い女の子を独り占めするなんて、怪しからんな本当に!
私が僕だったら婚約してるね!
「いいや、今来たところだよ。今日はフィーレア山脈の方へ行って、王国の景色を見に行きたいんだ」
僕は目を輝かせて言った。
「いいね! 今日は天気も良いし、きっと素晴らしい景色が見れるね!」
「うん! じゃあ、早速出発しようか」
メリナは嬉しそうだった。
僕も喜んで貰えて嬉しかった。
村を出て北東に1時間程行くと、フィーレア山の登山口があり、そこの休憩所で体を休めることにした。
「歩くとやっぱり暑いねえ」
そう言いながらメリナが服をはたはたとさせるものだから、下着が見えて目のやり場に困った。
「あ、うん……そうだね」
「ねえ、胸に掛かってるのって真魔の首飾り? お父様から頂いたの?」
メリナは物珍しそうに首飾りを見つめた。
「うん、そうだよ。明日の誕生日に頂ける予定だったらしいけど、メリナとお出かけするって言ったら頂けたんだ」
「へー、凄いね。やっぱ王国騎士団長の息子だし、これからその秘宝に見合う働きとか求められたりしないの?」
メリナは寂しそうに言った。
「いいや、きっと大丈夫だよ。お父様は僕に剣を教えて下さるけど、戦士になることは望んでないみたい。いつも、メリナちゃんを守ってあげるのだぞって言ってるだけかな。だから、村から出ていくようなことはしないよ」
「良かったあ。結婚してすぐに王国へ、なんてことになるんじゃないかって心配してたんだよね。」
私は驚いた。
僕とメリナは婚約していた。
何てことだ、取られた気分だよ。
本当に怪しからん奴だな!
「安心して。これからも僕がメリナを護るから。」
僕は鋭い眼差しで決意を固めた。
「末永くよろしくね、オスカー」
ここで、漸く僕の名前がわかった。
オスカーというらしい。
誰なんだオスカーって?
聞き覚えがあるような無いような……。
「ところで、これから山を登っていくけど、魔物とかが出るかもしれない。僕にしっかり掴まっておくんだ」
オスカーは男らしさを見せる為、強気に出た。
人間ごときが大丈夫なのか?
フィーレア山というと、山頂にネクロマンティアムドラゴンが住んでいたはずだ。
人間最強の魔法戦士でも最上中位魔法までしか使えないが、奴は上位魔法まで使える転生ドラゴンだ。
いくら王国騎士団長の息子だからといって、勝てる相手ではない。
が、これは夢だし、刮目するとしようか。
オスカーとメリナは、腕を組んで山を登って行った。
道中も特に異常は無く、スムーズに7合目の展望台へと到着した。
「着いたよ。見て、あれがヴァレリオ王国だよ!」
「うわあ、綺麗ね」
2人は、目の前に広がる景色を見て、感動していた。
私も素晴らしい景色だと感激した。
しかし、ヴァレリオといえば先刻特位魔法で滅ぼしてしまったよな。
申し訳ないことをしたなオスカー。
もうあの国は滅んでしまったよ。
2人は、展望台でのひと時を満喫して、山を下りた。
途中、非常に激しい風が吹いたが、ネクロマンティアムドラゴンに襲われることも無く、無事に村へと帰った。
「今日は楽しかったね!」
「ええ、あんな景色めったに見られないわ」
2人は村の目印である女神像の前で別れた。
お互い、非常に楽しかったらしい。
本当に怪しからんよ本当に!
