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蒼一朗、いい感じのカフェを見つける

ちょっと前に入れとこうと思ってた話をすっかり忘れていたのでここで。

 ヤスヒロが連れてきたエルフの姫騎士エステル。彼女の暴走によって色々と面倒な事になってしまった。


 折角の休日を楽しんでいたはずのシルだったが、何故か楽しそうに扉をくぐって帰って行った。その上司はと言えば、今日も今日とて部屋で堕落した日々を過ごしているというのに。


 どうやら準備に一週間ほどかかるそうなので、その間にどうにかしてこの面倒ごとを回避する方向に……持っていければ万々歳だが、どうせそんなに上手くはいかないだろう。こうなったら適当に他のやつらでも巻き込んでお茶を濁すとしよう。


 そんな俺はと言えば、今日は久しぶりに編集に会うという事で都内まで出てきている。いや、まあ住んでいるのは東京都なのだが、都心に足を運ぶとなるとどうしてもこういった表現をする事が多い。西東京に住む人間ならこの気持ちは分かるだろう。


 ちょっとした用事もあったので、割かし早めに家を出たのだが、少し早く着きすぎてしまったようだ。高校の時から使っている安物の腕時計が指すのは丁度正午、約束の時間まではまだ一時間半は残っている。

 

 少し小腹も空いたので、そこらのカフェにでも入ろうか。ついでに原稿のチェックでもしよう。










 あえてスマホで店を探すような事はしない。時間もあることだし、適当に路地を入ってふらふらとあてなく歩く。十五分ほどこうして彷徨っていただろうか。小さな川沿いの小道に、俺好みの小さな喫茶店を発見した。


「これは……カレーの匂いか?」


 喫茶店でカレー、といのも珍しい。イマイチ合わないような気もするが、匂いを嗅いでいたら無性にカレーが食べたくなってきた。


 よし、ここにしよう。


 古びた木製の扉を開け、店内へと入る。ギギ、という木の軋む音と、リン、というドアチャイムの音がまた風情を感じる。実にエモい。


「らっしゃい」


 無愛想な店主が声をかけてくる。中はカウンターが五席あるだけというかなり手狭な造りになっている。他に客も居ない様なのでその一番右端に腰を下ろす。


 一枚板のカウンターはその形を残すように切り出されていて、木材が木であった頃の形が色濃く分かる。実にエモい。作家としてその表現はどうかと思うかも知れないと思うが、これしか感想が出てこなかった。自らの語彙力を恨もう。


 ナイスミドルな白髪交じりの店主が、無言で俺の前に水の入ったグラスとメニューを並べる。手書きで書かれたであろうメニュー表は、所々黄ばんでいて年月を感じさせる。まあメニューを見るまでも無く頼むものは決まっているのだが。


「カレーを一つと、食後にコーヒーを。ブラックで」


「かしこまりました」


 軽く頭を下げた店主が、後方にあるコンロに火をつける。なんか煙草でも吸いたくなる雰囲気だな。


「どうぞ」


 そんな事を考えていると、店主がすっと煙草の箱を空けてこちらへ差し出してくる。まさかこんなところにも読心術の使い手が居たとは。


「あ、すいません」


 普段は吸わないが、こんな時くらいいいだろうと思い、差し出された煙草を咥える。店主が腰に巻いていたエプロンのポケットからジッポを取り出し、ジャっと火をつけてこちらへ差し出す。


