プロローグ
「ここなら王国を見渡せる」
黒い鎧を纏う男はそう呟くと、首に掛けた飾りを天に掲げ、魔法を詠唱した。
「神は我等に道を示す。それは善悪に由らず常に正しい。我等の道を穢す事、我等の道を曲る事、我等の道を壊す事、それらは告白に依る赦免は認められず、即ち、死に至る罪である。我等の道は穢され、曲され、壊された。ああ、神よ。目前の罪人に平等なる死を!そして、我等の歩みに導きを!得位魔法、殺戮!」
魔法が発動すると、厚い雲が空を覆う。
空からは闇が降り注ぎ、光が失われていく。
少しの間、王国の周辺は深夜程の暗さとなり、そして闇が空に吸い込まれて行く。
空は晴れ渡り青々とするが、王国には静寂が訪れた。
魔法の発動によって王国がどうなったのかは、黒い鎧を纏う男しか知らない。
神は世界を創造し、多種多様な生物を生み出した。
中でも、人間と魔物は理性を持ち、互いに豊かな生活を送って共生していた。
しかし、約1万年前に起きた飢饉による食糧不足が切っ掛けで、互いの関係は悪化した。
そして2300年前、とうとう戦争が起きた。
人間は、高い知能と技術を駆使し、物理攻撃に特化した装備で魔物と対峙した。
所が、魔物の魔法力の前では、人間の力などほぼ無力に等しく、開戦から10年経った頃の人間の人口は、約半数程度にまで減少した。
これ以上の争いは無駄だと考えた魔物は、人間に無条件降伏をするよう宣告。
人間はこれを受諾し、戦争は終結した。
この戦争は第1次人魔戦争と呼ばれ、人間と魔物の歴史の中で最大の戦争である。
その後も500年に一度は戦争が起き、現在は第5次人魔戦争の真っ只中である。
戦況としては、これまで通り魔物が優勢であった。
人間の文明が高度になっているにも関わらず、魔物が強いことには理由がある。
魔物は、第4次人魔戦争までは皆平等であったが、戦争終結後、人間の文明発達を危惧し、軍を構成した。
魔王を最高司令官とし、その下に約3千万の魔物が居る魔王軍は、完璧なまでの統制が取られており、全く隙が無くなった為、人間は手を拱いているという訳である。
特に、軍の元帥階級に位する4戦士は非常に高い能力を持っており、開戦直後、敵の騎兵師団を軽々掃蕩してしまった。
丁度現在も、エルンスト元帥が歩兵師団の対応に当たっている。
「最上位魔法、神の宣告!」
エルンストが魔法を唱えると、無数の巨大な魔方陣が出現し、天使が舞い降りた。
そして、審判の音が鳴り響き、辺りは闇に包まれた。
「何だ?あの馬鹿でかい方陣は」
「分からねぇ。けど、ただの脅しに違いねぇよ」
人間がこう言い残した刹那、神の巨腕が歩兵師団2万人の魂を摘み取った。
魂が神霊となり、天使に導かれて天へと還って行く光景は、まるで蛍の光のようだった。
「今のは見事ね、エルンスト」
近くで見ていたサキュバスが、エルンストの働きぶりを褒めた。
「ありがとうルイーザ、今戻ったのか」
「ええ。砲兵師団を蹴散らしてやったわ」
誇らしげに語るルイーザは、エルンストと同じく元帥階級に位し、元帥4戦士で2番目の魔力量を有する非常に優秀な女戦士である。
「また魔法を使わずに戦ったのかい? ルイーザ」
エルンストの傍らに立っていた小さなエルフが言う。
「当たり前よ。というかテオ、ずっとそこに居たの?」
ルイーザはエルフに冗談交じりで訊いた。
「いたさ。エルンストの魔法式構築速度を速めたのは僕だよ。2人の会話もエルンストの隣で聞いていたのに」
エルフは早口で言い返す。
「仕方ないじゃない。年寄りの癖に見た目ショタなんだから。」
ルイーザは呆れ顔で言う。
「ショタじゃない! 君とは九百歳差だぞ!」
涙目でこう訴え懸ける彼も、元帥4戦士の一人で、テオという。
テオは軍で最高の頭脳の持ち主で、最上位魔法の複雑な魔法式を解析し、最適化できる能力を持つ。
「さて、一仕事したし、帰ろうか。」
エルンストが口火を切った。
「そうね、私も流石に疲れたわ。」
「それは、ルイーザが魔法を使わずに二万人の相手をするからでしょ!」
「うっさい! この年寄りショタ!」
彼らは談笑しながら、殺めた四万人の死体を背に、魔王城へと帰って行った。
魔王城に着いたエルンスト達は、先に着いていた黒い鎧を纏う男、ヴァルテン元帥に迎えられた。
ヴァルテンは元帥四戦士を含めた全軍最強の戦士である。
「戻ったか、エルンスト。」
「ああ、ヴァルテン。お前はヴァレリオに向かっていたな。どのぐらい潰せたんだ?」
「全てだ」
「何だって?」
テオは驚愕した様子である。
「あの国に人間はもういない」
「う、嘘でしょ?」
ルイーザも驚きを隠せないようだ。
ヴァルテンの発言で、場の空気が凍り付いた。
何故なら、人間の王国ヴァレリオは、人口二千万越えの大国で、それをたった一日で、それもたった一人で潰すなど、到底不可能だからである。
「あんた、どんな魔法を使ったの?」
ルイーザが尋ねると、ヴァルテンは静かに応えた。
「特位魔法の殺戮だが」
「と、得意魔法だって!? 伝説上の魔法だよ!」
テオは大声を出して目を見開いた。
「ショタ、あんた知ってるの?」
テオは首肯し、語りだした。
「創世記には、神が世界を創造や破壊をするときに用いた魔法だって書いてあったよ。つまり、最上位魔法よりも複雑な魔法式を構築できる頭脳と、魔法発動に必要となる厖大な魔素に耐えうる魔素耐性が無いと、体細胞が魔素に吸い尽くされてしまうはずなんだ。僕がエルンストの魔法をサポートしているのも、彼に魔素耐性があまり無いからなんだ」
「では、ヴァルテンは神に等しい力を持っているというのか?」
テオはエルンストの問いに答えた。
「信じられない話だけど、そう考えるのが自然なのかもね」
ヴァルテンはテオの話を静かに聞いていたが、少し疲れたようで、部屋で休みたいと申し出た。
「待ちなさいよあんた。どうして特位魔法が使えるのよ。そこんところ説明しなさいよ。」
ルイーザはヴァルテンの前に立ち塞がった。
ヴァルテンは困った様子で語る。
「私にも分からない。何故私に特位魔法が使えるのか、何故私は戦っているのか、何故私がここに居るのかさえ、私には分からないのだ。」
ルイーザは追及を止めた。ヴァルテンの表情が、嘘を吐いているようには見えなかったらしい。
「もう用がないなら、行かせてはくれないだろうか」
「う、うん。変に問い詰めたりしてごめんね」
ルイーザは申し訳なさそうに道を開けた。
「いや、構わない」
そう言うと、ヴァルテンは部屋へ戻った。
そして、着ていた鎧を脱ぎ、すぐ眠りに就いた。
鎧を脱いだ姿は、宛ら人間の青年のようだった。