「お父様、只今戻りました!」
オスカーは家に着くなり、大きな声で挨拶した。
「ああ、お帰り。どこまで行ってきたんだ?」
「フィーレア山で王国の景色を見てきました」
「そうかそうか。途中、変な風が吹かなかったか?」
父は心配そうに訊いてきた。
「いえ、山ですから風に吹かれることもありましたが、特に気になることはなかったと思います」
「そ、そうか。まさかな……」
オスカーは疑問を抱えたままだったが、そんなことよりも飯だった。
「お父様、とてもいい香りですが、今日のご飯は何でしょう?」
「はっはっは。育ち盛りはすぐ飯だ。待ってろ、すぐに用意する」
晩飯は猪肉のステーキだった。
今日は体力を使っただろうと父が気を回してくれたらしい。
とても美味い。
味覚が私にまで伝わってくる。
やはり夢ではなく記憶なのだろうか。
風呂を済ませ、寝間着に着替えて自室に向かうオスカーが窓を見ると、赤い月が出ていた。
そして、ドラゴンが空を舞う姿を目撃した。
あれはネクロマンティアムドラゴンだ。
赤い月の日には餌を求めて人里に降りてくるが、オスカーは無事で済むだろうか。
私にはそれが気掛かりだ。
「赤い月にドラゴンか……怖いな。早く寝よう」
そう呟くと、オスカーは布団に入り、目を瞑った。
暫く経った明朝、オスカーは父に叩き起こされた。
「オスカー起きろ! 大変だ!」
父は狂ったように大声を出している。
何事なんだ一体。
オスカーは腑抜けた声を出した。
「オスカー、よく聞け。メリナちゃんがドラゴンに攫われた。しかも、長老の話では、とんでもなく強いらしい。なんでも、上位魔法を使えるらしい。」
「何だって!? 上位魔法なんて、人間では束になっても勝てないよ!」
オスカーは驚愕し、涙を流した。
メリナを連れ去ったのは恐らくフィーレア山のドラゴンだ。
メリナは下山中に吹かれた風にまともに当たっていた。
あれはドラゴンが使う獲物感知のスキルに違いない。
「しかし安心しろオスカー、いや、安心はできないが、一つだけメリナちゃんを救える方法がある。それは、お前の魔法力と、お前が持つ首飾りの力だ。真魔の首飾りは、一時的に魔法力を限界突破して上昇させられる物なのだ。お前は素で中位魔法を扱える。真魔の首飾りと呼応すれば、最上中位、いや、上位魔法も使えるだろう」
「しかしお父様、私にできるでしょうか」
「できるかどうかじゃない、やるんだ。今日、お前は十六になった。メリナと結婚するんだろう? だったら、シュトラウトの名を持つ者として、いや、男として、惚れた女をその手で救うんだ!」
父の熱い眼差しに勇気を貰い、オスカーは男としての覚悟を示す。
「分かりましたお父様。この手でドラゴンを打ち倒し、必ず、メリナを助けるとここに誓います!」
「できるだけ騎士団の皆も援護する。前衛は我々に任せておけ」
父は王国騎士団『青葉木菟』を率いて援護してくれるらしい。
これほどまでに頼もしいことはない、とオスカーは思った。
フィーレア山、ドラゴンが巣くう山頂に着いたオスカー等は、ドラゴンのあまりの気迫に圧倒されていた。
「我が縄張りに何用だ、人間共」
ドラゴンは堪能な人間語で問い掛けた。
「貴様が攫った娘を返してもらいたい!」
父は威厳のある声で言った。
「ふふふふふ、はははははは!」
ドラゴンは高笑いを上げた。
父はそれに激昂した。
「何が可笑しい!」
「この状況の全てだよ。人間ごときがこの気高きドラゴンに逆らうとは、どういう料簡なのだ。そして、折角攫った者を素直に渡す訳無かろう。返して貰いたくば、力尽くで奪うが良い!」
ドラゴンはそう言うと襲い掛かって来た。
スピードもパワーもやはり人間が相手にできるレベルでは無い。
目の前で倒れて逝く騎士を見遣り、オスカーは絶望を感じた。
すると、オスカーの脳に何者かが直接語り掛けた。
「力が欲しいか?」
オスカーは不思議な出来事に困惑し、耳を塞いだが、その何者かは言葉を繰り返し語り掛け続ける。
オスカーはこの声が首飾りの魂だと悟り、覚悟を決めて答えた。
「欲しいとも。あのドラゴンを蹂躙できる、強大な力を!」
オスカーが叫ぶと、首飾りが眩い紅光を発し、オスカーの周りに悪のオーラが溢れ出した。