 ……ちらっとしか見えなかったが、あのジッポに刻印されてるのってな○はだよな? なんかちょっとイメージが崩れてきたぞ。


 そんな店主の意外な一面に驚きつつ、深く煙を吸い込む。ロアナプラで運び屋稼業に勤しむ日本人商社マンが愛煙していた銘柄だ。アメリカの魂は微塵も感じないが。


 そんな風に久々の煙草を楽しんでいると、リンと音がして新たな来客に気づく。他に客が居ないことが若干気になっていたが、たまたま人が居ない時間に来ただけのようだ。


「おや、蒼一朗様ではありませんか」


 なんと、こんな所で知り合いに会うとは。


 スーツ姿で店に入ってきたのは、妹たちの一件の時に出会った女性。名前はミリアムだったか。


「随分と珍しい所で会うものですね。蒼一朗様のお住まいは八王子の方だったと記憶していますが」


「ちょっと仕事でこっちに出てくる必要があってな。そっちこそ、なんでこんな所にいるんだ? 女神ってのはそんなほいほいこっちの世界にいるものなのか?」


「ああ、丁度家がこの辺にあるんですよ。今日は丁度やるべき仕事が無くなったので、たまには外食でもしようかと思いまして。ここのカレーは絶品ですから」


 どうやら女神ってのは葛飾区に住んでいるらしい。なんとも庶民的な事で。


「そういえば、凛とアリスは元気にしてるか? 今は山縣さんやルミエーラと一緒にいるんだろう?」


「そうですね。随分と精力的に活動されています。山縣様は……まああの通り歳も歳ですから、随分と大変そうですが」


 まあそうだろうな。いくら邪神の力が残っているとはいえ、精神的にきつい時もあるだろう。凛もアリスもお世辞にも他人に気を使うようなタイプではないしな。


「どうもあの方は運動神経というものが致命的に欠けているようでして、どの武器を扱わせても素人以下の動きしかできないので凛さんも苦労されているようですね」


「それはなんとまあ」


 本人は異世界での冒険を随分と楽しみにしてたからな。精神的ショックもあるだろう。強く生きてくれ、おじさん。


「他の方々のサポートあっての戦いになっていますね。幸い周りの方々は優秀なので。特にルミエーラさんは貴方との約束という事もあって随分と奮闘されていますね」


 ルミエーラか。しばらく会っていないが元気でやっているだろうか。確か山縣さんが自立できるようになったらこちらに来るとか言っていたな。


 そういえば、フィールが俺ならば竜之介たちを召喚出来るとか言っていたが、ルミエーラもそうなのだろうか。今度聞いてみよう。


 そんな風にミリアムから妹たちの近況を聴いているうちに、カレーが出来上がったようだ。


「これは……ヤバイな。絶対美味いヤツじゃないか」


 見た目はオーソドックスなカレーだ。家で作る様なものよりも少し色が濃いだろうか。特徴的なのはルーの中に含まれている牛スジだ。丹念に煮込まれているのだろう。スプーンでつついただけでほろりと崩れる。


 ミリアムには悪いが、これは我慢できそうにない。たまらずに一口、口に運ぶ。


「……うぉ」


 思わず、声が漏れた。ガツンと脳に響く旨み、別段辛い訳ではないのだが、スパイスの刺激と、フルーティーな甘みが同時に鼻を突き抜ける。カレーを食べてここまで衝撃を受けたのは初めてだ。


 次に、やわらかく煮込まれた牛スジを口に入れる。


 ……消えた。一度の咀嚼で口の中から溶けて消えうせたようだ。仄かに残る牛の旨みだけが、そこにそれがあったことを示している。さながら夏の幽霊のように、海に映る夕焼けのような寂しさと憧憬。何を言ってるのか分からないと思うが、俺も分からない。


