6. 無鉄砲な男と赤ん坊
リズは幾度目になるかわからないまま、剣を振り下ろしていた。
すでに腕の筋肉は限界をむかえ握る力はほとんど残っていない。
すっぽ抜けた剣が地面に転がる。
リズはふらつく足をうごかして剣を拾いにいく。
「……負けない……絶対に負けない。わたしはお父さんの子なんだから……」
疲労でもうろうとする意識の中、リズにはただ前に進むことしか頭になく、その目にうつるのは竜ではなかった。
竜は目を細め、泥だらけになりながらよたよたと歩く人間の少女を見下ろす。
彼女の魂をすり減らすような戦いぶりをみて、竜はとある男のことを思い出した。同時に、その人間に赤ん坊を押し付けたことも、記憶の片隅から浮かび上がってきた。
数百年以上、この地に住まう竜にとって人間とは不思議な生き物であった。
大勢が集まり町をつくりあげた。
そして、子を成し、老いてこの世を去っていく。
上空から人々の生活を眺め、人間というものを観察し続けた。
たまに山に登ってきてはじゃれつく人間を追い返すこともあった。
あるときのことだった。
何か荷物を抱えた一人の女が、巣穴の前にやってきた。
ここにやってくるのは武装した男たちばかりであったはずであった。なにをするのかと思っていると、女は巣穴の前にひざまずくとしばらく動かずにいた。
女が去ったあとには、布にくるまれたなにかが置かれていた。
供物と称して食べ物をおいていく人間もいたが、それは果たして食べてよいものか竜は判断に困った。
小さく今にも壊れそうな脆弱な存在は、見た目に反した大きな鳴き声をあげる。放っておくとすぐに弱っていく。しかたがなく、巣穴の奥に持ち帰った。
次の日、今度は別の男がやってきた。
「オレの名前はケイン! 竜よ、おまえを倒す名前だ、冥土の土産におぼえておきな!」
男の大声に反応して森の小鳥たちが飛び立つ。
竜はいつものように男をあしらおうとするが、男はしつこかった。
まず、威嚇の咆哮をあげると多くの人間が怖気づいて逃げ出した。
それでも残った人間は、どんなに攻撃を繰り返そうとかすり傷すらつけられないと理解し諦めて帰っていた。
しかし、男はこれまでのどの人間の例にあてはまらなかった。
何度も打ち下ろした剣が半ばから折れると、男は折れた剣でなおも打ちかかってくる。それでも、体力の限界はくるようで男は精も根もつきはてた様子で地面に倒れる。
「負けた、負けたぁ! いいぜ、喰うなり踏み潰すなり好きにしな!」
地面に身を投げ出した男の扱いに竜は困った。放っておいても動こうとしない。
放置し巣穴にもどったところで男はそれでも動かなかった。しかし、この場に不似合いな声が耳に入り、男はいぶかしげな顔つきをしながら声の元を探る。
その足は竜の巣穴へとのび、ねそべる竜の脇を慎重に通り抜けた。
巣穴の暗闇の中、ほのかな明りが一点ともっていた。男がたどり着いた先には明りを発する薄片を握る赤ん坊の姿があった。
「赤ん坊……? まさか、竜のやつにさらわれたのか?」
男はこわれものを扱うように赤ん坊をだき上げると、赤ん坊は失った親のぬくもりを取り戻すように、男に向かって必死に小さい手を伸ばした。
男が指先でふれると弱々しい力で握り返される。
「なんだよ、オレはおまえの親じゃねえぞ。……だけど、このまま竜のエサになるってのも寝覚めがわりいな」
困惑顔で眉根をよせながらも、赤ん坊を見る男の口元はほころんでいた。
そのまま物盗りのようにそろりそろりと足音を忍ばせて、男は竜の巣から脱出する。
遠ざかっていく男の背中を薄目で観察していた竜は、厄介ごとが片付いたと再び目を閉じた。
ガラン……。
それはとうとう少女の手から鉄の剣が零れ落ちた音だった。
どさりと音をたてて地面に倒れ付した少女に意識は残っていなかった。
ピクリとも動かなくなった少女にむけて、竜は首をかがめて鼻先を近づける。
「リズ!!!!」
悲壮な声が響いた。
ケインの視界には、倒れて動かない娘の姿と竜の姿が映っていた。