「き、貴様何をした?」
ドラゴンは少し余裕が無さそうに言った。
「簡単さ……少し頭に来ただけだよ……私の愛する人を攫い、敬う人を殺し、それでもへらへら笑うお前の姿に堪えられなくなっただけだ!」
オスカーの人格は豹変し、最早悪魔のようだ。
まるで私の姿にそっくりだ。
父は息子の変わりぶりに驚き、ドラゴンもこれには冷や汗を掻いた。
「我は上位魔法を使いし転生した身。人間ごときに勝てる訳が無かろう!」
「強がって居られるのも今の内だ。そろそろ終わりにしようか」
「何だと!」
「上位魔法、死の運命!」
「ぐっ、上位魔法だと!? き、貴様何者だ!」
「ただの悪魔だよ!」
オスカーが手を叩くと、ドラゴンから精気が失われ、死体は塵となり消滅した。
オスカーは魔力を使い果たし、その場に倒れた。
父が駆け寄り、介抱する。
メリナも無事なようだ。
「お、オスカー……大丈夫なのか?」
「大丈夫ですお父様。ドラゴンは倒せたのでしょうか?」
「覚えて……いないのか?」
「ええ……」
「お前は上位魔法を発動させ、ドラゴンを一撃でやっつけたのだ。見事だった。メリナも無事だ」
「良かったです……」
親子は抱き合い、安堵の表情を浮かべた。
しかし、安心するのは早かった。
空に穴が開き、そこから目玉が浮かび上がり、野太い声が辺りに響き渡った。
父はオスカーを体で隠した。
「上位魔法を使ったのは貴様か?」
私は耳を疑った。
この声は間違いなく魔王様である。
何故こんなところに魔王様がいらっしゃるのだろうか。
「ぼ、僕が魔法を使った……みたいです」
「みたい? ふんっ、面白い。その歳にしては見事な魔法だ。我が眷属よ、奴を捕らえて城の牢に入れておけ」
魔王様がそう仰ると、ヴァンパイアが空から現れ、オスカーを連れ去られた。
「待て! 息子を放せ!」
父の嘆きも虚しく、魔王様は御姿を消された。
次にオスカーが目を覚ました時、そこは魔王城の玉座前だった。
手足を魔法の糸で縛られ、ヴァンパイアに取り押さえられていた。
「さて貴様はこれから我が軍の戦士として働いてもらう」
「ど、どういうことだ! メリナは!? お父様は!?」
オスカーは泣き叫んだ。
「安心しろ。お前が手に入ったのだ。あの村に手出しはせんよ。」
「僕をどうするんだ! 糞! 放せよ!」
オスカーが暴れると、ヴァンパイアが喉を掻き切った。
オスカーは、痛みを声にならない声で表現した。
「同じことを何度も言わせるな。私に逆らえば貴様の命は無い。貴様は今から我が軍の戦士だ。私が貴様に新たな名を授けると、貴様は服従せざるを得なくなる。そうだな……貴様の名前はヴァルテンだ。最上位魔法、神への恭順」
「うわっ!」
私は大声を上げて飛び起きた。
寝汗が酷く、混乱して頭が痛い。
何ということだ。
夢に出てきたオスカーとは、私のことだったのか。
しばしば感じられた既視感は、神への恭順による記憶操作の痕だったのか。
魔王様は、私の力を見据えて、軍に入れて下さったという訳か。
「ヴァルテン、どうしたのだ。いきなり大声を出して」
エルンストが様子を見に来た。
ここで思い出したことをそのまま伝えれば、ややこしいことになるに違いない。
ここは上手く誤魔化さなければ。
「いや、少しばかり悪夢を見ていたようだ。気にするな」
「そうか、わかった。どんな夢か訊きたかったところだが、私も用事があるので失礼する」
エルンストは去って行った。
上手く誤魔化せたようで良かった。
元は人間の村に住んでいたなど、口が滑っても言えない。
しかし、本当に悪夢だった。
まさか自分が人間だったなんて、どう受け止めれば良いのだ。
私は鏡を見て考えた。
先刻、同種を2千万も殺したところだぞ。
殺し合いをしたとなると、流石に心が痛む。
これも人間の心が所以なのか?
そういえば、私とオスカーの顔立ちが似ているように感じたのも、同一人物だからか。
体つきは……今や筋骨隆々になったものだな。
しかし、修行をした覚えは全くない。
何故ここまで筋肉が付いているのだろう。
やめだやめ。
考えても始まらない。
仕事をしよう。
鎧を着たヴァルテンは、さっさと城を出て、魔王の命じるままに、人間を屠るのであった……。