 食レポなんてしたことが無いので、このカレーを正しく表現する術を持たない事が惜しまれる。とにかくただただ美味い。俺に言えるのはそれだけだ。


 気がつけば、皿には米の一粒すら残っていなかった。もはや食べた記憶すらない。ただただ満足感と多幸感だけが俺の脳を支配している。


「ふう……美味かった」


「一心不乱に食べていましたね。まあ無理も無いですが」


 そうのたまうミリアムの皿も、俺と同じような状態だ。いつのまに食べたのか。


 カウンターの奥では、店主がこぽこぽとコーヒーを入れているのが見える。そのけして大きくは無い背中から、何故か威厳を感じるように見える。


「そういえば蒼一朗様。前回救っていただいた世界の件で少しお話があるのですが」


 紙ナプキンで口を拭うミリアムがそう切り出す。おいおい、店主は一般人なんだから、急にそんな事を口にしたら頭のおかしいやつらだと思われるだろうが。


「大丈夫ですよ。マスターはこちらの人間ですから」


「マジか」


 そんな店主、もといマスターの方をみやれば、軽く頭を下げてくる。先に言って欲しかったよ。



「それで? 話ってのは?」


「山縣様にその権能を押し付けて逃げていった邪神についてなのですが、少しながら調査で判明した事がありましたので、蒼一朗様にはお伝えしておくべきかと」


「ああ、そういえばそんなのも居たな。すっかり忘れてたわ」


 黒幕が一応いるんだったか。色々とあり過ぎてそこまで意識が回らなかった。


「その邪神なのですが、こちらで『世界喰い』と呼称している個体でほぼ百パーセント間違いないようです。今後も遭遇する可能性がありますのでご注意下さい」


「『世界喰い』? また随分と大層な名前だな」


「その名の通り大層な存在ですので。幾多の世界を渡り歩き、その力で持って世界そのものを支配し、管理している神から力ずくで引き剥がす、という存在です。


「管理している神から引き剥がす? どういう事だ?」


「蒼一朗様もご覧になられたとおり、邪神というのは邪なる瘴気を持って生物を支配します。この瘴気というのが厄介でして、犯されたものがその世界の神の加護を受けられなくなるのです。この瘴気が世界全体に広がると、世界全体が神の加護から外れ、邪神を主神とする世界になるのです」


 よく分からないが、世界の乗っ取り、という認識でいいのだろうか。


「こちらの世界で言うところの、下部企業の買収だと考えていただければ」


 うん、よく分かった。


「この邪神の厄介なところは、世界を乗っ取っては他の世界に移動し、渡っていくところでして。加えて、乗っ取った世界も特に支配するわけではなく、放置したまま、という愉快犯のような存在でして。目的が不明な上かなり強力な邪神なので我々も難儀しているのです」


「なんだそりゃ。乗っ取るだけ乗っ取ってあとは放置って。随分と無責任な感じだな」


「幸い、原住民や生物に物理的な危害を加える訳でもなく、乗っ取られた世界も我々によって解放する事に成功していますので、被害という被害はそれほど出ていませんが……目的が分からないのが不気味ですね。なにかを探しているのではないか、という研究者もいますが、今の所は不明です。蒼一朗様は様々な世界と繋がる存在ですので、再び遭遇する可能性が無いとも限りません。一応、ご注意下さい」


「まあ、一応覚えておくよ」


 一通り話を聞いてはみたが、なんともよく分からないな。その邪神というのも。あながちその何かを探してるってのも間違っちゃいないのかもな。物語とかじゃよくある理由だし。


「長く話しすぎましたね。コーヒーが冷めてしまいます。ここのコーヒーはマスター自ら豆も仕入れて焙煎しているので絶品ですよ」


 そうだった。コーヒーの事をすっかり忘れていた。というか、ここのマスターって一体何者なんだろうか。女神側ってことはただの人間じゃないだろうし、どうしてこんな所で喫茶店なんてやっているのやら。


「禁則事項です」


 またそれか。だからそれは未来人のセリフだというのに。というか、それ言いたいだけだろう絶対。


 ふと流れ始めた音楽。マスターがオーディオのスイッチを入れたようだ。こういう喫茶店ではジャズなんかが流れるのが一般的だが、流れ始めたのはしっかりアニソン。さっきのジッポは見間違いじゃなかったみたいだ。しかもハ○ヒの劇中歌。そこもあわせてきやがった。


 ますますこのマスターの事が分からなくなってきたが、そこはまあ隅においておいて、今はコーヒーを楽しむとしよう。



 その後も、なんとも無い話題でミリアム、そしてマスターを交えてゆったりとした午後を過ごした。たまにはこんな日常もいいな。機会があればまた訪れるとしよう。料理も美味いし。


 ……ちなみに、約束の時間にはしっかり遅刻した。遅刻した理由を述べたときの編集さんの顔は、どんなホラーよりも恐ろしかったとだけ追記しておく。

次回は蒼一朗不在の六畳間からお届けします。フェリシアさんがいっぱい喋るらしい。


ああ、美味いカレーが食べたい。


いつも感想や誤字報告ありがとうございます。よかったらブックマークとか評価とかつけてくれたら嬉しいです。

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